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このブログの記事の終わりには、いつも「今日の一曲」を置いています。

その理由を書いた前の記事で、ぼくはこんなことを書きました。
――世の中には、すべてに、うたがある、と。

(その記事はこちら → 世界は、歌でできている

では、そんなふうに考えるぼく自身は、いったいどこから音楽を好きになっていったんだろう。

書きはじめてみたら、思い出がぽろぽろと出てきました。
少し長くなりますが、ぼくの音楽遍歴を、ここに残しておこうと思います。

音楽は、いつもそばにあった

振り返ってみると、ぼくの子ども時代は、家のどこかでいつも音が鳴っていました。

父のレコードと、姉のピアノと、妹が口ずさむメロディと。

自分から聴きにいったわけじゃない。ただ、そこにあった。
――音楽は、いつもそばにあった。

父のレコードと、踊る休日

父が、音楽好きでした。

休みの日になると、リビングに父の好きなレコードがかかっていました。
カーペンターズビートルズポール・モーリアリチャード・クレイダーマン

父がリビングに据えていた、大きなオーディオセットのイラスト
父が、リビングに据えていたオーディオ。
(覚え描き)

あのころの父のオーディオは、けっこう大きくて、立派なものでした。
木目の箱に、左右にスピーカー、まんなかに針の落ちるターンテーブル。

ぼくが大きくなるころには、もう撤去されてしまったけれど。

赤ちゃんだったぼくは、電源が入っていないのをいいことに、ボリュームのつまみを、いちばん右まで回しきっていたことがあるそうです。

知らずに電源を入れた父が、ものすごい音にびっくりした、という話を、何度も聞かされました。

ラジオのチューナーや、ボリュームのつまみを、まるで飛行機の操縦桿でも回すみたいに、ぐるぐる回していた記憶は、なんとなく、ぼくの中にも残っています。

レコードの針を、ぐにゃりとダメにして、父を泣かせたこともあるらしい。
――これは、自分ではまったく覚えていないけれど。

ひろし

……ほんと、ごめん、父さん(笑)

言葉の意味なんて分かるはずもなかったけれど、ぼくは父の隣で、音に合わせて踊ったり、適当に歌ったりしていたと思います。

いまでも、あのころのメロディが、ふっと耳の奥でよみがえることがあります。
聴いていたというより、空気のように吸っていた、という感じ。

青春時代の父と母がお寺の門前で並んで撮ったセピア調の古い写真
ずっと若いころの、父と母。
父が集めていたレコードを床に並べて眺めるイラスト
カーペンターズ、ビートルズ、ポール・モーリア、リチャード・クレイダーマン。

姉のピアノ、妹の耳

姉とぼくの幼いころのスナップ写真(お揃いのTシャツ姿)
姉と、ぼく。

姉は、小さいころからクラシックピアノを習っていました。

大阪音楽大学付属音楽幼稚園にバスで通って、そのまま大阪音楽大学に進みました。
いまは、ピアノの先生をしながら、ホールやお店でも弾いています。

妹も同じ音大付属の幼稚園に通いました。
妹は音楽とは別の道に進んだのですが、それでも今もって、鳴った音が何の音か分かる、と言います。

耳というのは、たぶん幼いころに育つものなんだろうな、と思います。

ピアノを弾く女性の手元のクローズアップ(白いハイキー調)
結婚式で、姉が弾いてくれた、ピアノ。

ぼくだけが、近所の幼稚園だった

姉と妹が音大付属の幼稚園に通っていたのに対して、ぼくだけは、近所の幼稚園でした。

とはいっても、近所の追手門幼稚園。
いま思えば、ちゃんとした私立で、親が適当に決めたわけじゃなかったんだろうな、と思います。

なぜぼくだけ違ったのか、はっきりとは分かりません。
当時は、なんとも思っていなかった気がします。

でも、大きくなってから――ちょっと恨んだ時期もありました(笑)。

ひろし

なんでぼくだけ普通の幼稚園やったん、、、って、たまに思ってました(笑)

――いまとなっては、どうでもいい話なんですけどね(笑)。

小学生のときには、ぼくも少しだけピアノを習わせてもらいました。
ただ、中学にあがるタイミングで、塾や勉強を優先するためにやめてしまいました。

Mr.Children『Atomic Heart』、はじめてのCD

音楽を「自分で選んで聴く」ようになったのは、中学に入ってからです。

小学生のころはアニソンばかり。
それがあるとき、ふっと変わりました。

はじめて自分のお金で買ったCDは、Mr.Childrenの『Atomic Heart』でした。

あのジャケットを今でも覚えています。
CROSS ROAD」も「innocent world」も入っていて、繰り返し、何度も聴いた。

はじめて、音楽が自分のものになった気がした一枚でした。

勉強机にCDラジカセ・ノート・ロックバンドのポスターが並ぶイラスト(思春期の自室の雰囲気)
中学のころのCDラジカセが、ぼくの音楽の中心だった。

姉の友だちが、MDを二枚くれた

そして、ひとつ大きな転機がありました。

高校生のころ、姉の友だち――会ったこともない人――が、ぼくのためにわざわざ録音した、MDを二枚、くれたのです。

一枚は、U2の『The Best of 1980-1990』。
もう一枚は、Green Dayの『Dookie』と『Insomniac』。

しかも、ご丁寧に手書きの説明書まで添えて。
「この曲はこういう感じ」「これはアルバムの中でも特に」――そんなふうに。

会ったこともない、姉の友だち。その人が、姉の弟というだけのぼくに。

――いま思い返しても、なぜそこまでしてくれたのか、よく分かりません。

ただ、ぼくはこの二枚のMDで、洋楽というものを知りました。
そして、U2とGreen Dayに、どっぷりとハマっていきました。

あの手書きの説明書がなかったら、ぼくはきっと、洋楽を知らないまま大人になっていた気がします。

名前も顔も知らないあの人に、ぼくはいまでも、こころから感謝しています。

U2『The Best of 1980-1990』とGreen Day『Dookie/Insomniac』のMDと手書き推薦メモを広げて見ているイラスト
二枚のMDと、手書きの説明書。

TSUTAYAは、当日返却がいちばん安い

とはいえ、当時のぼくにCDを買うお金はあまりありませんでした。

ほんとうにとっておきの一枚だけを買って、あとは、ほぼTSUTAYA。
借りてきて、テープやMDに録音する、というのが当時の基本でした。

そして、TSUTAYAは、当日返却がいちばん安い。
借りたその足で家に帰って、急いで録音して、そのまま返しに走る。

ビートルズ
オアシス
クーラシェイカー
スマッシュマウス

当時のぼくの「ライブラリ」は、ぜんぶこのやり方で出来ていました。

ひろし

レンタル代をケチりすぎて、自転車で全力疾走してたなあ(笑)

学ランの高校生がTSUTAYAの青いレンタル袋を前カゴに入れ、商店街を自転車で走るイラスト
借りたその足で、家まで全力疾走。

アコギを持たないまま、コードを覚えた

高校では、ラグビー部に入っていました。

本当は、軽音にも興味がありました。
でも、ギターは持っていないし、バイトも禁止だったし、ちょうどそのころ、父の事業がうまくいっていない時期でもありました。

「ギターが欲しい」と、口に出せる空気ではなかった。

それでも、音楽は続いていきました。

友だちのアコギを借りて、教えてもらいながら、少しずつコードを覚えました。
場所は、ラグビー部の部室。
――軽音には行けなかったぼくの、もうひとつの音楽の場所でした。

自分のギターは持っていないのに、山崎まさよしさんの「One more time, One more chance」を、いつのまにか通しで弾けるようになっていた。

邦楽の入口が、開いた

洋楽も聴きつつ、同じ時期に日本のバンドも追いかけはじめました。
くるりがデビューした頃で、そこからナンバーガールスーパーカー斉藤和義さんへ。

ぼくの「邦楽の入口」は、ちょうどこの時期に開きました。

雨の繁華街、楽器店のショーウィンドウに飾られたMartinのアコースティックギターを、ショルダーバッグの若者が立ち止まって眺めているイラスト
いつか、自分のギターを持ちたかった。

経験ゼロで、トランペットを選んだ

大学は、地方に出ました。

大阪で生まれ育ったので、田舎に住んでみたかったし、一人暮らしへの憧れもあった。

ラグビーをやっていたこととガタイのよさで、入学早々にアメフト部から猛烈な勧誘を受けました。
でも、ぼくが選んだのは、JAZZ研究会でした。

高校の終わりごろから、ビル・エヴァンスパット・メセニーで、ぼくはジャズに惹かれはじめていました。
ずっと、自分の手で音楽をやってみたかった。だから、迷いはなかった。

楽器は、トランペット。
小さいころから、なんとなく好きだった音。
未経験のまま、飛び込みました。

――いま思えば、これは、経験ゼロで料理の世界に飛び込んだのと、よく似ている気がします(笑)。

うまくはなりませんでした。
全然、上達しなかった。

でも、バンドを組んで、大好きな音楽を、精一杯やれた。
勉強もちゃんとしながら、それでも音楽はあった。

あの四年間が、ぼくにとってはいい思い出として、いまもちゃんと残っています。

着物姿でトランペットを吹くひろしさんのライブ写真(Jazzの背景)
経験ゼロで飛び込んだ、ジャズ研の日々。
草の上に置かれた古いトランペット(屋外・木製スツール)
いまも、二本のトランペットを使い分けている。

最初に手にしたのは、マイルス・デイビスに憧れて選んだ、青いトランペットでした。
ここに写っている金と銀は、二代目。
青いのも、金と銀も、母からのプレゼントでした。
――どちらも気に入っていて、いまでも、二本を使い分けています。

それからの音楽、そして、いま

大学のころ、念願だったアコースティックギターを、ようやく手にしました。
そのときの話は、別の記事に書いたので、ここでは割愛します。

(そのギターの話はこちら → このギターを手に入れた経緯

そして、料理の世界に入って、何年もたってから。
ぼくはもう一度、音楽に向き合うことになります。

きっかけは、相羽崇巨さんという、ひとりのシンガーとの出会いでした。
そのお話も、別の記事にしてあります。

(その記録はこちら → 画面越しの友/相羽崇巨さんと、八十曲

レコードが、いまも、まわっている

ターンテーブルでレコード盤が回り、針が溝をなぞるモノクロ写真
回っている、ということ。

父は、数年前にこの世を去りました。

でも、父のレコードは、いまも実家にあります。
ケースに入れて、大切にしまわれたまま。
母が、たまに、聴いているみたいです。

ぼく自身は、ジャズを始めるのと同じ時期に、レコードを聴くようになりました。
ジャズの古い名盤は、レコードでしか手に入らないものも多かったから。

そして、おもしろいことに。

CDの時代が終わって、サブスクで聴くのが当たり前になった、いま。
ぼくがいちばんよく買っているのは、やっぱり、アナログレコードなんです。

大好きなレディオヘッドが、たしか『In Rainbows』のころから、CDと同時にアナログ盤のリリースも始めました。

そのつぎの『The King of Limbs』のとき、ぼくは「LP+CD」のセットを買いました。
家ではレコードで聴いて、外ではCDから取り込んだiPodで聴くために。

そして、その次。『A Moon Shaped Pool』は、LPに高音質のWAVデータがついてくる仕様でした。
ぼくにとっては、これが最適解だと思いました。

家ではレコードで、どっしり、しっかりと。
外出先ではiPodで、軽快に。
これからの時代の音楽の聴き方は、こんな形なのかな、と、いまでも思っています。

そして実際、いま、アナログレコードはもう一度、人気を集めているらしいんです。
アメリカでは、2022年に、LPの売上がCDの売上を上回りました。
――1987年以来、35年ぶりのことだそうです。

米国・アナログLP販売枚数(百万枚)2007-2025 米国・アナログLP販売枚数(百万枚) 50 40 30 20 10 0 1.0 2.8 9.2 16.8 41.0 46.8 2007 2010 2014 2018 2022 2025 ★CDを超えた年 (1987年以来35年ぶり) 出典:RIAA Year-End Reports
米国のアナログレコード販売は、2007年から19年連続で成長中。

日本でも、2024年のアナログ盤の生産金額は約79億円。
1989年以来、35年ぶりに70億円を超えたのだとか。

昨日も、宇多田ヒカルさんと甲本ヒロトさんがコラボした、「パッパパラダイス feat. 甲本ヒロト」の7インチが、家に届いたところでした。
子どもたちと、一緒に聴いて楽しみました。

子どもたちも、なんでか分からないけれど、レコードが好きなんです。

パッパパラダイス。スクラッチで遊ぶ少年。

たぶん、回っているのが見えるからかな、と思っています。
スピーカーに繋がっていなくても、針が溝をなぞるだけで、ちゃんと音が鳴っている。

うまく言えないけれど、ある意味で、レコードは楽器に近いのかもしれない。
その小さな音を、増幅して聴いているだけ、なわけで。

そのあたりが、データの音とは、なにかが違うのかもしれません。
――もちろん、ぼくの耳では、ちゃんとは分かっていないんですけどね(笑)。

父のレコード。
姉のピアノ。
妹の耳。
姉の友だちの、手書きのMD。
TSUTAYAと、自転車と、アコギと、トランペット。

ばらばらに思える出来事が、いまになってみると、一本の線のように繋がって見えます。

音楽は、ぼくにとって、何かを目指したものではありませんでした。
ただ、いつもそばにあって、ぼくをここまで連れてきてくれた、もうひとつの言葉のようなもの。

――だから、ぼくはこれからも、記事の終わりに、そっと一曲を置きたいと思います。

今日の1曲

今日の一曲は、七尾旅人さんの「ローリン・ローリン」。
U2かGreen Dayにしようと思っていたけれど、書いているうちに、レコードの話がどんどん濃くなって。
――最後の、回りつづけるような締めから、ぼくの頭の中には、もうこの曲しか流れてこなかった。

Rollin’ Rollin’ 回り続ける
レコードに 運ばれて

Rollin’ Rollin’
わからないまんま
ながく ながく
流されて
そう

― 七尾旅人「ローリン・ローリン」

音楽は、いつもそばにあった。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。