― この記事について ―

弱火が正しいわけでも、強火が正しいわけでもありません。何を作りたいのか、その完成形から逆算して、熱を決める。20年以上料理をしてきて、僕がいまそう考えるようになるまでの話です。

こんばんは、ひろしです。

今日は、火加減の話をします。

といっても「これは強火、これは弱火」という一覧を作る記事ではありません。むしろその逆で、そういう覚え方をやめた話です。

コトコト煮込むのが、正しいと思っていた

料理を始めたころの僕は、時間をかけることが、そのまま美味しさになると思っていました。

煮込みはコトコト長時間。出汁は低い温度でじっくり。焼くときも、弱火を大切に。強い火は、乱暴なものだと思っていた節があります。

強火で、なんでもやる先輩がいた

昔の職場に、正反対の人がいました。

「強火でやれば何でも早くできる」「煮込みも強火なら早く煮詰まる」。そういう考え方の先輩でした。

実際にその人の料理を食べてみて、僕は「これは違う」と感じました。ただ、誤解のないように書いておきたいのですが、その人が嫌いだったわけではありません。

むしろ人間としては、好きな部類です。一緒に働くのは、正直しんどい部分もありました。でも何年ぶりかに、わざわざ遠方から会いに来てくれたことがあります。一緒に食事をして、飲んで、話して。翌日はお店まで、僕の料理を食べに来てくれました。

話していて楽しいし、基本的に、いい人なんです。ただ、その人の作る料理は、僕が目指したい料理ではなかった。それだけのことです。

それに、もしあの人の料理がものすごく美味しかったら、僕も強火至上主義になっていたかもしれない。そのくらいのことだと思っています。

ただ、あのとき「これは違う」と感じたことが、「そもそも火加減って何なんだろう」と考えるきっかけになりました。

アーリオ・オーリオは、香りを油へ移す仕事

オリーブオイルの中のニンニクから香りが油へ渦を巻いて移っていく図。目的は香りを油へ移すこと

目的は、香りを油へ移すこと。強い火だと、移りきる前にニンニクが焦げます

いちばん分かりやすい例から書きます。

アーリオ・オーリオでニンニクを加熱するとき、目的はニンニクを色づけることではありません。ニンニクの香りを、オリーブオイルへ移すことです。

強い火にかけると、香りが油へ移りきる前に、ニンニクのほうが先に焦げはじめる。だから穏やかに加熱します。

でも、これを「弱火が正しい」と覚えてしまうと、たぶんどこかで間違えます。目的は弱火にすることではなくて、欲しい香りを油へ移すこと。時間をかけるほど良い、という話でもありません。

澄ませたいのか、白く濁らせたいのか

同じ鶏ガラの鍋を強火と弱火で炊き比べた図。強火は白く濁り、弱火は澄む。澄ませたいのか濁らせたいのか、先に決める

同じ鍋、同じ材料。火加減だけで、白湯にも澄んだスープにもなります

スープになると、もっとはっきりします。

鶏ガラでスープを取るとき、澄んだスープにしたいのか、濃厚で白いスープにしたいのかで、火の入れ方が変わります。

強く沸騰させ続けると、脂と、骨から溶け出したタンパク質が細かく混ざり合って、濁ります。澄ませたいなら、それは避けたい。

でも豚骨の白湯は、その濁りこそが目的です。強く炊いて、脂を細かく砕いて、白く仕上げる。

同じ「沸騰させた」でも、片方では失敗で、片方では成功なんです。沸騰させたから失敗、濁ったから失敗、ではない。

アクは、旨味ではなかった

ブロードの鍋からアクをすくう手と、虫めがねの中に脂の粒が見える図。アクの大部分は脂でした

肉のアクを分析した研究では、大部分は脂でした

ここで、僕自身が思い込みを持っていたことを書いておきます。

修業中、アクはしっかり取るように教わりました。鶏のブロード——イタリアンの出汁です——は何にでも使うので、毎回大鍋で大量に仕込みます。アク取りだけでもかなりの仕事で、僕は熱心に取っていました。

ところが同じ人から、こうも言われたんです。「野菜のアクは旨味が含まれてるから、取らなくてよし。茄子のアクは、きちんと取って」

それ以来、僕の中では「野菜のアクには特別に旨味がある」という認識ができあがっていました。強火でアクごと炊き込んで濁らせるようなやり方があると知ったのは、もっと後のことです。

今回この記事のために調べ直したのですが、「アクには旨味がある」と言える一次データは見つかりませんでした。肉から出るアクを分析した研究では、アクの大部分は脂だという結果が出ています。タンパク質のうちアクへ移るのはごくわずかでした。野菜のアクについては、そもそも分析した研究がほとんど見つからず、「旨味がある」と言える根拠にはたどり着けませんでした。

とはいえ、これも「アクは全部取れ」という話ではありません。何を作りたいかで、どこまで取るかは変わります。僕が言いたいのは、「アクには旨味がある」という言い伝えを、そのまま信じていた自分がいたということです。

昆布は「60℃で1時間」が正解か

水出し・60℃・煮出しの三つの昆布出汁を並べた図。味はほぼ同じで、違いは味より香り

水出しも、60℃も、煮出しも。味はほぼ同じで、分かれるのは香りでした

もうひとつ。「昆布は60℃くらいでじっくり」という話も、よく知られています。

これも調べてみました。60℃で1時間かけて引いた出汁と、伝統的なやり方——沸騰する直前まで温度を上げて引き上げる方法——を比べた研究があるのですが、比較した研究者自身が「差は見られない」と結論づけていました。

面白いのは、別の分析です。北海道の研究機関が、水出し(5℃で12時間)・煮出し・60℃で1時間の三つの取り方を比べたところ、味の成分では、どの取り方かを区別できませんでした。グルタミン酸もマンニトール(昆布の表面の白い甘味成分)も、共通して出ていたからです。

差が出たのは香りでした。熱をかけた二つ——煮出しと60℃——には共通の香気成分が立っていて、水出しとはそこで分かれた。つまりこの研究の結論はこうです。「取り方の違いは、味の違いというより、主に香りの違い」

これは現場の感覚とも合います。取り方を変えたとき、変わったと感じるのは、旨味の強さそのものより、立ちのぼるものの印象だったりする。

だから僕は、「昆布は絶対に60℃で取るべき」とは書きません。どちらも成立します。何を出したいかで選べばいい。

肉には、二種類の「柔らかい」がある

ここが、今日いちばん書きたいところです。

始めたころの僕は、「鶏肉は火を入れすぎないほうが柔らかい」と考えていました。若鶏なら、水分を残して、しっとりと。これは、いまでも一つの正解です。

スライスした鶏胸肉の図。水分を残した、しっとりの柔らかさ

若鶏の胸肉。水分を残した、しっとりの柔らかさ

でも続けるうちに、その先にある、別の柔らかさを知りました。

骨付きの鶏を、適切な温度で、十分な時間かけて火を入れる。すると骨離れがよくなって、ほろっと崩れて、繊維がほどけていく。これも間違いなく「柔らかい」です。

骨付き鶏もも肉をフォークでほぐす図。時間をかけて、ほどける柔らかさ

骨付きの腿。時間をかけて、繊維がほどける柔らかさ

この二つは、別物です。

ひとつは、水分を残した柔らかさ。もうひとつは、結合組織を十分に加熱してほどけた柔らかさ。狙うものが違えば、当然、熱の与え方も変わります。

親鶏や地鶏、ジビエは、結合組織がしっかりしています。短い加熱だけでは、硬い、筋っぽい、で終わってしまう。時間を使ってその組織を変化させると、まったく別の柔らかさが作れます。

この話には、日本の研究がそのまま裏付けをくれました。若鶏と、卵を産み終えた廃鶏の肉を比べた1996年の論文です。腿肉のコラーゲンの「量」には差がないのに、熱で溶ける割合は約19%から約10%へ半減していました。量ではなく、コラーゲン同士の結びつき方が違う。論文自身が「廃鶏は長く煮込んでゼラチン化させるのが適している」と書いています(阿部ら・日本食品科学工学会誌 1996)。

豚バラのポルケッタは、二時間から三時間

僕自身の料理で、いちばん考え方が変わったのがポルケッタです。

そもそも本場のポルケッタは、皮付きの豚の丸焼きです。イタリアでは丸ごと焼いたものが台に載っていて、その場で切り分けてくれます。パリパリの皮も、一緒に。

イタリアの皮付き丸焼きポルケッタ。木の台の上で切り分けている

イタリアで食べた、皮付きの丸焼きポルケッタ

ただ、皮付きの豚肉は、日本ではなかなか手に入りません。日本の食肉処理は皮を剥ぐやり方が標準で、皮付きに仕上げられる処理場が少ないからです。背景には、赤身を好んで、皮を食べる文化が本土になかったことがあります。

例外は沖縄です。ラフテーやソーキのように皮ごと食べる文化が根付いているので、皮付きの三枚肉が普通に流通している。食べる文化があるところには、それに合わせた流通がある。火加減の話とは少しずれますが、これも「正解はひとつじゃない」という話だと思っています。

だから僕は、手に入る部位で、この料理をどう作るかを考えてきました。

最初は豚の肩ロースで作っていました。切り込みを入れてローズマリーを挟み、火を入れすぎないように焼く。しっとりと柔らかくて、美味しかった。

切り込みにローズマリーを挟んだ豚肩ロースのポルケッタをスライスして盛り付けた皿

肩ロースのポルケッタ。切り込みにローズマリーを挟んでいます

その後、豚バラ肉で別のやり方を試しました。塩、ニンニクのみじん切り、ローズマリー、フェンネルパウダー、刻んだフェンネルシード。巻いてタコ糸で縛って、最初に表面へ焼き色をつけてから、オーブンへ。

温度は控えめに、時間を長く。最低でも二時間、ときには三時間。表面が焦げそうならアルミホイルで守ります。

そして大事なのは、仕上がりの目安が時間ではないことです。竹串がスッと入るかどうかで見ます。

これが非常に柔らかく仕上がって、以来、僕のポルケッタはこちらが主役になりました。「火を入れすぎないほうが柔らかい」という自分の前提が、ここで一度ひっくり返っています。

ハーブを巻き込んだ豚バラのポルケッタの断面。黒い皿の上

豚バラのポルケッタ。ハーブを巻き込んで、二時間から三時間

⚠️ 豚肉は、日本では中心部を63℃で30分、またはこれと同等以上加熱することが求められています。ここに書いたのは僕の作り方の話で、安全の目安を示したものではありません。ご家庭で作るときは、この基準を確認してください。

「焼いて肉汁を閉じ込める」を、調べてみた

1847年の本の茹でる挿絵と、鉄鍋で香ばしく焼けたステーキの図。閉じ込めてはいない、でも香ばしさは本物

出どころは1847年の「茹でる」話。それでも、焼いた香ばしさは本物です

僕が最初に教わったことのひとつに、「表面を焼いて肉汁を閉じ込める」があります。ずっとそう思ってきました。

これも調べました。結果は、正直なところ意外でした。

「焼いたほうが加熱による水分の損失が少ない」ことを示した実験は、見つかりませんでした。そして、この説の出どころとされる1847年の文献の原文を確認したら、あれは「茹でる」ときの話で、防いでいたのは”外の水が入ってくること”でした。

とはいえ、だから表面を焼く意味がない、という話ではありません。焼くことで生まれる香ばしさ、あの香りと色は、はっきりと料理の一部です。僕は今も表面を焼きます。理由が「閉じ込めるため」ではなくなった、というだけです。

名前は、あとから付いてきた

いまケータリングで和牛を焼くとき、僕はこうしています。

余分な水分を抜いて、味を入れて、低い温度で二時間ほどかけて中心まで狙った状態にする。そして提供の直前に、表面だけを強く焼く。

自分で試行錯誤してたどり着いたやり方だったのですが、これに「リバースシア」という名前があると、最近になって知りました。先に低温、あとから高温。逆から焼く、という意味です。

和牛ランプを54℃で2時間火入れし、最後にフライパンで表面だけ焼く工程の図

先に低温で中心を仕上げて、最後に表面だけ焼く。ガストロバックの記事でも紹介した焼き方です

ただ、「だから肉は全部これでいい」とは、まったく思いません。

さっきの豚バラのポルケッタが、そのまま反例です。あれは結合組織がほどけるまで長時間焼いているので、非常に柔らかい。最後に強く焼こうとすると、崩れます。タコ糸が食い込んで、扱いにくくもなる。

形がしっかりした肩ロースのポルケッタなら、最後に焼く方法も成立するかもしれません。最初に焼くのが正しいのでも、最後に焼くのが正しいのでもない。作りたいものによって決まります。

急げない工程が、ある

アンチョビの塩漬けの瓶とパルミジャーノと砂時計。時間をかけなければ起こらない変化がある、の図

時間をかけなければ、起こらない変化がある

時間についての考え方も変わりました。

始めたころは、時間をかけること自体に価値があると思っていました。いまは違います。急いでいい工程もあるし、強い火が必要な工程もある。

そして、時間をかけなければ起こらない変化もあります。

分かりやすいのは熟成です。片口イワシを塩漬けにして待つ時間も、パルミジャーノ・レッジャーノが何年もかけて変わっていく時間も、温度を上げれば短くできる、という種類のものではありません。

最近のケータリングでも、脱水シートで余計な水分を抜いて、味を入れて、というところに、どう頑張っても急げない工程があります。急げないものを急ぐと、品質が落ちる。

だからいまは、「時間をかけたほうが美味しいか?」ではなく、「この工程には、時間が必要なのか?」と考えるようになりました。

まとめ ― 完成形から、逆算する

「強火と弱火、結局どちらが正しいのか」。

僕の答えは、「どちらも正しくなるし、どちらも間違いになる」です。

白濁した豚骨スープと澄んだコンソメを天秤の両側に置いた、どちらも正しいことを示す図

白い豚骨スープと、澄んだコンソメ。どちらも正しい火加減です

アーリオ・オーリオは香りを油へ移すために。肉の表面は香ばしさのために。若鶏は水分を残すために。親鶏やジビエは、時間で結合組織をほどくために。澄んだスープは激しく沸かさず、白いスープは強く炊く。熟成は、そもそも高温で時短が成立しない。

全部ばらばらに見えますが、共通していることがひとつあります。

まず、どう仕上げたいかを決めている。

そこから、温度と、時間と、熱の強さと、いつ強くしていつ弱くするかが決まる。順番が逆になることは、ありません。

料理は、「強火か弱火か」を覚えることではないと思っています。完成形から逆算して、必要な熱と時間を選ぶこと。僕にとっての火加減は、そういうものになりました。

完成した一皿から鍋・フライパン・砂時計へ矢印が伸びる、完成形から逆算する図

完成形から、逆算する

今日の1曲

山崎まさよし「お家へ帰ろう」です。

1998年の曲で、ハウス食品のシチューのCMソングでした。覚えている方も多いと思います。

暮れてく 街角にちょっとずつ明かりが灯ったら
冷たいつむじ風で月も涙で滲んだら
お家へ帰ろう シチューを食べよう
それぞれの願いが 温ったまって
冬の空に立ち上ってゆく
お家へ帰ろう シチューが待ってるから
ほんの少しだけ手間かけて
思い出はやがて雪になる

山崎まさよし「お家へ帰ろう」(作詞・作曲 山崎まさよし)より

ほんの少しだけ手間かけて」。

この一行が、今日書いてきたことの、いちばんやさしい言い方だと思います。

シチューは、強火でガンガン炊く料理ではありません。ルーを入れたら火を弱めて、焦がさないように、とろみが付くまで。あの一皿にも、ちゃんと火加減の設計が入っています。誰に教わらなくても、シチューが待っている家では、みんなそれをやっている。

プロの厨房の話を長々と書いてきましたが、行き着く先は同じです。どう仕上げたいかが決まっていれば、火は自然と決まる。帰る家が決まっている人の足取りと、同じです。

今夜が寒かったら、シチューをどうぞ。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。

それでは、おやすみなさい。