プロフィール|ひらがなの方の、ひろしです
はじめまして。
ひらがなの方の、ひろしです。
ありきたりな名前で、昔は「なんでもっとかっこいい名前にしてくれんかったん?」と親を恨んだ時期もありました。
でも今は、とてもいい名前だと思っています。ありきたりだから、誰でもすぐに覚えられる。ありきたりだから、ネットの上ではほどよく紛れられる。
漢字にすると紛れられなくなるので——ひらがなの、ひろし、です。
イタリア料理の現場に立って、20年あまり。
いまは島根県出雲市で、家族と暮らしながら、出張ケータリングを中心に料理を続けています。
このページでは、僕がどこで何をしてきたのか、そしてこのブログをどういう決まりで書いているのかをお話しします。
通ってきた現場
大学時代を富山で過ごし、魚のおいしさに出会いました。
国立大学を出て、まわりにさんざん反対されながら、まったく未経験の料理の世界へ。ここから一本の道です。
viva la vita(ヴィヴァ・ラ・ヴィータ)
未経験で飛び込んだ最初の店。まかない担当から始まり(その話)、やがてワイン選びを任されるように。卸専門店カーヴロンドの浅野さんに、ワインのいろはを教わりました(この話は、いつか記事に)。夢中で働きすぎて、体のいろんなところに不調が出た時代でもあります(手荒れの話)。
パン屋
短い期間でしたが、この間に手荒れが治りました。粉と窯の仕事は、のちのピッツァにもつながります。
via roma 23(ヴィア・ローマ・ヴェンティトレ)
ローマ出身のシェフ、ダビデの店。本物のイタリアの食材と、言葉と、文化に触れました。「ニンニクは色をつけない」も「仕事は楽しんでやる」も、ここで教わったことです。僕のイタリア料理が、一度壊れて、作り直された場所。
ピソリーノ(AVPN=真のナポリピッツァ協会 認定店)
魚の仕入れと下処理を任され、おまかせ仕入れの発泡箱を毎回どきどきしながら開けていました。料理長として、4店舗のメニュー・仕込み・レシピを担当。職人の勘だったピッツァ生地を数字で安定させる方法を考えたのもこの頃です。月に一度のラ・スカーラに通ったのも、この時代。いろんな意味で、いちばん勉強した時期かもしれません。
ワイナリーのレストラン シェフ
日本で一番小さいと言われるワイナリーで、シェフを務めました。学んできたことの実践の場。それでも自己修行は続きます——東京への武者修行(この話も、いつか記事に)、カイノヤさんでの勉強。
La Fenice(ラ・フェニーチェ)
独立するときの店の名前は、大学生の頃からずっと考えていました。でも実際に決めたのは、考えていたどの案でもなく——父がやっていた店の名前を、イタリア語にして受け継ぐことでした。不思議と、迷いはありませんでした。
そして今は、出張ケータリングが中心です。お皿は持っていきません(その理由)。決まった道具や食材がなくても、その場にあるもので料理できる人でありたいと思っています。
このブログの、3つの決まり
1. 経験と、資料を分けて書きます。
僕が現場でやってきたことと、厚生労働省などの公的資料で確認できたことを、混ぜません。正解かどうか分からない試行錯誤は、「分からない」と書きます。
2. 悪者を、作りません。
道具や食材を比べるとき、優劣ではなく「役割の違い」で書きます。安い道具にも、高い道具にも、それぞれの一番があります。
3. 記事の最後は、一曲で締めます。
音楽がいつでもそばにいてくれたので。「今日の一曲」の由来はこの記事に書きました。
家で使っている道具
紹介する道具は、現場で20年使ってきたものと、いま家で実際に使っているものだけです。
ミソノ包丁おすすめ3本|20年使い続ける料理人が、選び方まで解説
毎日握っている包丁の話。
フライパンの選び方|料理人が現場で使い分けてきた、アルミ・鉄・ステンレス
素材ごとの「役割の違い」で選びます。
料理は、「何度で、何分」|料理人が実際に使う温度計、3タイプ
勘より、温度計。
写真のこと
写真も20年、撮り続けています。
料理の写真はFUJIFILMのカメラで、自分で撮っています(機材の話)。このブログの料理写真は、すべて自分の現場と台所のものです。
家族のこと
妻と、息子がふたり。
息子たちが作ったお話を、絵本の記事にしています(兄の絵本・弟の絵本)。
子どもたちの顔と名前は、出さないと決めています。
さいごに
2020年、コロナ禍の自粛のなかでこのブログを始めました。
当時の自己紹介は、そのまま残してあります。あのときの自分も、いまの自分の一部だからです。
美味しくする技術より先に、美味しさを落とさない技術を。
覚える保存術ではなく、理由が分かれば自分で判断できる料理を。
そんな記事を、これからも一つずつ書いていきます。
どうぞ、よろしくお願いします。









