料理人になって、2年ぐらいたった頃だったと思います。正確には覚えていません。それくらいの頃の、ある暇な日の話です。

今日の話は、少し重たい話です。でも、僕が料理人として持っているものの中で、いちばん深いところにある夜の話なので、いつか書かなければと思っていました。

先に、あの夜の流れだけ置いておきます。ここから先は、この6つを順番に書いていくだけです。

山鳩の夜の流れを6ステップでまとめた図
あの夜のこと。この記事は、この順番で進みます。

冷蔵庫の、新聞紙の包み

冷蔵庫の中の新聞紙の包みの水彩イラスト
冷蔵庫の隅に、新聞紙の包みがひとつ。

最初の修行先の冷蔵庫に、新聞紙に包まれたものが、しばらく前から入っていました。

山鳩でした。浅野さん——あのワインの浅野さんからの、もらいものだったそうです。

精肉された状態ではありません。羽のついた、鳥そのものの姿。大事に取ってあるから、いつか何か特別な料理に使うんだろうな、と思っていました。

「それ、やっといて」

その日は、とても暇な営業日でした。予約もなく、お客さんもほとんど来ない。シェフも僕も、やることがない。

暇な日の厨房でシェフが冷蔵庫を指さす水彩イラスト
シェフが、冷蔵庫を指さした。

そんな日の途中で、シェフに言われました。

「鳩が入っとるから、それ、やっといて」

そんな感じの、軽い言葉だったと思います。

そのとき僕の中に最初に来た感情は、怖いでも嫌だでもなくて、「わからない」でした。

ジビエが怖いのではなく、羽のついた一羽の鳥を、どうすればいいのかが分からない。普段扱っている肉とはまったく違う、「食材」になる前の姿が、そこにありました。

シェフに聞くと、まず羽をむしる、と言われました。それで、むしり始めました。

羽は、むしると羽毛布団みたいな量になる

これが、大変でした。

いまの僕は、鳥は一度お湯にくぐらせると羽が抜けやすくなることを知っています。でも当時は知らず、シェフからもそういう指示はなく、何もしないまま、一枚一枚、力任せにむしりました。かなりの力仕事でした。

厨房に舞う羽根の水彩イラスト
むしっても、むしっても、羽は舞った。

体についているときはあんなにコンパクトなのに、むしっていくと、羽毛布団みたいな量になるんです。鳥の羽って、こんなにいっぱいあるんや、と思いながら、むしり続けました。

むしりながら、少しずつ、来るものがありました。

ああ、僕は生き物の命をいただいてるんだな、と。普段、切り分けられた肉を扱っているときには薄れている実感が、羽を一枚むしるたびに、手から入ってくる。

むしり終えて、頭を落として、料理に使える状態まで処理しました。

「持って帰って、食べていいよ」

お客さんに出す料理の下ごしらえだと思っていたので、一生懸命やりました。できました、とシェフに伝えると、返ってきたのは意外な言葉でした。

「それ、持って帰っていいよ。食べていいよ」

え? と思いました。店で使わんのや、と。

処理を終えた鳥を差し出す若い料理人と手を振るシェフの水彩イラスト
返ってきたのは、意外な言葉でした。

いまになって思うのは、シェフ自身も、もらったはいいものの、山鳩をどう扱えばいいのか分からなかったんじゃないか、ということです。確認したわけではありません。当時の空気から、僕がそう感じているだけの話です。

夜中の台所で、ひとりで

仕事が終わって、山鳩を持って帰りました。夜中でした。

台所で、部位に分けました。身は焼きました。レバーも、心臓も、焼いて食べた記憶があります。骨は捨てずに、出汁を取りました。

夜中の台所で骨の出汁を取る小鍋の水彩イラスト
骨は捨てずに、出汁を取った。

残してはいけない気がしたんです。

自分の手で羽をむしった鳥を、食べられるところは全部食べて、使えるところは全部使わないといけない。誰かに言われたわけではなく、ただ、そう思いました。

夜中の台所の一皿の水彩イラスト
夜中の台所で、ひとりで。

味は、覚えていない

正直に書くと、味はあまり覚えていません。普通に食べていたので、たぶん美味しかったんだと思います。食べ慣れたブロイラーの鶏に比べれば、硬くて、筋っぽかったような気はします。

でも、あの夜に残ったのは、味ではありませんでした。

いただきますは、命をいただくという意味——
そんなことは、ずっと前から知識としては知っていました。
でもあの夜、初めて、それが本当に分かったんです。
あ、これが本当のいただきますなんだな、と。

何年もあとになって意味づけした話ではありません。あの夜の時点で、はっきりそう感じていました。あの日の「いただきます」には、本当に気持ちがこもっていました。

正直に書いておきます

美談にはしたくないので、正直に書いておきます。

この経験は、精神的にかなり来るものがありました。しんどかった。動物の姿から自分の手で処理することを、楽しいと感じたわけではないし、いま振り返っても、進んでやりたいことではありません。ただ、料理人として、とても大きな勉強になった。その両方が、本当のところです。

後年、知り合いの養鶏場で、親鳥を肉にする作業に参加させてもらったことがあります。お湯にくぐらせてから羽を取る、山鳩のときに知らなかった方法も、そこで実際に経験しました。それでもやっぱり、進んでやりたいとは思いませんでした。

世の中には、こういう仕事が得意な人、向き合うのがうまい人がいます。コトレッタの記事に登場した猟師のカヌカさんは、たぶんそういう方です。僕は、そうではない。ただ、「やりたくない」と「目を背ける」は別のことで、必要なときには向き合ってきたつもりです。

⚠️ お読みいただくうえで

野生の鳥獣は、家畜と違って衛生管理された環境で育っていません。この夜の僕は内臓まで食べていますが、いまの僕の知識で振り返ると、それが良かったのかは分かりません。ジビエは信頼できる処理を経たものを、しっかり加熱して食べてください。この記事は当時の僕の行動の記録で、おすすめではありません。

あの夜が、いまの僕に残したもの

僕はいま、食材を無駄にすることが、とても嫌いです。出された食べ物を残すことも、ほとんどできません。自分が残せば、その料理は捨てられることになる。それが、気持ちとして嫌なんです。

この感覚のきっかけは、あの夜だったのかもしれない、といまになって思います。

大きな肉の塊と向き合う料理人の後ろ姿の水彩イラスト
いまも、半頭の肉と向き合う日がある。

いまでも、イノシシやヤギや羊が、半頭で届くことがあります。ミルクラム——本当に残酷だけど、まだご飯も食べる前のラムを、半頭からさばくこともある。そういうとき、あの夜のことを思い出します。骨を外し、筋を取り、部位に分けて、使える部分は残さない。骨も、使えるなら出汁にする。

ただ、これは精神論ではありません。以前、扱った羊の骨がかなり臭かったことがあって、これで出汁を取ったら出汁まで臭くなると判断して、使いませんでした。命だから何が何でも使う、ではなく、料理として成立するかを判断しながら、特別な理由がなければ、できる限り使い切る。それが、あの夜から続いている、僕のやり方です。

まとめ

暇な日の厨房と、新聞紙の包み。力任せにむしった羽と、夜中の台所の一皿。

味は忘れてしまったのに、あの夜の「いただきます」だけは、二十年たっても忘れられません。

命をいただく、という言葉を、僕は綺麗事として使いたくありません。あれは、しんどくて、重たくて、それでも料理人の根っこになった夜でした。

今日の一曲

森山直太朗「生きとし生ける物へ」

「生きとし生ける物」——生きているもの、すべて。千年前の古今和歌集の序文にも出てくる、古い古い言葉です。

この歌は、命について声高に何かを教えてくれる歌ではありません。ただ、生きているものすべてに向かって、静かに歌われる歌です。

綺麗事にしたくない、と書いた記事の締めに、綺麗事ではない歌を。あの夜、僕がいただいた命も、生きとし生ける物のひとつでした。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。