こんばんは、ひろしです。

今日は、歴博の話です。

正式には、島根県立古代出雲歴史博物館。
出雲大社の、すぐ東どなりにあります。地元では、歴博(れきはく)。

天井の耐震(たいしん)工事で、1年半休んでいました。
10月1日に、リニューアルして再開。

10月12日、出雲駅伝の日に、行ってきました。

― ざっくり言うと ―

オロチは、古事記で斬られて終わりじゃなかった。時代ごとに姿を変えて、何度でも出てくる。
いちばん驚いたのは、須佐神社に伝わる「ヤマタノオロチの骨」。
そして常設展の銅剣358本は、何度見ても圧巻。出雲大社に寄ったら、ついでにぜひ。

― この記事について ―

特別展の会場は、写真が撮れません。だから特別展のところは、僕の言葉で書きます。常設展は、撮らせてもらった写真と一緒に。

いつもどおり、展示にあったこと/資料で確かめたこと/僕の見立ては、分けて書きます。途中の「寄り道」は、たたんであります。

駅伝は、今年からスタートが朝の9時10分に早まりました。
去年までは、昼の1時5分でした。暑さ対策だそうです。

12時10分に、入りました。

駐車場は、思っていたより、ずっと車が多い。
県外ナンバーが多くて、ここに停めて、そのまま出雲大社へ歩いていく人も多いようでした。

ひろし

思ってたより、全然多いやん。

館内は、混み合ってはいないけれど、リニューアル直後で、人は多め。
出て来たのは、13時50分。1時間40分、満喫しました。

じつは、前の週の歴博まつりにも、子どもと来ています。毎年行っている、お祭りです。
そのとき常設展は半分ほど見ていたので、今回は残りと特別展。全部をゆっくり見るなら、2時間以上はかかると思います。

秋の晴れた昼の古代出雲歴史博物館。ガラス張りの横に長い建物と、車がたくさん並ぶ駐車場。遠くに神社の杉の森と山の水彩
駐車場は、県外ナンバーが多かった。
古代出雲歴史博物館の入口の案内板。特別展「その後のヲロチとスサノヲ」の観覧料と、展示ガイドアプリの案内(明るさを調整)
入口の案内板。特別展の料金と、展示ガイドアプリ。

特別展「その後のヲロチとスサノヲ」

題に、「その後の」とあります。
古事記のヲロチ退治の、そのあと。物語はどうなったか、という展示です。

会場は撮影ができないので、ここは僕の言葉で。

展示は、こんな流れでした。

展示の流れ(公式の章立てを、僕の言葉で)

  • プロローグ:スサノヲは、荒ぶる神か、英雄の神か。時代や場面で、評価が分かれる
  • Ⅰ ヲロチの起源:縄文の土器に、蛇の飾り。蛇は、古代の人にとって何だったか
  • Ⅱ 退治神話の広がり:日本書紀などの物語に、あとの時代の人が、いろいろな解釈を足していった
  • Ⅲ その後のヲロチ:退治されたはずのヲロチが、生まれ変わる。壇ノ浦(だんのうら)で剣が沈んだ事件のあとに生まれた、新しい物語
  • Ⅳ 出雲のスサノヲとヲロチ:出雲だけの神話が育ち、神楽にもなった
  • Ⅴ 救いの神スサノヲ:疫病を払う神・牛頭天王と重ねられ、人びとは救いを求めた

ひとつ、びっくりしたことがあります。
ヤマタノオロチ退治の話は、出雲国風土記には出てこない。

ひろし

えっ、出雲を代表する物語やのに。

書いてあるのは、古事記と日本書紀です。
733年の出雲国風土記は、出雲の国が朝廷に出した、土地の報告書。地名の由来が中心で、スサノヲは出てくるけれど、大蛇を斬った話は、ひとつもない。

歩きながら、思いました。
ヲロチは、一度斬られて、終わっていない。

時代が変わるたびに、その時代の怖いものの姿を借りて、何度でも出てくる。

ヲロチは、時代ごとに姿を変える。712〜720年の古事記・日本書紀でスサノヲが高志のヤマタノヲロチを斬り尾から剣が出る。733年の出雲国風土記にヲロチ退治は出てこず国引きの話がある。1185年の壇ノ浦で安徳天皇と剣が海に沈み、のちの物語では大蛇が剣を抱えて竜宮へ。中世の御伽草子や絵巻では酒呑童子がヲロチの血を引く子として語られ、スサノヲは疫病を払う牛頭天王と重ねられる。江戸からは神楽や浮世絵に。いまも出雲で毎年神楽の舞台に出てくる。各段に、水彩の小さな絵つき
古事記より前から、いままで。ヲロチは、時代ごとに姿を変える。

壇ノ浦に沈んだ剣と、大蛇

1185年、壇ノ浦。
数えで8歳(いまの数え方で6歳)の安徳天皇(あんとくてんのう)が、三種の神器(さんしゅのじんぎ)とともに海に沈みました。鏡と玉は見つかったけれど、剣だけが、見つからなかった。
これは物語ではなく、京の公家の日記や、鎌倉幕府の記録にも残っている出来事です。

寄り道|なぜ、幼い天皇が、神器と一緒に海へ?

三種の神器は、天皇のそばを離れません。天皇が動けば、神器も一緒に動きます。
そして神器は、「この人が本物の天皇だ」というしるしでした。

1183年、木曾義仲(きそよしなか)が都に攻め上ってきたとき、平家は、清盛の孫にあたる幼い安徳天皇と、三種の神器を連れて、西へ逃げます。都落ち(みやこおち)です。
都では、後白河法皇(ごしらかわほうおう)が、神器のないまま後鳥羽天皇(ごとばてんのう)を立てました。天皇が二人いる、2年間の始まりです。

そして1185年、壇ノ浦。負けが決まったとき、清盛の妻で、天皇のおばあさんにあたる二位尼(にいのあま)が、天皇を抱いて海に入りました。
捕まれば、天皇も神器も、源氏の側に渡る。源頼朝(みなもとのよりとも)は弟の源範頼(みなもとののりより)に、天皇と神器を無事に取り戻せるよう、よく考えて戦えと書き送っていました(『吾妻鏡(あづまかがみ)』)。

『平家物語』では、二位尼は幼い天皇に「波の下にも都がございます」と言い聞かせます。
決めたのは、8歳の子ではありません。天皇を、本物のしるしごと、相手に渡さないため。そう読まれています。

その剣は、スサノヲがヲロチの尾から取り出した、あの剣だとされています。

『平家物語』には「剣巻(つるぎのまき)」という、剣の由来を語る巻があって、そこでヲロチ退治の話が語られる。
『源平盛衰記(げんぺいせいすいき)』では、海女が海の底で竜宮の城を見つけます。そこで大蛇が、口に剣をくわえ、安徳天皇を抱いていた。「剣は、地上に返すことはできない」と。

海の底の竜宮の前で、大きな黒い大蛇が口に剣をくわえ、胸に小さな子どものシルエットを抱いている水彩。遠くに海女の影
海の底の竜宮で、大蛇が剣を抱えていた。『源平盛衰記』の場面。
大蛇は「口にくわえているのは宝剣である。抱いている子どもは先帝の安徳天皇である」と告げる。『源平盛衰記』の場面(国立公文書館の展示解説より、要約)

尾から出てきた剣が、大蛇のところへ帰っていった。
当時の人は、そう語ったわけです。

寄り道|その剣は、いま、どこにあるのか

スサノヲは、高天原(たかまがはら)で姉の天照大御神(あまてらすおおみかみ)ともめて、追い出された神です。
その姉に、ヲロチの尾から出た剣を「めずらしい物だから」と献上した。古事記は、そう書いています。

その後、天照大御神の孫のニニギが地上に降りるとき、鏡と勾玉と、この剣を持たされます。
これが、天皇家に伝わる「三種の神器」——八咫鏡(やたのかがみ)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の始まりです。

剣ははじめ宮中にあって、崇神天皇(すじんてんのう)のころに写しを作り、本体は外へ。伊勢に移されます。
そこからヤマトタケルが東へ持って行き、野火に囲まれたとき、草を薙いで助かった。それで「草薙剣」。
尾張に置いたまま亡くなって、その場所が、いまの熱田神宮です(『日本書紀』など)。

668年には、新羅(しらぎ)の僧に盗まれて、取り戻され、しばらく宮中に。
686年、天武天皇(てんむてんのう)の病が「剣のたたり」と占われて、熱田へ返されました。

壇ノ浦で沈んだのは、宮中に残っていたほうの、写しです。
鏡と勾玉は戻ったけれど、剣は戻らず、のちに別の剣が写しとして立てられました。

三種の神器は、いまどこに。八咫鏡は本体が伊勢神宮(内宮)で、写しは皇居の賢所。草薙剣は本体が熱田神宮で、写しは皇居の剣璽の間、壇ノ浦で沈んだのは写しのほう。八尺瓊勾玉は皇居にあり、三つのうちこれだけが本体。代替わりの儀式でも箱のまま運ばれ、天皇ご自身も中を見ないとされる。三つとも見た人がいない、それでも受け継がれている。各段に、水彩の小さな絵つき
三種の神器は、いまどこに。鏡は伊勢、剣は熱田、勾玉は皇居。

いまは——鏡は伊勢神宮、剣は熱田神宮、勾玉は皇居。
鏡と剣は、写しが皇居にあります。

そして、ここが不思議なところ。
三つとも、誰も見ることができません。

2019年の代替わりの儀式でも、剣と勾玉は箱に入ったまま、台に置かれ、運ばれました。箱は、開けません。
天皇ご自身でさえ、実物を見ることはない、と言われています。

熱田の本体も、御神体(ごしんたい)なので非公開。
明治のはじめ、勅使(ちょくし)が調べようとして、最後の箱を開ける直前に「やめよ」と伝令が来た、という話まで伝わっています。

神器は、ありがたいだけのものではありません。
崇神天皇は、御殿の中で祀っていた鏡の神の力を畏れて、一緒に住むのが落ち着かず、外へ移しました(『日本書紀』)。天武天皇の病は、剣のたたりと占われました。

日本の神さまには、恵みをくれる穏やかな顔(和魂・にぎみたま)と、荒れて祟る顔(荒魂・あらみたま)があります。
伊勢神宮には、天照大御神の荒魂だけを祀るお宮(荒祭宮・あらまつりのみや)が、別にあるくらいです。

だから、おそれて、うやまう。
宮中で鏡の写しを祀る場所は「賢所(かしこどころ)」。「畏(かしこ)き所」、おそれ多い場所、という意味だと言われています。

江戸時代に、神官たちがこっそり箱を開けて見た、という記録だけはある。
その話は、常設展の銅剣のところで、もう一度。

酒呑童子(しゅてんどうじ)は、ヲロチの子

中世の絵巻や御伽草子(おとぎぞうし)では、鬼の酒呑童子は、伊吹山(いぶきやま)の神の子として語られます。
その伊吹山の神は、スサノヲに斬られたヲロチの魂だとされた。

退治されたヲロチは、終わっていない。
別の怖いものの、親として、また出てくる。

寄り道|酒呑童子は、どんな鬼だったのか

酒呑童子は、京の都の北西、丹波(たんば)の大江山(おおえやま)にすむ鬼の頭です。
都の姫たちをさらい、館で人を食う。平安時代の武将・源頼光(みなもとのよりみつ)と、渡辺綱(わたなべのつな)・坂田金時(さかたのきんとき)ら四人の家来が、退治に向かいます。

一行は山伏(やまぶし)に化けて館に入り込み、道中で出会った三人の老人——じつは神様——からもらった毒の酒「神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)」を飲ませて眠らせ、首を切る。
切られた首は宙を飛んで、頼光の兜にかみついたと語られます。首は都に入れてもらえず、老ノ坂(おいのさか)に埋められた。いまも「首塚大明神(くびづかだいみょうじん)」として祀られています。

この鬼が死にぎわに言った言葉が、御伽草子(渋川版(しぶかわばん))に残っています。
「情けなしとよ客僧(きゃくそう)たち。いつわりなしと聞きつるに、鬼神に横道(おうどう)なきものを」

——ひどいじゃないか、お坊さんたち。嘘はつかないと聞いていたのに。鬼は、だまし討ちのような曲がったことはしないのに。
だました側が人間で、だまされた側が鬼。読んでいると、どちらが鬼なのか、分からなくなります。

ヲロチの子だという生まれの話は、あとから足されました。
いちばん古い絵巻『大江山絵詞(おおえやまえことば)』(南北朝時代)に、ヲロチは出てきません。室町時代の絵巻(狩野元信(かのうもとのぶ)『酒伝童子絵巻』1522年)で住まいが伊吹山に移り、御伽草子や江戸時代の絵巻では、「伊吹山の神と、近江(おうみ)の長者の娘のあいだに生まれた子」という生い立ちまで描かれます。

その伊吹山の神が、スサノヲに斬られたヲロチの魂だった、というわけです。
子どもは三つのころから酒を飲んで暴れ、比叡山(ひえいざん)に預けられても追い出され、家族にも見放されて、山にこもって鬼になった。

伊吹山には、もう一つ、剣の話がつながります。
ヤマトタケルが草薙剣を置いて登り、山の神にやられて死んだ山。『日本書紀』では、その神は大蛇の姿で出てきます。

斬られたヲロチが山の神になり、剣を置いてきた英雄を倒し、やがて鬼の父になる。
中世の人は、そうやって古事記の続きを語っていたんですね。

疫病を払う神へ

一方のスサノヲは、牛頭天王(ごずてんのう)という、疫病の神と重ねられて信仰されました。
京都の祇園社(ぎおんしゃ)——いまの八坂神社の神です。明治の神仏分離(しんぶつぶんり)で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)として祀られるようになりました。

退治する側も、される側も、時代に合わせて役が変わる。
怖い病が流行れば、それを払う神になる。

ひろし

何回、生まれ変わるんや。

いちばん驚いたもの

特別展で、僕がいちばん驚いたのは、「ヤマタノオロチの骨」です。

出雲市佐田町の、須佐神社(すさじんじゃ)に伝わってきたものです。
スサノヲを祀る神社。ふだんは宝物庫にあって、門外不出。今回、特別に展示されているけれど、これから先、ほかへ出す予定はない、と添えられていました。

ひろし

えっ、骨、あるん。

めちゃくちゃ、興奮しました。

須佐神社は、出雲国風土記にも出てくる場所です。
風土記の須佐郷(すさのさと)には、スサノヲが「自分の名前は木や石にはつけない。この土地につける」と言って、須佐の名になった、と書いてあります。

風土記は、オロチ退治を書かなかった。
でも、その須佐の神社に、オロチの骨が伝わっている。

何の骨かは、僕にはわかりません。

図録の見出しも、「伝 オロチの骨」。
伝は、言い伝えの伝です。神社も博物館も、「そう伝わっている」という形で、大事にしている。

山あいの古い神社。石の鳥居と苔むした石段、左右に大きな杉、奥に木の本殿と白い壁の蔵の水彩
須佐神社。出雲市佐田町の、山あいにある。

骨があるということは、誰かが、ほんとうにいたと信じていた、ということ。
物語の中の生きものが、骨になって残っている。

本物かどうか、という話ではありません。
そう信じて、大事に守ってきた人たちがいた。そのこと自体が、ヲロチの「その後」なんだと思いました。

僕の見立て:古事記は、ある時代のストーリーを保存した

この特別展で、思ったことがあります。

物語は、古事記にまとめられるより前から、きっと変わり続けていた。

川の氾濫。火山の噴火。もしかしたら地震や地滑り。
それから、製鉄。

その時代ごとの、怖いものや大きな出来事を取り込みながら、少しずつ姿を変えてきた。
そして712年、古事記が作られるタイミングで、その時代のストーリーとして、保存された。

そのあとも、時代ごとに変化して、利用されて。
ヤマタノオロチは、いまもなお、人の心の中で、暮らしの中で、この出雲の土地として、生き続けている。

僕の見立て。古事記より前は、川の氾濫や噴火や製鉄など、その時代ごとに怖いものの姿を借りて物語は変わっていた。712年に古事記にまとめられ、その時代の形で保存された。そのあとも壇ノ浦、酒呑童子、疫病など、時代ごとに別の出来事のたとえとして使われた。いまは神楽の舞台で毎年出てきて、ヲロチは出雲の土地として生き続けている。正解はひとつではなく、これは僕の見立て。各段に、水彩の小さな絵つき
正解は、ひとつじゃない。これは、僕の見立てです。

正解は、ひとつじゃない。
このシリーズで三つの説を読み比べてきたのも、そういうことでした。

もうひとつ。
やっぱり、日本の神さまは、自然そのものなんじゃないか。この特別展を見て、その思いが、また確信に近づきました。

日本の神さまは、善い神と悪い神に、分かれていません。
同じ神に、恵みをくれる顔と、荒れて祟る顔がある。川は田んぼを流すけれど、あの平野を作ったのも、同じ川です。

善か悪かは、見る角度や、立っている場所で変わる。
ヲロチも、スサノヲも、そうやって時代ごとに、役を変えてきました。

常設展:何度見ても、圧巻

特別展のあとは、常設展へ。
常設展は、写真を撮らせてもらえます。

入ってすぐの中央ロビーに、宇豆柱(うづばしら)。
出雲大社の境内から2000年に出てきた、三本束ねの柱の実物です。

出雲大社境内から出土した宇豆柱の実物。杉の巨木が、石の上に立つ
宇豆柱の実物。杉の巨木が、三本束ねられている。
宇豆柱の展示。三本の巨木を束ねた柱の実物を、青い照明の中で見上げる
三本を束ねた形がわかる展示。

出雲大社の話は、次の記事で、ゆっくり書きます。

銅剣358本の部屋

そして、あの部屋です。

古代出雲歴史博物館の常設展。荒神谷遺跡で出土した銅剣358本が、壁一面に並ぶ展示室
荒神谷(こうじんだに)遺跡の銅剣358本。壁一面に。

やっぱり、何度見ても、圧巻。
出雲大社に寄ったら、ぜひ、ついでに見ていってほしい。感動します。

壁に並んだ銅剣のアップ。金色の輝きをもどした復元品が、壁一面に並ぶ
金色に輝きをもどした復元品が、壁一面に並ぶ。

今回は、取材のつもりで行ったので、どう埋められていたかを、よく見てきました。
お墓ではありません。誰かが、並べて、埋めた。

荒神谷遺跡の発掘の様子を再現したジオラマ。山の斜面を削った段に、人がしゃがんで掘っている(スポットライトの部分が見えるよう、少し暗くした)
発掘のようすを再現したジオラマ。山の斜面を削った段に、並べてあった。

ほんとうに、まとまって埋まっていたんですね。
斜面を削った段に、刃を起こして、四列に。

ひろし

発掘、ほんまに楽しかっただろうなぁ。

寄り道|ヲロチから出た剣は、鉄? 銅?

銅剣の部屋で、ふと思いました。
ヲロチの尾から出た剣は、鉄だったのか、銅だったのか。

古事記は、書いていません。
「都牟刈(つむがり)の大刀」——よく切れる太刀、とあるだけ。

手がかりは、いくつかあります。

鉄と読む手がかり

  • 尾を切ったとき、スサノヲの剣の刃が欠けた。中の剣のほうが硬かった、という書き方。製鉄説の人は、ここを「青銅より硬い鉄」と読む
  • 古事記が書かれた712年、剣といえば、もう鉄。鉄の剣が広まるのは古墳時代、鉄を国内で作るのは6世紀後半からだけれど、書いた人の頭の中の剣は、鉄だったはず
  • 荒神谷の銅剣は、それより800年ほど前の、弥生時代のもの

銅と読む手がかり

  • 熱田神宮の本体は、誰も見られない。ただ江戸時代の記録に、神官たちがこっそり箱を開けて見た、という話がある。長さは85センチほど、刃先は菖蒲(しょうぶ)の葉の形、色は全体に白っぽく、錆びていなかった——と
  • 赤く錆びる鉄ではなく、銅の剣ではないか。そう読む研究者もいる。ただし、見た人からの伝聞です
  • 見た神官たちは、流罪(るざい)になったり、病で亡くなったり。ひとりだけ助かった人が、書き残したと伝わる
ヲロチの剣は、鉄か銅か。古事記は書いていない。鉄と読むなら、スサノヲの剣の刃が欠けた=中の剣のほうが硬い、712年の人にとって剣は鉄。銅と読むなら、江戸の記録に白っぽく錆びていなかったとあり、赤く錆びる鉄ではないのでは。どちらでも、話はつながる。鉄の剣と青銅の剣の水彩画つき
鉄と読むか、銅と読むか。古事記は、書いていない。

答えは、「どちらとも言い切れない」。
鉄と読む人が多いけれど、銅剣説もある。

面白いのは、どちらでも話がつながるところです。
鉄なら、ヲロチの正体は砂鉄と、製鉄の人たち。
銅なら、目の前の、この358本。

前の記事にも書きました。遺跡は、嘘をつかない。

銅鐸(どうたく)は、入れ子で

加茂岩倉遺跡の銅鐸が並ぶ展示ケース。手前に国宝の札
加茂岩倉(かもいわくら)遺跡の銅鐸。手前に「国宝」の札。

加茂岩倉遺跡の銅鐸は、39個。
大きい銅鐸の中に、小さい銅鐸を入れて——入れ子にして、埋めてあった。

加茂岩倉遺跡の銅鐸の埋納状況を再現した模型。穴の中に、大小の銅鐸が入れ子になって並ぶ
埋められていたときのようすの模型。入れ子になっているのがわかる。
銅鐸の上部の吊り手(鈕)のアップ。流水文様が刻まれている
銅鐸の上の吊り手。流水の文様。
緑青に覆われた銅鐸のアップ。大小の銅鐸が並ぶ
緑青(ろくしょう)に覆われた銅鐸が、大小並ぶ。
青銅器の出土分布を光で示した西日本の地図。出雲のあたりに、赤い光が集まっている
青銅器の出土地を、光で示した地図。出雲のあたりに、光が集まる。

光の地図を見ると、出雲のあたりだけ、赤く密集している。
「神話の国」が、土の中から出てきた物で、実在の国に変わった場所です。

国引きの映像と、綱の正体

常設展には、国引き神話の短い映像があります。2分ほど。
水族館のゴビウスにあったような、模型に光で見せる作りです。

国引きの話は、古事記にも日本書紀にもありません。
出雲国風土記にだけ、出てくる。

神が、海の向こうの余った土地に綱をかけて、「国来い、国来い」と引き寄せた。
引いた綱は、いまの砂浜になった。杭は、三瓶山(さんべさん)と大山(だいせん)。

国引き神話の水彩。逆光のシルエットの神が岩の上に立ち、太い綱を引いている。綱は海沿いの長い砂浜の帯となって遠くの山に結ばれ、朝焼けの海と低い雲が広がる
綱を引く神。綱は、海沿いの長い砂浜の帯になった。

前に、西浜いもの記事で書きました。
薗の長浜(そののながはま)という綱は、神戸川(かんどがわ)と昔の斐伊川が運んだ砂が、あとからつないだ道だった。

今回、もう一本の綱を調べました。
大山に杭を立てて引いた綱——夜見島(よみのしま)。いまの、鳥取の弓ヶ浜(ゆみがはま)です。

弓ヶ浜について、確かめたこと

  • 弓ヶ浜は、日野川(ひのがわ)が運んだ砂でできた、日本でもいちばん大きいくらいの砂州。もともと、なかった土地
  • 砂の帯は三列。内側から、弥生時代ごろ、風土記の奈良時代までに、そして室町時代より後の順にできた
  • 風土記の時代は「夜見嶋(よみのしま)」と呼ばれ、まだ島だったようだ
  • いちばん外側の帯を大きく伸ばしたのは、日野川の上流で行われた、たたら製鉄の砂鉄採りの土砂(鉄穴流し(かんなながし))だとされる

つまり、綱は二本とも、あとから砂でできた道でした。

そして、弓ヶ浜を太らせたのは、たたらの砂。
オロチと製鉄の話とも、ここでつながってしまう。

寄り道|弓ヶ浜は、いつ陸続きになったのか

資料によって、幅があります。
風土記の時代(8世紀)には島。内側と真ん中の砂の帯はできていて、外側の帯が室町時代より後に伸びて、いまの半島の形になった。江戸時代ごろ、とする説明もあります。

鳥取県の試算では、1689年から1920年までの231年間に、約2億5千万立方メートルの土砂が、日野川から海へ出たそうです。
陸続きになった年を、ひとつに決めている資料は見つかりませんでした。だから、この記事でも決めません。

国を引っ張ってきたんじゃない。
砂がたまって、それまで行けなかったところへ、歩いて行けるようになった。

ひろし

逆から見たら、引っ張ってきた、とも言えるやん。

そういう話なのかなぁ、と、僕は思っています。
風土記の時代の人が、この景色を見て国引きの話を生んだ、と考える研究者もいます。

展示ガイドアプリが、良かった

せっかくなので、展示ガイドアプリを使ってみました。
入口のQRコードから入れて、無料。館内のWi-Fiにつないで、イヤホンで聞きます。

詳しく、音声で解説してくれる。
しかも、館の外からでも、家に帰ってからでも使える。

だから、あとで気になったところを、復習できる。
この記事を書きながらも、聞き直しました。

スマホがなくても、専用のガイド機を無料で貸してくれます。

博物館の薄暗い展示室で、イヤホンをしてスマートフォンを持った人の後ろ姿が、ガラスケースの中の銅鐸を見ている水彩
イヤホンで解説を聞きながら、展示の前で。

歴博の歩き方

歴博の歩き方。特別展「その後のヲロチとスサノヲ」は10月9日〜11月29日、休館は10/20・11/10・11/17。料金は特別展1,100円、常設展とのセット1,440円、常設展だけなら680円。10月は9時〜18時、11月は17時まで。特別展と常設展をぜんぶ見るなら2時間以上を見ておく。駐車場は思ったより車が多く、県外ナンバーが多い。展示ガイドアプリは無料で、館内のWi-Fiにつないでイヤホンで聞き、家に帰ってからも聞き直せる。学芸員の解説は会期中の日曜14時から、各回20人、要申込。各段に、水彩の小さな絵つき
行く人向けに、1枚にまとめました。

特別展は、11月29日まで。
会期中の日曜日には、14時から学芸員さんの解説があります。各回20人で、申し込みが要ります。

時間は、特別展と常設展をぜんぶ見るなら、2時間以上を見ておくと安心です。

図録は、2,200円。
僕は、買いました。

駐車場は、歴博のものがあります。
週末は、出雲大社の参拝の車も入ってくるようなので、早めの時間がよさそうです。

今日の一曲

ドレスコーズで、「循環進行/逆循環進行」。
2019年、手塚治虫の『火の鳥』をテーマに10組が曲を書いたアルバム『NEW GENE, inspired from Phoenix』に入っている曲です。

循環進行というのは、音楽の言葉です。
いくつかのコードを順番に回して、最後にまた最初へ戻ってくる進み方。逆循環は、同じ輪を、別の場所から回り始めたもの。戻ってくるのは同じなのに、聞こえ方が変わる。
この曲は、ほとんどずっと、この輪を回っています。

寄り道|この曲のコードを、たどってみた

公式のコード譜は見つからなかったので、コードを画面に出しながら弾いている方の動画を、最初から最後まで、止めながら読みました。
原曲も、ヤマハのアプリ「Chord Tracker」で調べてみました。キーはどちらもC、出てきたのも同じ輪でした。

Aメロは、Dm7 → G7 → CM7 → A7 を、ほとんどずっと回っています。数字で言うと、Ⅱ→Ⅴ→Ⅰ→Ⅵ。これが逆循環です。
この4つは輪になっているので、CM7から数え直すと、Ⅰ→Ⅵ→Ⅱ→Ⅴ。こちらが循環。同じ輪を、どこから回り始めるかの違いなんです。

同じ輪を、どこから回るか。ドレスコーズ「循環進行/逆循環進行」のコード(キーはC)。CM7(Ⅰ)、A7(Ⅵ)、Dm7(Ⅱ)、G7(Ⅴ)が時計回りの輪になり、Ⅰから回れば循環、Ⅱから回れば逆循環。この曲のAメロは、ほとんどずっと逆循環の輪。後半と終わりはカノン進行C→G→Am→Em→F→C→F→G、歌の終わりはⅡ→Ⅴ→Ⅰで家のCに帰る。終わりが次の始まりになる、ヲロチの輪と同じ形。真ん中に神楽のヲロチの水彩画
同じ輪を、どこから回るか。真ん中は、神楽のヲロチ。

後半と終わりは、C → G → Am → Em → F → C → F → G。有名な「カノン進行」で、これも最後のGが、また最初のCに戻りたがる形です。
そして歌の最後は、Ⅱ→Ⅴ→Ⅰ(Dm7 → G7 → C)で、いちばん落ち着く「家」のCに帰ります。ジャズで、いちばん基本の終わり方です。

題名の「/」は、同じ円の、二つの呼び名なんだと思います。これは、僕の見立てです。
コードは、YouTubeの「社会人の休日」さんの弾き語り動画(コード付き)と、ヤマハのアプリ「Chord Tracker」で確かめました。

この記事で書いてきたヲロチは、まさにそれでした。
川、噴火、製鉄、壇ノ浦、疫病。時代ごとに顔ぶれと順番を入れ替えながら、毎年、神楽の舞台に戻ってくる。

この曲にたどり着いた道筋は、こうでした。
ヲロチは、何度でもよみがえる → 不死鳥 → 火の鳥 → フェニックス → 父がやっていた店の名前 → 僕の店、La Fenice(イタリア語で、不死鳥)→ このアルバム → この曲。

初めて聴いたときから、大好きな曲です。
この記事で使えるのが、むしろ光栄というか。うれしい。

この記事を書き終えて聴き直したら、この二節が、まるでヲロチの運命のように聞こえました。

かえってきたわ
また ふりだしへ
ああ まるで うつくしい
音楽のようね

おわりは はじまりへと もどるように
すべては まるい円を えがくように
まわる そしてここで とじる

ドレスコーズ「循環進行/逆循環進行」(作詞・作曲 志磨遼平)より

一度終わって、また最初に戻る。その繰り返しが、まるいひとつの円になる。
斬られても、時代が変わっても、何度でも戻ってくるヲロチの話を書いたあとだと、一行一行が、そう聞こえました。

火の鳥のことを歌った曲なのに、歌詞も、コードも、ヲロチに重なる。
ヲロチは、音楽でもあったんですね。思えば、神楽のヲロチも、笛と太鼓に乗って、毎年戻ってきます。

でも、考えてみれば、重なって当然なのかもしれません。
手塚治虫の『火の鳥』で、火の鳥は、時代の要所要所に現れます。炎の中に飛び込んで、若返って、また出てくる。不死鳥です。

ヲロチには、噴火説がありました。
山の火から生まれ、時代ごとによみがえり、循環進行と逆循環進行のように、何度でも戻ってくる。ヲロチは、不死鳥——火の鳥でもあったんです。

歌詞の全文は、Uta-Netで読めます。

ドレスコーズの公式チャンネルに、音源があります。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。

それでは、おやすみなさい。