ダビデは、歌いながら料理をした|僕のイタリア料理が一度壊れた話
僕のイタリア料理は、富山で一度壊れました。
壊したのは、ローマから来たダビデというシェフです。
壊された、と書きましたが、恨みごとではありません。あのとき一度壊れたおかげで、いまの僕の料理があります。今日はその人の話です。

ダビデ
ローマの出身で、イタリアで日本人の女性と知り合って、富山に来た人でした。日本語の学校には通ったそうですが、ほとんど話せません。それでも富山で店を開いていました。
当時、僕は別の店で働いていました。ダビデが人を探していると聞いて、「行ってみようかな」と。それだけの、軽い理由でした。
その軽い一歩の先で、それまで日本で覚えてきた僕のイタリア料理が、音を立てて壊れることになります。
冷凍のグリーンピースが、こんなに美味しいのか
最初の衝撃は、豆でした。
アーリオ・オーリオにパンチェッタ。そこへ冷凍のグリーンピースを入れて、炒めるというより、さっと炒め煮にする。それだけの、付け合わせのようなシンプルな一皿です。イタリア語でピゼッリ(piselli)。
正直に言うと、僕はそれまでグリーンピースが好きではありませんでした。頭にあったのは、あの缶詰特有の匂いです。
ところが、ダビデのピゼッリにはそれが全くなかった。豆の甘さと、パンチェッタの塩気と、オイル。これだけで、こんなに美味しいのか。
僕が嫌いだったのは、グリーンピースそのものだったのか?
それとも、たまたま出会った状態のことだったのか?
冷凍でも、美味しく使える。むしろ冷凍だから、いい状態のまま使える食材がある。「冷凍もの」とひとくくりに下に見ていた自分の物差しが、まずここで折れました。

「ニンニクは、色をつけない」
次に壊れたのは、火入れでした。
ダビデのニンニクは、色がつく前に仕事を終えていました。オイルに香りを移すのが目的で、ニンニクを焼くのが目的ではない。カリカリのきつね色を「香ばしくていい」と思っていた僕には、これも衝撃でした。
正直に書いておくと、いまの僕は、ニンニクに色をつけています。ニンニクの香ばしさが欲しいからです。ただし火入れは、ダビデのまま——ゆっくり。まず香りをしっかりオリーブオイルに移して、それから色づかせる。
「色をつけない」という選択肢があること。香りは焼くものではなく、油に移すものだということ。火加減の記事で書いた考え方の源流は、ダビデです。教わった通りではなく、教わったことの上に、自分の好みをひとつ重ねた形です。
「なぜ日本人は、カルボナーラに生クリームを入れるんだ?」
ダビデが不思議そうに聞いてきたことがあります。なぜ日本人はカルボナーラに生クリームを入れるんだ?と。
先に書いておくと、これは生クリーム入りが間違いだという話ではありません。生クリームのカルボナーラには、あれはあれの美味しさがあります。日本で広く愛されてきた歴史もあります。
ただ、ダビデにとってカルボナーラはローマの家の味でした。グアンチャーレ(豚ほほ肉の塩漬け)と、ペコリーノ・ロマーノ(羊乳のチーズ)と、卵と、黒胡椒。当時の日本ではグアンチャーレ自体が珍しかった時代に、ダビデは当たり前のようにそれを使って、「グアンチャーレ、美味しいな」と言いながら食べていました。
同じ名前の料理の後ろに、別の土地の、別の暮らしがある。チーズの記事で書いたペコリーノへの入り口も、ここでした。
シンプルでも、最高
ダビデの料理は、驚くほどシンプルでした。
ブルスケッタにアンチョビとモッツァレラを少し載せて、オーブンでさっと焼くだけ。茹でたパスタに、ペコリーノと黒胡椒だけ。
それで、最高なんです。
そしてダビデは、エクストラヴァージンオリーブオイルを使うことを恐れませんでした。油はなにかと敵視されがちですが、必要なら、ちゃんと使う。シンプルな料理ほど、オイルが味の柱になる。この感覚も、いまの僕の土台に入っています。

歌いながら、料理をする人
ダビデの厨房には、いつも歌がありました。
機嫌がいいと歌う。というより、だいたいいつも機嫌がよくて、だいたいいつも歌っていました。感情の起伏は大きいのに、根っこがとにかく明るい人でした。
日本語はほとんど話せないのに、かわいい女性のお客さんには臆せず話しかけにいく。知っている日本語なら、何でも使う。「イノシシ!」「こうもり!」。挨拶ですらない。でも、陽気さだけは、ちゃんと伝わるんです。通訳をさせられるのは僕でした。おかげで僕のイタリア語の勉強にもなりました。笑
厨房の外にも、ローマの暮らしがそのままありました。イタリアのマンマと、毎日テレビ電話をする。イタリア人の友だちが集まると、決まって政治の議論が始まる(日本の飲み会では、まず見ない光景です)。しょっちゅうエスプレッソやカプチーノを淹れて、僕にも出してくれる。朝ごはんは、甘いコルネットとカプチーノ。ビールはモレッティかペローニ。そして赤ワインをコーラで割って、うまそうに飲んでいました。最初はぎょっとしましたが、これが、飲んでみると美味しいんです。
そして、ある日気づいたら、いつも行くスーパーのレジの女性と付き合っていました。日本語が話せないのに、どうやって。いまだに分かりません。
いや、少しだけ分かります。ダビデはお茶目なおじさんなんですが、彫りが深くて、やたらとイケメンなんです。あのスパイスは、たぶん効いていました。笑
欲しい食材があれば買う。作って、食べてもらうのを楽しむ。ワインは「イタリアに近い値段で飲んでほしい」と、驚くような値段で出していました。商売としては、たぶん危なっかしい。でも、その大らかさごと、ダビデでした。


「もう、給料は払えません」
別れは、ある日突然でした。
もう給料は払えません、と言われたのです。そうなると、僕も生活があります。店を離れるしかありませんでした。
ただ、喧嘩別れではなかった。最後は「ありがとう」で別れました。
何年か経って、イタリアンとワインのフェスで一度だけ偶然会いました。元気そうでした。名古屋に行く、と言っていました。名古屋にも縁のある人がいて、向こうで店をやるんだと。
それきりです。いまどうしているのかは、知りません。でも、想像はつきます。名古屋のどこかで、歌いながら料理をしているはずです。

一番残ったもの
ダビデから受け取ったものを並べると、冷凍のピゼッリ、ニンニクの火入れ、ローマのカルボナーラ、グアンチャーレ、ペコリーノ——と、料理のことがいくつも出てきます。
でも、一番残っているものは何かと聞かれたら、料理ではありません。
楽しくやることかな。
歌いながら料理をして、お客さんに話しかけて、美味しいなと言いながら自分でも食べる。あの厨房の空気そのものです。
確かに、仕事は楽しまんとな。と、いまでも思います。しんどい日ほど、ダビデの歌を思い出します。
僕のイタリア料理は、富山で一度壊れました。
壊れたところに残ったのは、技術よりも先に、その一言でした。
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今日の一曲
ドメニコ・モドゥーニョ「ヴォラーレ(Nel blu dipinto di blu)」
イタリアで一番有名な、「歌うこと」の歌です。原題は「青く塗られた青の中に」。空へ飛び上がって、歌いながらどこまでも行ってしまう歌。1958年に世界中を席巻して、グラミー賞の記念すべき最初の「最優秀レコード賞」になりました。
陽気で、大らかで、仕事をしながら歌ってしまう。ダビデの厨房には、いつもこの歌の空気が流れていた気がします。
ダビデ、元気ですか。僕はいまも、あなたに教わったやり方でニンニクを火にかけて、楽しくやっていますよ。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。












