ヤマタノオロチは、何だったんだろう
こんばんは、ひろしです。
前回、大学の恩師・都留泰作先生の話を書きました。
前編手伝っとけば良かった|卒論の担当教授が、漫画家だった話
今日はその続きです。
再会した先生に、僕はもう一度「やりたいです」と言いました。そこから始まった、恐竜と、ヤマタノオロチと、ワニの話です。
「参加できますか」
再会してしばらくした頃、先生が大学で、オンラインの公開講座をやっていることを知りました。
ゲストを呼んで、都留先生が司会進行をする形式です。
面白そうだな、と思いました。
でも、僕は部外者です。卒業生ですらない。富山の大学の卒業生であって、京都の大学とは何の関係もありません。
*
申し込みフォームの質問欄に、書き添えました。
外部の者ですが、オンラインで参加できますか。
*
返事は、都留先生本人から届きました。
外部からの参加、歓迎します!
*
二十年前と、同じでした。
やりたいと言えば、通ることがある。
*
あとで考えれば、誰でも申し込める公開イベントでした。聞かなくても、入れたんです。
でも、聞いたから、先生の「歓迎します!」が読めました。聞いてよかったと思っています。
破片3つから、恐竜を描く
参加したのは、2021年2月。「アカデミズムとアートの間、美術解剖学か、解剖学美術か?」という、Zoomのトークイベントでした(当時の告知ページ)。
小田隆先生の恐竜復元画を入り口に、科学とアートがどう手を組むかを考える、大学院マンガ研究科の主催の会です。
ゲストは、三人。
一人目は、小田隆先生。京都精華大学で教えている画家で、古生物の復元画の第一人者です。『うつくしい美術解剖図』という、ため息が出るような本を出されている方です。
二人目は、今井拓哉さん。福井県立恐竜博物館の研究者で、専門は恐竜の卵の化石。この日の話が恐竜の話になったのは、今井さんがいたからこそでした。
三人目が、荻野慎諧さん。古生物学者で、理学博士。この方については、あとでたっぷり書きます。
司会が、都留先生。
絵の人と、博物館の人と、掘る人。それを人類学者の漫画家がつなぐ。いま思えば、ぜいたくな座組でした。
テーマは、恐竜。骨から姿を描く、という仕事の話でした。
*
そこで聞いた話に、僕はすっかりやられてしまいました。
全身の化石が揃っている恐竜は、ほとんどいないんだそうです。
小さな破片が、3つ見つかった。それだけのことも珍しくない。
そこから、描くんです。
*
骨のかけらから、全体の大きさを推定する。
この大きさなら、こういう筋肉がついていたはずだ、と筋肉を組み立てる。
そして最後に、表面の皮膚を描く。

*
でも、化石だけでは分からないことも多い。その代表が、毛(羽毛)が生えていたかどうか。
羽毛が化石に残るのは、よほど条件に恵まれた場合だけだそうです。
だから恐竜の絵は、描かれた時期や説によって、毛が生えていたり、いなかったりする。

*
図鑑の恐竜の絵は、答えを写したものだと思っていました。
そうじゃなかった。あれは、破片から組み立てた、いちばん誠実な想像だったんです。
恐竜には、そういうロマンがあるのかと、そのとき初めて知りました。
小田先生の描き方は、恐竜も人間も同じだそうです。
骨格から始めて、筋肉をつけ、皮膚をかぶせて、最後に髪や服を足していく。体を、内側から順番に組み上げて描く。だから、骨のかけらしかない恐竜でも、筋肉や皮膚を「想像」で組み上げられる。
そして、ここが面白いところなんですが。
内側から組み上げて描ける人は、現実にいない体まで描けるんです。角の生えた頭。羽の生えた背中。漫画にしか出てこないようなキャラクターの体も、ちゃんと解剖図として組み上げられてしまう。
『うつくしい美術解剖図』は、そういう本です。ただの解剖図では、ありません。
僕はその場で買って、届いた日に一気に読みました。
懇親会で、オロチの話になった
講座のあとの懇親会にも、参加させてもらいました。オンラインです。
小田先生、今井さん、都留先生、荻野さん。そこに僕。
僕が出雲に住んでいることが話題になって、荻野さんが、こんな問いを投げてくれました。
*
ヤマタノオロチって、何だと思う?

*
出雲に住む人間として、これは考えたことがありました。
僕の答えは、川です。
僕の答え ― オロチは川
当時の僕は、奥出雲のワイナリーで働いていました。結婚して住まいが出雲になったので、毎日、斐伊川の土手沿いを車で通勤していました。
斐伊川は、たしかに蛇を思わせる川です。源流から、流れが幾筋にも分かれて、うねりながら下っていく。
でも、僕が「これがオロチか」と思った瞬間は、もっとはっきりしています。
*
ある朝のことです。曇り空の、薄暗い早朝でした。
いつものように出勤しようと、斐伊川沿いの道に入ろうとしたとき。
川の上に、霧が浮かんでいたんです。
川の形にぴったり沿って、うねりながら、どこまでも。
それは、どう見ても巨大な蛇でした。
見た瞬間、思いました。あ、昔の人はこれを見て、八岐大蛇だと思ったんだな。

*
その後も、何年も同じ道を通ううちに、数回だけ、同じ現象を見ました。
何度見ても、めちゃくちゃ大きな蛇でした。
*
あとで知ったのですが、「オロチの正体は斐伊川」というのは、昔からよく言われている説だそうです。
でも当時の僕は、何も知らずに、あの霧を見てそう思っていました。
説として知っているのと、川を見て自分でそう思うのは、たぶん少し違う。あの通勤路は、いい時間でした。
荻野さんの答え ― オロチは噴火
荻野さんの見立ては、違いました。
火山の噴火だと思う、と言うんです。
*
ここで、荻野さんの紹介をさせてください。
荻野慎諧さん。古生物学者で、『古生物学者、妖怪を掘る ―鵺の正体、鬼の真実―』という本を書かれている方です。
妖怪や伝説を、作り話だと切って捨てるのではなく、「昔の人が残した観察の記録」として、古生物学の目で読み解く。そういう研究をされています。
つまりオロチの話は、雑談ではなくて、ご専門なんです。
荻野さんのXはこちらです。
*
荻野さんの見立ては、こうでした。
出雲の隣、石見に三瓶山という火山があります。約4000年前に大きな活動をしたことが分かっています。埋まった当時の巨木の林が、いまも地面の下に立ったまま残っているほどの規模です。
そして、ヤマタノオロチの姿を思い出してほしいんです。
赤くて、どろどろしていて、うねうねと動き回る。
溶岩や火砕流は、まさにそれだと。
言われてみれば、たしかにそうなんです。出雲で神楽を観ると、オロチの体は赤い。そして、うねる胴には、火砕流のような鱗の模様があるんです。

*
オロチは最後、酒の釜に頭を突っ込んだまま退治されます。
ここが、荻野さんの見立ての、いちばんすごいところです。
火口には、もともと水がたまっていることがあります。火山湖です。
そこへ、山肌をうねり下ってきた火砕流が流れ込む。そして、そこで止まる。
うねりながら降りてきた何本もの流れが、みんな湖に頭をつけたまま、動かなくなっている。
それを見た昔の人が、こう語り残したのではないか。
オロチは、酒の釜に頭を突っ込んだまま死んだ、と。
*
神話では、酒の釜は先に用意されています。オロチが来る前から、そこにある。
火山湖も、噴火の前から、そこにある。
順番まで、合っているんです。

溶岩は、冷えて固まれば、そこで流れが止まります。
動いていたものが、止まる。
昔の人がそれを「死んだ」と語ったとしても、不思議はない。
*
聞きながら、鳥肌が立ちました。
念のために書いておくと、これは「正解」の話ではありません。川の説も、噴火の説も、確かめようはない。
でも、伝説をそういう目で見られること自体を、僕はこの夜まで知らなかったんです。
*
その翌日、僕は車で三瓶山に向かいました。麓の博物館、サヒメルです。
約4000年前の噴火で埋まった杉の巨木。噴火の痕跡。

確かに、そう見えました。めちゃくちゃ面白かった。
もうひとつの問い ― 古事記のワニ
懇親会の話には、続きがあります。
荻野さんが、もうひとつ問いを投げてくれました。
*
古事記に出てくるワニって、何だと思う?
*
これも、出雲に住む人間には、答えがあります。
サメです。
僕の答え ― ワニはサメ
島根に来てから知ったのですが、こちらでは、サメのことを「ワニ」と呼びます。
特に山のほうに、ワニの肉を刺身で食べる文化がある。正月やお盆のごちそうです。
*
なぜ、海から遠い山の中で、生の魚が食べられたのか。
サメの体にはアンモニアが含まれていて、肉が腐りにくいからです。海から山へ、時間をかけて運んでも、刺身で食べられた。
*
この話には、地図の裏付けがあります。
日本海から山に入っていく途中に、木次という町があります。ここの名物は、焼き鯖です。
鯖は、海から木次に着いた時点で、もう限界。その日のうちに焼かないと、もたない。だから木次は焼き鯖の町になった。実際、木次は「日本海の魚が生のまま届く限界の地」と言われてきた町です。
そして、そこからさらに山を上がった奥出雲の三成のあたりに、ワニを刺身で食べる文化が残っている。
鯖が焼かれた地点の、さらに奥まで、サメは生で行けたんです。
*
魚の足の速さが、そのまま食文化の地図になっている。

だからこちらでは、「因幡の白兎のワニはサメのことだよね」というのは、わりと当たり前の話なんです。
荻野さんの答え ― ワニはワニ
荻野さんの見立ては、今回も違いました。
ワニは、ワニなんじゃないか。
*
昔の日本には、本物のワニがいた記録があるそうです。
だったら、神話の時代の出雲にワニがいても、おかしくない。
白兎が渡ったのは、本物のワニの背中だったんじゃないか。
*
そして、こう続けました。
サメだと、背びれが邪魔で渡りにくい。
ワニは背中が平らで広いから、渡りやすいはずだ。

*
兎の足場の話をしているんです。神話の。真顔で。
僕はこういう大人に、なりたい。
調べたら、故郷に着いた
翌日、昔の日本のワニについて調べました。
本当に、いました。
マチカネワニ。約42万年前の地層から見つかった、体長7メートルのワニです。日本で初めて発見された、ワニの全身骨格化石。
1964年、大学の校舎の建設現場で、たまたま化石採りに来ていた高校生が骨のかけらを見つけたのが発端だそうです。

*
その場所を見て、固まりました。
大阪府豊中市、待兼山。
僕が生まれ育った、豊中です。
*
出雲の懇親会で聞いた神話のワニの話を辿っていったら、自分の故郷の丘に着いてしまった。
しかも、まだ続きがあります。
マチカネワニの学名は、トヨタマヒメイア・マチカネンシス。
豊玉姫。古事記で、ワニの姿になったと語られる女神の名前です。
*
化石に学名を付けた学者も、神話のワニに、本物のワニの化石を重ねたわけです。
ちなみに豊中には、このマチカネワニをモデルにした「マチカネくん」という市のキャラクターがいます。
子どもの頃、僕はマチカネくんのバッヂを持っていました。
あの緑のワニが、まさか42万年前のご近所さんだったとは。当時の僕は知りませんでした。
*
出雲で聞いた話が、故郷の大阪に繋がって、また神話に戻ってきた。
こんな出来のいい円環、作り話なら没にしています。全部、事実です。
物語は、残すために生まれる
ここからは、僕がその夜からずっと考えていることです。
*
ものすごい出来事が起こったとき、人はそれをどうやって後の世代に伝えるのか。
ひとつの方法が、歌です。歌は、歌い継がれることで残る。これは前に、別の記事に書きました。
歌の話は、この記事に書きました世界は、歌でできている

そしてもうひとつの方法が、物語だと思うんです。
*
出来事をそのまま、何十年、何百年と語り継ぐのは難しい。
でも、物語になっていれば、語り継げる。昔話がずっと残ってきたのは、そのためだと思います。

子どもが聞いて面白くないものは、語り継がれない。だから、面白い物語の形になる。
*
古事記は不思議な神話です。全部が本当にあったことだとは、僕も思いません。
でも、きっと核のところには、本当にあった出来事がある。それを、想像も交えながら、物語の形にして運んできた。
ヤマタノオロチの伝説も、そうなのかもしれない。
火山の噴火という、二度と忘れてはいけない恐ろしさを、子どもにも語れる形にして、四千年運んできた物語なのかもしれない。
*
確かめようはありません。
でも、斐伊川の土手からも、三瓶山の埋没林からも、豊中の丘のワニからも、同じものが見える気がするんです。
残したかった人たちの、気配です。
*
そして気づけば、僕はこんなことを考える人間になっていました。
そのきっかけをくれたのは、恐竜のトークイベントと、荻野さんの二つの問いと、「いいよ」と言ってくれた都留先生です。
先生からもらったものが、卒業して二十年経っても、まだ増え続けています。
*
この記事を書くにあたって、荻野さんにご連絡したところ、教えていただきました。
いま、あのサヒメルで、荻野さんが展示に協力された『海竜大進化 ~恐竜時代の蒼き海へ~』が開かれています(2026年9月27日まで)。ワカヤマソウリュウや、原始的なカメの仲間が並んでいるそうです。
五年前、オロチの話を確かめに行った博物館に、いま、その話をしてくれた人の仕事がある。
近いうちに、見に行こうと思っています。
今日の1曲
書き終えたとき、頭の中で流れていた曲があります。
中島みゆきの、時代です。
中島みゆき「時代」
作詞・作曲 中島みゆき
旅を続ける人々は
いつか故郷に出逢う日を
たとえ今夜は倒れても
きっと信じてドアを出る
たとえ今日は果てしもなく
冷たい雨が降っていても
めぐるめぐるよ時代は巡る
別れと出逢いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩きだすよ
いまは倒れている旅人も、生まれ変わって歩きだす。
出来事が、時間をへて、語りになる。物語になって、次の誰かに渡っていく。
この記事で書きたかったことを、この曲は五十年前から歌っていました。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、おやすみなさい。









