荻野さんと話していて、ひとつ、忘れられない問いをもらっていました。

ヤマタノオロチの「コシ」は、「越」なのか、「古志」なのか——。

何のことか分からないですよね。僕も最初はそうでした。でも調べていったら、この小さな一文字の話が、まさかの場所に着地したんです。今日はその話です。

高志のオロチ記事の結論まとめ図
これ1枚で、この記事の結論です。

はじめに——このシリーズのこと

僕は大阪の千里ニュータウン出身です。新しく作られた街で、歴史的な行事もあまりなく、正直、歴史に興味を持たずに育ちました。

その僕が島根に来て、変わりました。通勤路の川に神話があり、隣町の地面から銅剣が358本出てきて、博物館では古生物学者が妖怪の正体を掘っている。ここでは歴史が、暮らしの隣にあるんです。

だから、始めてみることにしました。出雲に住む料理人が、古事記を紐解いていくシリーズです。学者ではないので、間違えたら直しながら。でも、舞台に住んでいる強みだけはあります。読んだ場所に、行けるので。

まず、ヤマタノオロチのお話

「そもそもオロチの話をよく知らない」という方のために、最初にお話をぎゅっとまとめておきます。昔話のつもりで、どうぞ。

むかしむかし。乱暴がすぎて天の国を追い出されたスサノオという神さまが、出雲の国の、肥の河(いまの斐伊川)の上流に降り立ちました。

ふと川を見ると、上流から、お箸が流れてきます。
「上流に、人が住んでいるな」

のぼっていくと、おじいさんとおばあさんが、若い娘を抱いて泣いていました。娘の名は、クシナダヒメ。

「わたしたちには八人の娘がおりました。ところが高志(こし)のヤマタノオロチが、年ごとにやって来ては、一人ずつ食べてしまうのです。今年もまた、来る時期がまいりました。この子は、最後のひとりです」

オロチは、頭が八つ、尾が八つ。目はホオズキのように赤く、背には苔と木が生え、体は八つの谷、八つの峰にわたるほど大きく、腹はいつも血にただれている——そう語られる怪物でした。

スサノオは言いました。「その娘を、私にくれるなら、退治してみせよう」

スサノオは、何度も醸した強いお酒を八つの桶に用意させ、垣根に八つの門を作って待ちました。やって来たオロチは八つの頭をそれぞれの桶につっこみ、お酒を飲み干して、眠ってしまいます。

そこをスサノオが、剣でずたずたに切りました。肥の河は、血で赤く流れたといいます。尾を切ったとき、剣の刃が欠けました。中から出てきたのは、一振りの太刀——のちの三種の神器、草薙の剣です。

スサノオはクシナダヒメと結婚し、出雲の須賀の地に宮を建てて、日本で最初の和歌とされる歌を詠みました。「八雲立つ 出雲八重垣——」。めでたし、めでたし。

八つの酒桶に頭をつっこむヤマタノオロチの水彩イラスト
八つの頭が、八つの桶へ。目はホオズキのように赤く。

——さて。いまのお話の中に、さらっと通り過ぎた言葉がひとつあります。

高志のヤマタノオロチ」。

オロチには、「産地」がある

前にオロチの記事を書いたとき、僕はこの言葉を読み飛ばしていました。でも古事記のオロチは、ただのオロチではないんです。

📜 古事記に書いてあること

クシナダヒメの父アシナヅチは、毎年娘を食べに来る怪物を「高志(こし)の八俣のをろち」と呼ぶ。舞台は出雲国・肥の河上(斐伊川の上流)。つまりオロチには「高志の」という、出どころを示す言葉がついている。

高志の、オロチ。産地つきなんです。

オロチの名前の分解図
名前を分解すると、こうなります。

では、その「高志」はどこなのか。ここに、学者のあいだでも読み方が分かれる、二つの説があります。

説①「越」——北陸から来た

ひとつめは、高志=越の国とする説。いまの福井から新潟にかけての、日本海側の広い地域です。のちに越前・越中・越後と分かれますが、もともとは全部まとめて「コシ」でした。面白いことに、「越」という字が標準になるのは奈良時代の少し前からで、もとの表記はむしろ「高志」だったそうです。

この説で読むと、オロチは「北陸のほうから、毎年やって来る何か」になります。

説②「古志」——出雲の中にある

ふたつめは、高志=出雲国の古志郷(こしのさと)とする説。こちらは遠くありません。いまの出雲市古志町。神戸川のほとりで、僕が毎日、赤い古志橋で渡っているあたりです。

この説で読むと、オロチの物語は、出雲平野を流れる川たちと切っても切れない、地元の水の話になります。

高志の場所についての二つの説の対比図
遠くから来たのか、地元の話なのか。

風土記が明かす、二つの説のつながり

で、ここからがこの話のいちばん美しいところです。

出雲には『出雲国風土記』という、奈良時代の地誌がほぼ完全な形で残っています(ほぼ完本で残る風土記は全国で出雲だけです)。そこに、古志郷という地名の由来が書いてあるんです。

📜 出雲国風土記に書いてあること(趣旨)

神代、この地で池を造ったとき、古志(越)の国の人々がやって来て堤を築き、そのまま住みついた。だからこの土地を「古志」と名づけた。

古代の人々が川辺で堤を築く水彩イラスト
越から来た人々が、堤を築いた——地名になった風景。

つまり——出雲の「古志」という地名そのものが、北陸の「越」から来た人たちの記憶なんです。

出雲国風土記による古志の地名由来の流れ図
風土記の由来を、3コマにするとこう。

説①と説②は、対立しているようで、根っこでつながっていました。どちらの説を取っても、オロチの枕には「コシ」=日本海の向こうから来て、川と戦い、堤を築いた人々の気配が畳み込まれている。

⛏ 考古学が裏付けていること

出雲と北陸の行き来は、物からも確認されています。似た形の横穴墓や製塩土器。出雲の王墓・西谷3号墓(2世紀後半)から出た北陸系の土器。古志郷のあたりからは、3世紀の北陸風の土器が多数出土していて、北陸からの移住者が出雲で作ったものも含まれると考えられています(島根県古代文化センターの解説より)。

この西谷の王墓は、四隅がヒトデのように突き出た「四隅突出型」という独特の形をしています。そしてこの形のお墓は、山陰と北陸に分布している。土器だけでなく、お墓の形まで、出雲と越はつながっているんです。

四隅突出型墳丘墓の形の図解
言葉より、形を見てください。ヒトデです。
西谷墳墓群の墳丘を登る小さな子どもの後ろ姿
そして本物に、登れます。2000年前の王墓の上を行く、うちの子。

白状すると、この西谷墳墓群のそばにある弥生の森博物館、うちの子どもたちがなぜか大好きで、しょっちゅう通っていました。実物の墳丘に登れて、館内ではお墓の中に入って埋葬の様子まで見られる、なかなかすごい場所です。出雲の王さまのお墓の隣で、うちの子は遊んでいたわけです。ここでもまた、「知ると、見える」でした。

神話でも、地名でも、土の中の土器でも、お墓の形でも、同じことが語られている。日本海沿いを、人が動いていた。

日本海沿いの出雲と越の交流を示す帯図
神話と地名と土器が、同じ道を指している。

気づいてしまった話

ここまで調べて、僕は気づいてしまいました。

僕の料理人としての修行は、富山から始まりました。それから福井、石川、新潟。浅野さんに出会ったのもダビデに出会ったのもラ・スカーラで月に一度学んだのも、ぜんぶこの範囲です。

——ぜんぶ、「越」です。修行時代の僕は、高志の地を西から東まで走り回っていたことになります。

そして、シェフになるタイミングで、奥出雲へ来ました。奥出雲——古事記でいえば「肥の河上」。オロチが現れた、あの上流です。ワイナリーへの通勤路だった斐伊川の土手では、川の形にそってうねる、大きな蛇のような霧も見ました。

川の形に沿ってうねる朝霧の水彩イラスト
あの朝の霧は、どう見ても大きな蛇でした。

しかも奥出雲に来てすぐ——2016年の4月、職場の人に誘われて、船通山に登っています。スサノオが降り立った「鳥髪」と伝わる、あの山です。当時の僕は、そんなことは何も知らずに登りました。山頂には一面のカタクリの花と、鳥居と、地面に突き刺さる巨大な剣の碑。「なんで山のてっぺんに剣……?」くらいの感想だったと思います。山頂近くの斐伊川の源流で、湧き水も飲みました。

船通山山頂のカタクリの群生
2016年4月26日の山頂。一面のカタクリ。
船通山山頂の鳥居と石碑
何も知らずに撮っていた、山頂の鳥居と碑。

その後、保育園の引率でさらに2回。2回とも源流の水を飲んでいます。白状すると、僕に登山の趣味はありません。自分から求めて船通山に登ったことは、一度もないんです。それなのに、気づけば3回。オロチの川の源流の水を、計3回。

山の源流で水をすくう手の水彩イラスト
オロチの川の、いちばん最初の一滴。

それから独立して、いまは毎日、赤い古志橋で「古志」の川を渡って仕事に行っています。

越で腕を磨いた者が、海沿いを渡って、出雲の古志に住みつく。
2000年前に人が動いたのと、同じ道でした。
僕は知らないうちに、風土記の続きをやっていたんです。

高志の地を巡って、肥の河上に現れて、源流の水を飲んで、やがて下流の古志へ。……並べてみたら、僕の経歴、オロチとまったく同じ道順でした。もしかして、僕がオロチなんでしょうか。笑

オロチと筆者の道順を比べた図
並べてみた図。ずれは2000年だけです。

もちろん、ただの偶然です。でも、地名の由来を知ってから通勤すると、毎朝の同じ道が、少し違って見える。海竜の記事で書いた「知ると、見える」は、土地にも起きるんだと思います。

まとめ——オロチの枕に、人の記憶

高志のオロチは、どこから来たのか。

越(北陸)なのか、出雲の古志なのか、答えは確かめようがありません。どちらの説も、いまも生きています。

でも、どちらを取っても見えてくるのは、
川と戦い、堤を築き、海沿いを行き来した人々の姿です。
オロチという怪物の名前の頭に、
水と戦った人たちの記憶が、そっと残されている。

神話は、作り話というより、運び方なのかもしれません。忘れてはいけないことを、子どもにも語れる形にして運ぶ——前の記事で書いたこの考えが、地名ひとつ調べただけで、また少し確かになりました。

シリーズ第2回は、隣町の地面から出てきた358本の銅剣の話を書こうと思います。神話だと思われていた国が、実在を取り戻した日の話です。

今日の一曲

はっぴいえんど「風をあつめて」

じつは僕は、大学の卒業論文で、はっぴいえんどを取り上げています。僕にとって特別なバンドなんです。

その卒論の担当教授が、都留先生。都留先生の講座で荻野さんに出会って、オロチの問いをもらって、前の記事が生まれて、この記事につながった——つまりこのシリーズは、卒論の続きみたいなものなんです。だったら曲は、これしかありません。

1971年の、街と風の歌。毎朝、古志橋の上でこの曲が流れると、2000年前からの風が、通勤路を通り抜けていくような気がします。

朝の街で、ふしぎな光景を見てしまう歌です。見てしまったから、僕も風をあつめて飛びたいんです、と歌う。斐伊川の土手で霧の蛇を見てしまった僕には、他人の歌とは思えません。

起きぬけの路面電車が海を渡るのが見えたんです
それでぼくも 風をあつめて 蒼空を翔けたいんです

はっぴいえんど「風をあつめて」(作詞 松本隆/作曲 細野晴臣)より

本日もお読みいただき、ありがとうございました。