むね肉は、本当にパサつくのか?|鶏肉を洗わない理由と、部位ごとの火入れ
― この記事について ―
鶏肉は、洗いません。でも、この記事は「洗うな」で終わりません。むね・もも・ささみを「同じ肉」として扱っていいのか——丸鶏を一羽さばいてカチャトーラを作った日の話まで、鶏肉の扱い方を最初から考え直します。
こんばんは、ひろしです。
今日は、鶏肉の話です。前半は衛生の話、後半は火入れの話——最後には、この二つがひとつに繋がります。
先に、結論だけ
・鶏肉は、洗わない。菌は「落とす」ではなく「広げない」
・むね肉は、パサつく肉なんじゃない。もも肉と同じように火を入れると、パサつきやすい肉なんだと思う
・部位が違えば、同じ一羽でも火入れは変わる

鶏肉は、洗わない

鶏肉を買ってきて、料理を始める。ここで最初にやることは、鶏肉を水で洗うことでは、ありません。僕は、洗いません。農水省もはっきり書いています——肉を洗ったときの水がはねると、飛び散った食中毒菌がシンクや周りの食材を汚染する可能性がある、と。
アメリカの農務省が面白い実験をしています。生の鶏肉を洗った人のシンクを調べたら、60%から菌が検出された。しかもその後シンクを洗って消毒したつもりでも、14%にはまだ残っていた。イギリスでは食品基準庁が「生の鶏肉を洗わないで」というキャンペーンまでやっていて、テレビ番組の制作会社に「料理番組で鶏肉を洗うシーンを流さないでほしい」と要請したそうです。
汚れやドリップが気になるときは、キッチンペーパーで拭き取る。これが公式の推奨で、僕のやり方でもあります。洗うのは肉ではなく、そのあとの手と道具です。
菌の詳しい話——なぜ鶏肉が特別なのか、新鮮でも安全ではない理由——は、カンピロバクターの記事に書いたので、ここでは繰り返しません。
洗わないなら、どう扱う?
やることは、特別なことではありません。
- パックを開ける(買い物の時点で、肉はポリ袋に入れて汁を漏らさないのがスタートです)
- 気になる水分やドリップは、キッチンペーパーで拭き取る
- 必要な大きさに切る
- 生肉に触れた包丁とまな板を、洗剤で洗って熱湯をかける
- 手を、きちんと洗う
まな板は、肉用と野菜用を分けられればベストです。でも厚労省の言い方も「使い分けるとさらに安全」——必須ではありません。1枚しかないなら、野菜を先に切って、肉を最後に。それだけで十分に理にかなっています。
特別な道具より、当たり前のことを確実に。ここまでが、衛生の話です。
そして——鶏肉について考えていくと、もうひとつ、面白いことがあるんです。
むね肉と、もも肉の違いすら、よく分からなかった
料理の仕事を始める前の僕は、もも肉・むね肉・ささみの違いを、深く考えたことがありませんでした。「むね肉は安い」「むね肉はパサつく」「もも肉はジューシー」。その程度の印象です。
でも料理を続けるうちに、考えるようになりました。本当に、むね肉そのものが「パサつく肉」なのか? もも肉と同じように火を入れているから、パサついているだけなんじゃないか?
調べてみたら、この仮説には、ちゃんと裏付けがあることが分かりました。
むねは短距離走の筋肉、ももはマラソンの筋肉

むね肉は、鶏の胸の筋肉——飛ばない鳥が羽ばたくときに使う、瞬発力の筋肉(速筋)です。いっぽう、もも肉は一日じゅう歩き続けるための、持久力の筋肉(遅筋)の割合が高い。
マラソン用の筋肉には、酸素を蓄えるための赤い色素(ミオグロビン)と、燃料になる脂肪が多く含まれます。むねが白く、ももが赤いのは、この違いです。そして食肉の研究では、遅筋の割合が高い肉ほど、保水性と多汁性——つまりジューシーさ——が高いことが分かっています。
数字でも見てみます。食品成分表(100gあたり・生)から抜くと——
| 部位 | 水分 | 脂質 | たんぱく質 |
|---|---|---|---|
| むね(皮つき) | 72.6g | 5.9g | 21.3g |
| むね(皮なし) | 74.6g | 1.9g | 23.3g |
| もも(皮つき) | 68.5g | 14.2g | 16.6g |
| もも(皮なし) | 76.1g | 5.0g | 19.0g |
| ささみ | 75.0g | 0.8g | 23.9g |
(日本食品標準成分表2020年版(八訂)・にわとり若どり・生より)

面白いのは、水分です。皮なしで比べると、水分はもも肉のほうが多いんです。「むねは水分が多いから抜けてパサつく」という説明を見かけますが、成分表とは合いません。
差がはっきりしているのは、脂です。皮つきで比べると、もも14.2gに対して、むね5.9g。皮なしなら5.0g対1.9g。ささみに至っては0.8g。もも肉のジューシーさの正体は、まず脂と、マラソン筋肉の保水力なんです。
パサつきの正体——水を押し出すスイッチ
肉のタンパク質は、温度が上がると縮みます。とくに66℃あたりから変性が始まるアクチンというタンパク質が縮むと、筋肉の繊維が抱えていた水分を、ぎゅっと押し出してしまう。ある実験では、加熱の到達温度が数℃違うだけで、失われる水分が倍近く変わったという報告もあります。
ここで、さっきの表に戻ります。同じように水分が押し出されたとき——もも肉には、それを補う脂と保水力がある。むね肉には、ない。だから同じ火入れで、むねだけがパサついた印象になる。
つまり、こういうことだと思うんです。むね肉は、パサつく肉なんじゃない。もも肉と同じように火を入れると、パサつきやすい肉なんです。悪いのは肉でも腕でもなく、「全部同じ肉だと思って火を入れること」でした。
丸鶏のカチャトーラは、時間差で鍋に入れた

この考え方を、いちばん分かりやすく形にした料理があります。以前、丸鶏を一羽さばいて、カチャトーラ(猟師風の煮込み)を作ったときのことです。
一羽を部位ごとに分けて、骨はブロード(だし)に。そして肉は、全部を一緒に鍋に入れませんでした。
まず、もも肉。しばらくしてから、むね肉。そして最後の最後に、ささみ。火の通り方と部位の性質を考えて、鍋に入れるタイミングをずらしたんです。
結果、もも肉だけでなく、むね肉も、ささみも、それぞれパサつかずに、一皿になりました。一羽をひとつの料理にするからといって、全部を同時に加熱する必要は、ないんです。
「むね肉=パサつく」のイメージは、唐揚げのせいかもしれない

ここからは、僕の仮説です。
唐揚げには、もも肉もむね肉も使われます。むね肉の唐揚げが好きな人もいるし、どちらが上という話ではありません。ただ、一般的な唐揚げでは、ももでもむねでもだいたい同じ温度・同じ時間・同じ工程で揚げられることが多い。
同じ条件で火が入ったとき、脂のあるももはジューシーに感じやすく、脂のないむねはパサついた印象になりやすい——それが積み重なって、「むね肉=パサつく肉」というイメージができたんじゃないか。僕は、そんな気がしています。
もも肉とむね肉を同じように調理して、結果だけを比べるのは、ちょっと不公平だと思うんです。短距離走の選手とマラソン選手を、同じレースで走らせているようなものなので。
じゃあ、むね肉はどうするか

性質が分かれば、工夫はシンプルです。
- ソミュール(塩水)に漬ける——塩がタンパク質を溶かして、水分を抱え込む網目を作ってくれます。うちの鶏むねが届き次第ソミュールに入るのは、このためです。レシピはカンピロバクターの記事に載せた、ワイナリー時代の実物があります
- 厚みを揃える——火の通りを均一にする、いちばん地味で効く工夫
- 火を入れすぎない——水を押し出すスイッチ(66℃〜)の手前で仕上げる意識。余熱を使う。低温調理をするなら、安全の枠組みごと低温調理の記事を読んでください
いっぽう、もも肉は多少攻めても脂が守ってくれます。唐揚げも煮込みも、ももの得意分野。部位の性質に合わせて、火入れを変える。それだけのことでした。
まとめ ― 「この肉は、どんな肉なのか」
最初は、「鶏肉を洗うか、洗わないか」という話でした。
でも、鶏肉を丁寧に扱うというのは、衛生だけの話ではありません。生の鶏肉は洗わず、菌を台所に広げない。そして火を入れるときは、むね・もも・ささみを「全部同じ肉」だと思わない。それぞれ違う筋肉だから、それぞれに合った扱い方をする。
細かい温度や時間を暗記するより、「この肉は、どんな肉なのか」と一度考えてみる。短距離走の筋肉なのか、マラソンの筋肉なのか。それだけで、台所の鶏肉は、けっこう変わると思います。
今日の1曲
今日の一曲は、ジャコ・パストリアスのビッグバンドで「The Chicken」(Live in Japan 1983)。
鶏肉の記事なので、「The Chicken」。ファンクの名手ピー・ウィー・エリスが書いた曲を、史上最高のベーシストが暴れながら演奏する、ライブの定番曲です。あのベースの弾みは、一度聴いたら台所で口ずさんでしまうと思います。
ちなみにこの曲、インストゥルメンタル——歌詞がありません。歌詞の載せ方を考え直していた矢先に、偶然にも歌のない一曲。こういう偶然、嫌いじゃないです(笑)。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、おやすみなさい。









