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いま、うちの部屋には、四つの機械があります。

Technicsのレコードプレーヤー、SL-1200MK6。ONKYOのアンプ、A-933。ONKYOのスピーカー、D-202A。そして、KENWOODのMDコンポ。

お金はないけど、少しずつ、中古で買い集めたものです。

木のラックに並んだ、いまの機材。上段にTechnics SL-1200MK6、中段にONKYO A-933とKENWOODのMDコンポ、下段にレコードの棚。両脇にONKYO D-202Aのスピーカー、壁にはギターが三本
いまのラック。上からSL-1200MK6、A-933とKENWOODのMDコンポ、そしてレコード。両脇がD-202A。

どれも、いっぺんに揃ったわけではありません。順番があります。今日は、その順番の話です。

古い学生寮の物置部屋。扉のない押し入れに積まれた本や段ボールの上に、埃をかぶったレコードプレーヤーが置かれ、窓から薄い光が差している水彩
寮の物置。本の山の上に、埃をかぶったプレーヤーがあった(イメージ)。
この話に出てくる三つの順番。1 KENWOODのMDコンポ(初バイトで貯めて大阪で買った)、2 物置のレコードプレーヤー(持ってっていいよ・動くか分からんよ)、3 8,800円の箱(フォノイコライザーを足したら鳴った)
先に来たのはMDコンポ。レコードは、そのあと。

― この記事について ―

富山の学生寮で、0円のプレーヤーと8,800円の箱からレコードを始めた話です。いまから始める人のための道具は、最後に五つだけまとめてあります。

→ 紹介したもの(五つ)へ

伝説級の、ボロ寮

大学は、富山でした。大阪で生まれ育って、田舎暮らしと一人暮らしに憧れて、遠くの大学を選んだ。

入ったのは、学生寮です。安いだろうし、学校も近いだろうし。それくらいの理由でした。

安かったのは、確かです。でも、想定外が、ふたつありました。

ひとつは、遠かったこと。大学の寮なら、敷地の中か、すぐ隣にあるものだと勝手に思い込んでいました。実際は、大学まで歩いて30分、自転車で15分。入寮の日、父とタクシーで向かいながら、大学からどんどん離れていくのに、まず驚きました。

もうひとつは、着いた先が、伝説級だったこと。

廊下の両側に部屋の扉が並んでいて、窓は廊下の両端にしかない。だから、昼でも暗い。コンクリートむき出しの壁一面に、学生運動のころの落書きが残っている。「学闘」「革マル」。そんな文字が、大小バラバラに。ガラスは割れている。扉は閉まらない。入寮の日に、入る予定だった人の三人に二人が、そのまま帰っていきました。親に「やめとけ」と止められた人もいた。

僕も、部屋を見た日に思いました。本当に俺は、これからどうなってしまうんだ、と。一人で来ていたら、きっとそのまま空を見上げて、動けなくなっていたと思います。

部屋は余っているのに、一人一部屋は禁止。二人か三人で、一部屋。そういう場所でした。

古い学生寮の廊下。緑色に塗られたコンクリートの床、両側に並ぶ部屋の木の扉、打ちっぱなしの壁一面に赤と黒のペンキで書かれた学生運動のころのスローガン(学闘・団結・反戦・全学連など)。窓は突き当たりだけで薄暗く、ガラスは割れ、扉のひとつは閉まりきらない水彩
窓は廊下の両端だけ。壁一面の落書きと、閉まらない扉(イメージ)。

父も、びっくりしていました。でも、うちにはお金がなかった。父は、住めば都、住めば都と、何回も繰り返していました。

ひろし

(ほんまかいな。)

それでも、少しでも住みやすくしようと、かなり遠いホームセンターまで、往復歩いて買い出しに行きました。あのときの父の背中は、いまでもはっきり覚えています。

郊外の長い道を、ホームセンターの大きな袋を提げて並んで歩く父と息子の後ろ姿。夕方の光。顔は見えない水彩
あのときの父の背中は、いまでもはっきり覚えている(イメージ)。

僕に与えられたのは、二段ベッドの下の段と、小さな机がひとつ。それだけでした。二段ベッドといっても、一段のベッドを無理やり上下につないだだけの、エセ二段ベッドです。

父は、その下の段にビニールロープを張って、バスタオルを二枚かけました。ここでバスタオルを乾かして、同時にプライベートスペースにもなる、と。僕はまた、ほんまかいな、と思っていました。

でも、そのバスタオルで仕切ったスペースと、枕元にあり合わせで作った、棚とも言えないくらいの棚。それが、寮生活でのとてもいい空間になりました。住めば都は、本当でした。

古い学生寮の、一段の木のベッドを上下につないだ低い木の二段ベッドの下の段。ビニールロープにかけたバスタオル二枚が仕切りになり、足元には木のハシゴ、枕元にあり合わせの小さな棚、横に小さな学習机。落書きの残るコンクリートの壁の水彩
バスタオル二枚の、プライベートスペース(イメージ)。

家賃のことも、書いておきます。破格でした。電気、ガス、水道は共同。週に三回、月・水・金だけ沸く大きな風呂も込みで、夏は月4,000円。冬はスチームの暖房が入るので、月5,000円。予約制の食券は、一食300円。壁の落書きが残っている学生運動の時代から、値段だけ止まっているような寮でした。

面白かったのは、大学のほうは「もうボロボロで設備も古いから建て替えたい」と言っているのに、学生のほうが断固として断り続けていたことです。それでも僕が卒業して数年で、ついに建て替わりました。

僕は当時、月4万円の仕送りで、そこで暮らしていました。

いま思えば、レコードライフはこの寮から始まったし、初めてのアコースティックギター(いまも持っています)を手に入れたのも、この寮でした。入寮の日に三人に二人が帰っていく、あの「試験」を潜り抜けてきた人たちですから、猛者揃いだったのかもしれません(笑)。この寮で出会った友人とは、いまも付き合いが続いていて、つい先日も、富山から家族で遊びに来てくれました。僕の人生には、必要な場所だったんだと思います。

先に来たのは、MDコンポだった

順番でいうと、レコードより先に、MDコンポが来ています。

人生で初めてのバイトは、ジャズ研の先輩に紹介してもらった警備員でした。時給は、たしか1,000円。それで貯めたお金で買ったのが、KENWOODのMDコンポです。たしか、3万8,000円くらいでした。

買ったのは、大学一年の夏休み。帰省中の、大阪のケーズデンキです。富山では自転車で動いていたので、大きな買い物をして持って帰る、というのが難しかった。だから、わざわざ帰省のときに、大阪で買ったんです。

夏の家電量販店の出口から、ミニコンポの大きな箱を両手で抱えて歩き出す若い男の後ろ姿。強い日差しの水彩
帰省中に大阪で買って、抱えて帰った(イメージ)。

高校生のときから、ずっと欲しかった。だから、めっちゃ嬉しかった。

このコンポ、いまも家で動いています。MDを聴けるのは、もう、これしかないから。

KENWOODのMDコンポの正面。CD/MD high speed dubbing systemの文字と、ボタンとボリュームのつまみ。横にはレコードの棚
KENWOODのMDコンポ。いまも、レコードの棚の横で動いている。
MDは自分で録るメディアだった。市販の音楽MD新譜タイトル数は1997年252、2000年17、2001年1、以後ゼロ。MDの終わり方は2011年9月ソニーがMDウォークマン出荷終了、2013年3月ソニー最後のMD機器、2020年最後のMDデッキ(ティアック)生産完了、2025年2月録音用ディスク生産終了
売っている音楽MDは、早々に消えていた。

あのころのMDは、買うものではなく、録るものでした。売っている音楽MDは、1997年に252タイトル出たのを頂上に、2001年には1タイトル。それから先は、ゼロです。レンタルしたCDを、自分でMDに録る。それが当たり前の使い方でした。

物置の、レコードプレーヤー

寮には、一部屋まるごと物置になっている部屋がありました。

扉のない押し入れに、本やら何やらが山積みになっていて、そのいちばん上に、レコードプレーヤーが無造作に置いてあった。埃をかぶっていたと思います。

いちばん長くいる、寮の主みたいな先輩に訊きました。

それ、もうずっと置いてあるし。とっくに卒業して出ていった誰かが置いていったやつだから、持ってっていいよ。

ひとつだけ、付け足されました。

動くか分からんよ。

再生ボタンを押すと、針が自分で動いてレコードに降りる、フルオートのタイプでした。Technicsのような針圧の調整は、ついていない。ONKYOの、安いほうのプレーヤーだったと思います。

落書きの文字が残る壁の古い学生寮の机の上の、黒い安いフルオートのレコードプレーヤー。再生ボタンを押すと、トーンアームがひとりでにレコードの縁へ動いて降りようとしている。奥にKENWOODのミニコンポの水彩
再生ボタンを押すと、針が自分で降りてくる(イメージ)。

自分の部屋の、オーディオを置いている机に、そのプレーヤーを置きました。

最初にかけたのは、ジャズ研から借りてきた、マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』だったと思います。

鳴らない

ん? あれ? となりました。

針のところから、めちゃくちゃ小さな音が聞こえる。ボリュームを目一杯あげてみたら、なんとか聞こえるくらいの音量にはなった。でも、音がめちゃくちゃ薄い。

ひろし

音、わる。

そう思いました。先輩の「動くか分からんよ」が、頭をよぎった。壊れているのかな、と。

落書きの文字が壁一面に残る古い学生寮の部屋。若い男がKENWOODのミニコンポのスピーカーに耳を近づけて首をかしげている後ろ姿。ボリュームは目一杯で、となりでレコードが回っている水彩
ボリュームを目一杯あげても、薄い(イメージ)。

電気屋さんに行って、訊いてみました。たしか、ヤマダ電機だったはずです。

返ってきた答えは、こうでした。ミニコンポの外部入力には、フォノ端子がない。レコードをつなぐなら、フォノイコライザーというものが別に要る。

ちょうどその店に、ONKYOのフォノイコライザーが、ひとつだけありました。PE-155という、定価1万円の小さな箱です。たしか8,800円くらいだったと思います。その場で買いました。

2000年ごろの家電量販店のオーディオ売り場。棚に一台だけ残った、薄くて横長のシルバーグレーの箱(ONKYOのフォノイコライザーPE-155)に手を伸ばしているところ。まわりにミニコンポとスピーカーが並ぶ水彩
店に、ひとつだけ残っていた、薄いグレーの箱(イメージ)。

つないで、もう一度『カインド・オブ・ブルー』をかけました。

鳴りました。いい音で、びっくりした。

壊れていたのではなかった。足りないものが、ひとつあっただけでした。

フォノイコライザーは、乾物を戻す係

あとになって知ったことを、少しだけ書きます。当時の僕は、何も知らずに買っていたので。

レコードの針から出てくる音の信号は、とても小さい。CDプレーヤーの、およそ50分の1から100分の1です。ささやき声を、そのままアンプに入れていたようなものでした。

それだけではありません。レコードには、音がそのままの形では刻まれていない。低い音は小さく、高い音は大きく、わざと歪めて刻んであります。低い音をそのまま刻むと溝が太くなって入りきらない。高い音を大きくしておけば、聴くときに戻す作業で、針のこすれる音も一緒に小さくなる。

料理でいえば、乾物です。保存に向く形にしてから、刻んである。

台所の白いボウルで、干し椎茸と切り干し大根を水で戻しているところ。となりに戻す前の乾いた椎茸と切り干し大根の水彩
乾物は、水で戻してから使う。

フォノイコライザーは、その乾物を水で戻す係でした。歪めた分を元に戻して、ささやき声をふつうの声の大きさまで持ち上げる。

戻さずに鳴らすと、小さくて、高い音ばかりがシャカシャカ鳴る薄い音になる。あの日の「音、わる」は、壊れていたのではなく、乾物をそのままかじっていただけでした。

フォノイコライザーは何をしているのか。レコードの針の信号は3〜10mVでCDの200〜500mVよりずっと小さい。しかも低音は小さく高音は大きく歪めて刻んである(RIAAカーブ・1954年)ので、聴くときに逆に戻す。戻さずに鳴らすと小さくてシャカシャカした薄い音になる
フォノイコライザーは、乾物を水で戻す係。

朝、コーヒーとレコード

鳴るようになってから、しばらく経ったころの話です。

朝、コーヒーを淹れながら、レコードを聴いていました。

かけていたのは、もっぱらジャズ。マイルスが多かった。『イン・ア・サイレント・ウェイ』が、朝っぽくて好きでした。

レコードの音と、コーヒーの匂いが、一緒になった。その瞬間、ふっと、実家にいるような気がしたんです。

実家では、父のレコードがいつも鳴っていました。子どものころは、聴きにいったわけではなく、ただそこにあった音楽です。それが、富山のボロ寮の朝に、コーヒーの匂いと一緒に戻ってきた。

古い学生寮の一室の朝。落書きの文字が残る壁と二段ベッドの部屋で、机の上のレコードプレーヤーが回り、そのそばでケトルからドリッパーにお湯を注いでいる手元。KENWOODのミニコンポと、カーテンの隙間からの朝の光の水彩
朝、レコードの音と、コーヒーの匂いが一緒になった(イメージ)。

年に一度の、レコード市

レコードを買うのは、もっぱら中古でした。

当時はCDの時代で、新しいレコードはほとんど出ていない。でも、中古のレコードには、CDになっていない音源がたくさんあった。それが、レコードを買う理由でした。

年に一度、富山駅の近くの会場に、中古レコードが山のように並ぶイベントがありました。バイトして貯めたなけなしのお金を握りしめて、行く。まず探して、お金が足りなかったら、そこから厳選する。お金が足りたことは、まずありません。10枚買えたら、いいほうでした。

中古レコード市の会場。段ボール箱にぎっしり並んだレコードを掘る人たちの後ろ姿と、一枚引き抜いてジャケットを眺める手元の水彩
年に一度の、レコード市(イメージ)。

持っていくお金は、1万か2万。一緒に行っていた友達は、3万以上持ってきていました。教育学部の美術科の子で、ほとんどバイトをしていないのに、実家が太い(苦笑)。

買い漁っていたのは、フルート奏者です。ジェレミー・スタイグ、サヒブ・シハブ、クリス・ヒンゼ。それと、マイルスのブートレグ。

『フルート・サミット』というレコードを見つけたときは、嬉しかった。1973年にドイツの音楽祭で、フルート奏者が四人集まって演奏したライブ盤です。CDにはなっていなかったはずで、いまはYouTubeで聴けると思いますが、当時はレコードを見つけるしかなかった。

買ってきたレコードは、MDに録って、ウォークマンで持ち歩きました。レコードで探して、MDで聴く。あのころの、僕の音楽のかたちです。

いま、出雲でレコードを買うなら

島根に移ってTechnicsのターンテーブルを手に入れた僕は、当然、レコードが欲しくなりました。それで、調べました。出雲の、ひいては島根の、レコード店を。

ありませんでした。検索に出てきても、もう店自体が閉まっている。当時の島根には、レコード店がなかったんです。本当に探し回りました。いちばん近いレコード店が、広島。僕はレコードを求めて、広島まで行っていました(笑)。

でも、いまは違います。出雲で買うなら、一択です。北村電機レコード。

電気屋さんなのに、1階にはスケートボードやスニーカー、服がずらりと並んでいて、カウンターでコーヒーも飲める。そんな不思議で素敵な電気屋さんの2階に、数年前、レコード屋さんがオープンしました。中古も新品も揃っています。

北村電機レコード(出雲市渡橋町・出雲ロイヤルホテルの向かい):オンラインショップInstagramThreads

店主の北村さんのXは @EVOLSK8。スケートボードの店のアカウントですが、レコードのこともよく投稿されています。

回転が、合わなくなった

物置のプレーヤーは、長く働いてくれました。ONKYOは、悪くなかった。

そのあと、部屋で回っていたのはソニーのプレーヤーに変わっていて、そちらの回転が、だんだん合わなくなってきた。音程が狂う。ピッチが狂う、というやつです。

島根に移住してすぐのころ、思いました。コーヒーのときと、まったく同じ言葉で。

何でこんなに音程の悪いレコード、聴いてんねん。

回転の合わないレコードプレーヤーの前で、頭を抱えて「何でこんなに音程の悪いレコード、聴いてんねん」と自分にツッコミを入れる男性のマンガ風イラスト

それで、前からずっと欲しかったSL-1200シリーズに乗り換えました。Technicsの SL-1200MK6、中古です。プレミアの値段が付いていました。もし音程が狂っても、スピードを調整するつまみが付いているから、最悪なんとかなるかな。そんなことも、少し思っていました。

コーヒーと違って、お金はかかる。でも、そのころには、中古で買えるくらいには、なんとかなっていました。新品は、そのときは、ありませんでした。

めっちゃかっこよくて、ずっと欲しかった。それで聴くと、やっぱり最高でした。

SL-1200は、1972年から作られてきたプレーヤーで、世界中のクラブの標準機になった機械です。ところが2010年に、生産が止まった。中古の値段は、上がっていったと言われます。復活したのは2016年の秋です。

止まっていたのは、SL-1200だけではありませんでした。Technicsというブランドそのものを、パナソニックは2010年に、いったんやめています。最後の製品のひとつが、このMK6でした。ブランドが戻ってきたのは、2014年の秋。SL-1200が戻ってきたのは、そのまた2年後です。僕がMK6を買ったのは、ブランドは戻っていて、SL-1200はまだ戻っていない、そのあいだでした。

復活したときは、本当にうれしかった。これからも、長続きしてほしいと思っています。

Technics SL-1200MK6に白いレコードが載って回っているところ。青いストロボの光とトーンアーム
Technics SL-1200MK6。

針は、ShureのM44G。DJの定番だった針です。Shureは2018年に針の生産をやめてしまいましたが、日本のJICOという会社が、いまも交換針を作っています。僕のM44Gも、まだ現役です。

SL-1200の年表。1970年SP-10、1972年SL-1200初代、1979年MK2、2002年MK5、2008年MK6、2010年生産完了、2016年SL-1200G/GAEで復活、2017年GR、2019年MK7、2023年GR2
1972年から。生産をやめて、6年後に戻ってきた。
Technics SL-1200MK6に載ったジョン・コルトレーン・カルテット『バラード』のレコードに、小さな子どもの手が伸びているところ
コルトレーンの『バラード』に伸びる、子どもの手。

底なしの沼には、行かない

オーディオの世界には、こんな言い方があります。オカルトと音響は一緒だ。上を見はじめたら、きりがない。

僕は、そこには足を突っ込んでいません。

アンプもスピーカーも、ONKYOです。これには、理由があります。

フォノイコライザーを買ったあの店に、ONKYOのコンポが売っていました。ほかのメーカーのものも、たくさん並んでいた。でも、そのONKYOのコンポの前に立ったときだけ、音が頭の中で鳴っているような感じになったんです。

たまたま置き場所のせいなのか、立ち位置のせいなのか、分かりません。でも何度試してもそうなって、ほかのメーカーの前では、ふつうに聞こえる。

ひろし

ONKYOって、すごいな。

家電量販店のオーディオ売り場で、棚に並んだコンポのうち一台の前に立って聴き入る若い男の後ろ姿。その一台のまわりだけ、音が光の輪のように広がっている水彩
その一台の前に立ったときだけ、音が頭の中で鳴った(イメージ)。

システムを組むお金は、ありませんでした。型番も、残念ながら覚えていません。でも「ONKYOはすごい」だけが頭に残って、それで、型は古くても少しいいものを、中古で買い集めていきました。

アンプは、A-933。セレクターの調子が悪くなった前のONKYO(A-800番台)から、中古で買い替えました。2005年に出た80W+80Wのアンプで、これにはPHONO入力が付いています。スピーカーは、D-202A。1990年代のスピーカーです。

ONKYOのプリメインアンプA-933の正面。セレクターにPHONOの文字
ONKYO A-933。セレクターに、PHONOの文字がある。
ONKYOのスピーカーD-202Aの正面。ツイーターとウーファーのアップ
ONKYO D-202A。コーンの真ん中が、へこんでいる。

このスピーカー、よく見ると、コーンの真ん中が両方ともへこんでいます。子どもが小さいころに、上の子が指で押しました。しばらくして、教えてもいないのに、下の子も同じことをやった(笑)。それで、元に戻らなくなりました。

音は、それで最高です。いまも、それを使っています。

このスピーカーは、先代のアンプのころから使っています。ウーファーの縁のゴムは、一度ダメになって、修理済みです。そこにA-933をつないだ途端、また驚くほど、音が良くなりました。

僕がアンプを選ぶときの基準のひとつは、音量を絞ってもいい音がすること。いい機材は、音を小さくしても、いい音で鳴り続けます。

組み合わせなんて、ひとつも考えずに買った二台です。あとで調べたら、数字の上でも相性のいい組み合わせでした。たまたまでも相性が良かったのは、なんだか嬉しい。

あの日ヤマダ電機で買ったPE-155も、いまも手元にあります。

ONKYOのほうは、2022年に会社(オンキヨーホームエンターテイメント)が倒産しました。ブランドは海外の会社に引き継がれて名前は残っていますが、PE-155のようなフォノイコライザーは、もう新品では買えません。少し、悲しい。

自分なりに満足できるシステムがあって、その上でレコードが回っていれば、それでいい。そういう距離感です。

……と、格好よく書いておいて、白状します。オーディオの沼には足を踏み入れなかったのに、カメラのレンズ沼には、どっぷりはまってしまいました(笑)。苦しい言い訳をしておくと、富士フイルムのAPS-Cサイズのレンズで収まっているので、被害総額はまだ少ないほうだと思っています。だけど、XFレンズは、ほとんど集めてしまいました(苦笑)。

日本のアナログレコード生産枚数の棒グラフ、2000年から2024年。2000年191.4万枚から下がり続け、底は2009年10.2万枚。そこから増えて2024年は314.9万枚
日本のアナログレコード生産枚数。底は2009年、2024年は15年前の30倍。

レコードは、いま戻ってきています。日本でいちばん少なかったのは2009年で、年に10万枚ほど。2024年は、315万枚。15年で30倍です。

僕が集め始めたのは、その坂を下っていたころでした。買い替えたのは、戻り始めたころ。そういう時代に、たまたま立っていた。

面白いのは、このグラフと、さっきのSL-1200の年表が、きれいに重なっていることです。レコードがいちばん少なかった2009年の翌年に、SL-1200は止まった。レコードが戻り始めてから、SL-1200も戻ってきた。機械は、聴く人がいるところにしか、戻ってこない。

それが、僕のレコードライフの始まりだった

物置の押し入れに、埃をかぶって置いてあったプレーヤー。

「持ってっていいよ」と言ってくれた先輩。

鳴らなくて、電気屋で教わって、8,800円の箱をひとつ足したら鳴った、あの日。

それが、僕のレコードライフの始まりでした。

いまも朝は、レコードをかけて、豆を挽いて、一杯淹れます。順番は、あのころから変わっていません。音楽が先で、コーヒーが後。

僕のレコードライフの年表。大学1年の夏にKENWOODのMDコンポ(3万8,000円)、同じころ寮の物置のプレーヤー(0円)、その日に鳴らなくてONKYO PE-155(8,800円)、しばらくして朝のコーヒーとレコード、大学時代は年に一度のレコード市、そのあと部屋のプレーヤーはソニーに、2016年にTechnics SL-1200MK6(中古)、いまはA-933とD-202AとKENWOODとPE-155
いっぺんに揃ったわけじゃない。順番があった。

この記事で紹介したもの

ここまで読んで、レコードをやってみたくなった人へ。五つだけ、置いておきます。買うところではなく、まず話を読んでもらえたらうれしいです。

針が自分で降りる、入門用のプレーヤー

僕が物置でもらったのと同じ、フルオートのタイプです。再生ボタンを押すと、針が自分で動いて、降りる。いちばん違うのは、フォノイコライザーが最初から中に入っていること。あの日の「鳴らない」は、これでは起きません。2026年9月時点で、1万円台の後半でした。

SL-1200の、いまの形

僕のMK6は生産が終わっていて、いま新品で買えるのはMK7です。見た目も、回転を合わせるつまみも、そのまま。2026年9月時点で、12万円台。憧れの機械は、憧れの値段でした。フォノイコライザーは入っていないので、アンプにPHONO端子がなければ、あの箱が要ります。

僕の針の、いまの形

Shureの本体はもう新品では買えませんが、M44G用の交換針は、JICOが作り続けています。針先だけ替えれば、あのカートリッジは、まだ鳴ります。2026年9月時点で、6,000円台でした。

カートリッジごと替えるなら、同じJICOが、M44Gの復刻モデルを出しています。J44Dという名前です。僕はまだ使っていませんが、M44Gは本当にいい針だったので、その形をそのまま受け継いだこれも、きっといいものになっていると思っています。2026年9月時点で、1万円台の後半でした。

最初の一枚は、これでした

物置のプレーヤーで最初にかけて、8,800円の箱を足してもう一度かけた、あのレコード。いまも、新しいプレスが手に入ります。

今日の一曲

マイルス・デイヴィスで、「So What」。

『カインド・オブ・ブルー』の一曲目。物置のプレーヤーで最初にかけて、鳴らなくて、8,800円の箱を足して、いい音でびっくりした。全部、この曲でした。

公式チャンネルに、1959年にテレビ番組で演奏した「So What」の映像があります。白黒の映像で、マイルスの隣で、コルトレーンが吹いています。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。