僕は、海竜のことを何も知りませんでした。

先週まで、恐竜と海竜の区別もついていなかったと思います。海にいる恐竜でしょ、くらいの理解でした。

違いました。今日はその話と、もうひとつ——「知ると、見える」という話です。

この記事の結論まとめ図
これ1枚で、この記事の結論です。
サヒメルの入口。海竜大進化ののぼりが並ぶ
島根県立三瓶自然館サヒメル。「この夏、三瓶が海になる。」

「見に行こうと思っています」の、続きです

ヤマタノオロチの記事を、僕はこう締めくくりました。あのオロチの話をしてくれた古生物学者・荻野慎諧さんが展示に協力された企画展「海竜大進化 恐竜時代の蒼き海へ」が、いまサヒメルで開かれている。近いうちに、見に行こうと思っています——と。

行ってきました。息子ふたりを連れて。

海竜大進化のポスター
会期は2026年9月27日まで。

つまり僕は、海竜が目当てで行ったわけではないんです。荻野さんに教えてもらって、荻野さんが関わっている展示だから、気になった。それが本音でした。

その僕が帰るころには、すっかり海竜に心を掴まれていました。

海竜は、恐竜ではなかった

会場では、家族でクイズラリーに挑戦しました。スマホで答えていく形式で、これが大人にもかなり歯ごたえがある。

そこで思い知ったのが、冒頭の話です。魚竜も、首長竜も、モササウルスも、恐竜とは別の生きものたち。陸で恐竜が栄えていた同じ時代に、海の中でまったく別の進化を遂げた爬虫類たちなんだそうです。

恐竜と海竜は別の生きものの図解
恐竜の子孫は、いまも空にいる。海竜の子孫は、いない。
恐竜と鳥の系統樹の展示パネル
「恐竜と鳥」の系統樹。スズメもハトも、恐竜の生き残り。

印象に残った話を、いくつか。

  • カメの甲羅は、お腹側からできた。背中はあとから。泳ぐ生きものは下から狙われるから、先にお腹を守った——展示のプロトステガの骨格を見ると、たしかに背中側はまだスカスカでした
  • 動けないウミユリは、深海へ逃げた。捕食者が強くなった海で、「深海へ退く」か「動けるようになる」か。進化の大競争の、二つの答え
  • 死んだ海竜は、深海の街になった。海竜の亡骸が海底に沈むと、その骨を拠り所にバクテリアが繁殖し、貝たちが集まって、小さな生態系ができる。「竜骨群集」というそうです。この展示がいちばん渋かった
プロトステガの骨格。背中側の甲羅は肋骨が広がった形
プロトステガの骨格。背中側は、まだ肋骨が広がっただけ。
竜骨群集のハイカブリニナ科巻貝の化石
竜骨群集の巻貝、ハイカブリニナの化石。深海の街の住人。

海の王者は、お腹の中で子を育てていた

企画展とあわせて、プラネタリウムでNHK制作の映像「海竜王」も観ました。主役は白亜紀の海の頂点、モササウルス。

その始まりの物語に、やられました。映像の解説によると、モササウルスの祖先は、体長1メートルほどのトカゲだったそうです。陸には恐竜や翼竜がいて、敵わない。だから、海へ飛び込んで逃げた。それを何世代も何世代も繰り返すうちに、体は海で暮らす形に変わっていった。

そして海の中には、恐ろしい恐竜がいなかった。魚はたくさんいた。ワニのように大きく開く口を持ったモササウルスは、やがて敵のいない海で、生態ピラミッドの頂点に立ちます。体はどんどん巨大化して、体長13メートル。生まれてくる子どもが、その時点でもう2メートルあるそうです。

モササウルスができるまでの図解
逃げて、変わって、王になるまで。

逃げた先で、王になった。
逃げることは、負けではないんだと、
1億年前のトカゲが教えてくれます。

映像の中で研究者が、モササウルスは胎盤を持つ数少ない生物の一種だと解説していて、驚きました。卵を産みに陸へ戻るのではなく、お腹の中で子どもを育てて、海の中で産む。あの巨体と獰猛さのイメージと、その子育ての姿が、頭の中でうまく重ならないんです。

ちなみにモササウルスは、あの体でも肺呼吸です。クジラと同じで、息継ぎに水面へ上がる。トカゲの体が海の暮らしに作り変えられても、肺だけは陸の名残のまま。だからこそ、卵ではなく、水の中で子を産む形へ進んだんですね。

そして会場では、マツカサトカゲという現存のトカゲも紹介されていました。このトカゲも、卵ではなく子どもを産むそうです。爬虫類=卵を産む、と習ってきた僕には、これも小さな衝撃でした。例外は、恐竜時代の海だけの話ではなく、いまも生きている。

モササウルスの仲間の幅も、面白かった。他の海竜を襲う巨大な種がいる一方で、グロビデンスという種は、丸いドームのような歯で貝を砕いて食べる専門家。同じ厨房でも、包丁が違えば仕事が違う——料理人としては、そこに親近感が湧きました。

グロビデンスの球状の歯の化石
グロビデンスの歯。切る歯ではなく、砕くための臼。

そして、時間の長さにも驚きました。魚竜から始まる海竜たちの時代は、あわせて1億年をゆうに超えます。一方の人類は、どんなに遡っても数百万年。

なぜ恐竜や海竜は、いまいないんだろう。
ずっとそう思っていたけれど、順番が逆でした。
彼らのほうが、圧倒的に長くこの地球にいた。
僕たち人類が、新参者なんです。

時間比較の図解
棒の長さが、そのまま時間です。人類の棒、見えますか。

民家に落ちた隕石と、直径10キロの隕石

その長い時代を終わらせたのが、約6600万年前の巨大隕石です。直径10キロほどの隕石が地球にぶつかって、環境が激変し、恐竜も、海竜たちも、アンモナイトも姿を消した——というのが現在の有力な説です。

実は少し前、松江の美保関にあるメテオプラザで、本物の隕石を見ました。1992年の雷雨の夜、美保関の民家の屋根に落ちて、2階と1階の床を突き破った、重さ6.38キロの石です。

会場には実際に持てる隕石もあって、持ち上げて驚きました。この大きさで、こんなに重いのか! 隕鉄は、ふつうの石よりずっと重いんです。

宇宙から何かが届くというのは、とても素敵なことだと思っていました。いまも思っています。でも、その同じ空から届くものに、恐竜と海竜の時代を丸ごと終わらせる怖さもある。素敵と怖いが、同じ石の中にありました。

メテオプラザに展示されている美保関隕石
美保関隕石。1992年、民家の屋根から1階の床まで突き破った6.38キロ。

ちなみに、その大きな石が落ちた跡も、ちゃんと残っています。メキシコのユカタン半島に、直径およそ180キロのクレーターが、6600万年分の地層の下に埋もれているそうです。地表からは見えません。でも、半島に無数にあるセノーテという泉の分布を地図に落とすと、クレーターのふちに沿ってきれいな弧を描く。地下の傷跡を、地上の泉がなぞっているんです。

帰ってから気になって調べたら、その日に何が起きたのかを再現したナショナル ジオグラフィックの記事がありました。想像を、はるかに超えていました。

地震は、マグニチュード10.1以上。津波は、最大305メートル。時速965キロの風が吹き抜け、衝突地点から1000キロ以内にいた生きものは、即死するか、数秒のうちに火球に焼かれたと考えられているそうです。落ちてくる隕石を見ることができた者は、数秒後にはもういない。地獄絵図、という言葉しか出てきません。

あの石を思い出しながら、直径10キロを想像してみる。……そら生態系も変わってしまうわ、と思いました。島根にいると、宇宙と地球の話が妙に身近です。

埋もれた巨木と、ヤマタノオロチ

サヒメルには、企画展の外にもうひとつ、僕が今回楽しみにしていた展示がありました。三瓶小豆原埋没林。約4000年前の三瓶火山の噴火で、立ったまま埋もれたスギの巨木たちです。

この「約4000年前の大噴火」という時代感覚が、オロチの記事で書いた荻野さんの見立て——オロチ伝説の正体は三瓶の火山活動ではないか、という説とつながります。5年前、あの話を聞いた翌日に、家族で確かめに来ました。あのとき生まれて間もなかった次男が、いまはスイカたろうを描けるまでになって、同じ場所に立っています。埋もれた巨木を目の前にすると、あの説がぐっと現実味を帯びて感じられました。もちろん、証明された話ではありません。でも、神話と地層が同じ場所を指している、そのロマンだけで十分です。

立ったまま埋もれていた縄文杉の幹
立ったまま埋もれていた、4000年前のスギたち。

木を見て、何も感じなかった僕へ

ここからが、今日いちばん書きたかったことです。

大学生のころ、富山で埋没林の博物館に行ったことがあります。恥ずかしながら当時の僕は、木の展示を見て、何を楽しめばいいのか全くわからなかった。大きな木だなあ。それだけでした。

その僕がこの日、埋もれた巨木の前で、言葉を失ったんです。エレベーターで降りて、下からも、上からも見られる展示で、これがほんとうに大迫力でした。

三瓶小豆原埋没林の巨木を上から見る
上から。立ったまま埋もれた根株と、横たわる幹。
埋没林の根株を真下から見上げる
下から。4000年前の根株が、生きもののようにそびえる。

解説を読むと、この木がなぜ「立ったまま」残ったのかが分かります。谷を流れ下った土石流が、まず幹の根元を埋める。続いて、水が運んだ火山の噴出物が上から覆う。二段階で、倒れる間もないほど素早く、深く埋まった。だから4000年間、立ったままでいられたそうです。

長さ10メートルを超える幹ごと残った埋没林は、世界的にも珍しいとのこと。発掘で確認された立ち木は約30本。そして地中には、まだ見つかっていない木が眠っているとみられています。いまも三瓶の地面の下に、縄文の森が立っているんです。

この木は4000年前に立っていた。その上を火山の噴出物が覆って、いままで残った。年輪の一本一本が、縄文時代の一年一年。同じ「木の展示」なのに、見えるものがまるで違う。

埋没林の巨木の根
根は、大地を掴んでいたかたちのまま。

もうひとつ、発見の経緯の説明に、僕は足を止めました。

始まりは、1983年の一枚の写真だったそうです。水田の区画整備の工事で掘り出された巨木を写した写真。それを目にした地元の研究者が学術的な価値に気づき、のちの地中レーダー探査と発掘調査につながって、1998年の冬、多数の巨木が姿を現した。

一枚の写真が、4000年前の森を現代に呼び出した。写真を撮り続けてきた人間として、ここにもしびれてしまいました。

展示は、何も変わっていません。
変わったのは、僕のほうでした。
知ると、同じものが違って見える。

思えば、モニターライトの記事で「知らなかったから、要らないと思っていた」と書いたのと同じ構図です。道具も、木も、たぶん人も。知らないものを、人は楽しめない。逆に言えば、知ることは、楽しめる範囲が広がることなんだと思います。

白状すると、前回来たときは、この木の展示まで辿り着いてすらいませんでした。次男が生まれてひと月半、長男が2歳。いま思えば、よく行ったなと思います。笑 小さな子ども連れでは、広くて複雑な館内を回りきれなくて、探索できたのは全体の4分の1ほど。奥の新館には、足を踏み入れてもいなかったんです。

この日は、余すところなく堪能しました。5年越しの、残りの4分の3でした。

子どもたちは、今日も自分の道を行く

一方の子どもたちはというと、クイズラリーを全問クリアして、ごほうびに本物のアンモナイトの化石をもらいました。ラベルには「約1億5,000万年前」。ジュラ紀の海の生きものが、子どもの手のひらに乗っています。

ジュラ紀のアンモナイト化石を手にする子ども
約1億5,000万年前のアンモナイト。Tシャツは自作のマンゴーたろう。

そして、木の枝や輪切りで自由に工作できるコーナーへ。長男と次男が、それぞれ黙々と作り始めたのは——

木の輪切りと小枝で作ったマンゴーたろう
長男作。小枝の眉、木の実の目、鉢巻きつき。
木の輪切りにマーカーの縞模様で作ったスイカたろう
次男作。縞模様を描けばスイカになる、という発明。
木の工作コーナーで製作中の手元
まわりじゅう海の生きものの中で、この集中。

マンゴーたろうと、スイカたろうでした。海竜の博物館に来てまで、自分の代表作を作る。缶バッジのときも思いましたが、あのキャラクターたちは、ふたりの中で本当に生きているんだと思います。

そして、描いた絵が動き出すコーナーがありました。紙に描いた絵をスキャンすると、大きなスクリーンの海に放流してくれるんです。ふたりがここで描いたのも、もちろん——

放流されたマンゴーたろう。アンモナイトとイカに囲まれて泳ぐ。(音は出ません)
スイカたろうも、アンモナイトに混ざって泳いでいました。(音は出ません)

1億5000万年前の海の住人たちと、生まれて数年のマンゴーたろうが、同じ海を泳いだ一日でした。

荻野さんのこと

最後に、この日をくれた人の話を。

荻野さんとの出会いは、大学時代の恩師・都留泰作先生のオンライン公開講座と、そのあとの懇親会でした。そこで「ヤマタノオロチって、何だと思う?」という問いをもらった夜のことは、前の記事にたっぷり書いたとおりです。

ひとつ、あの記事に書かなかったことがあります。懇親会で、荻野さんが楽器をされていると知って、「いつかお会いしたら、セッションしましょう」なんて約束をしたんです。画面越しに。とても気さくな方で、そのときの僕は、こんなにとんでもない方だとは分かっていませんでした。笑

その人のおかげで、僕は木を見て感動できる人間になった。オロチの記事も、この記事も、あの夜の問いから始まっています。荻野さん、ありがとうございます。セッションの約束、覚えていますからね。

まとめ

「海竜大進化 恐竜時代の蒼き海へ」は、9月27日まで。島根の方も、そうでない方も、間に合ううちにぜひ。クイズラリーは大人が本気になります。

そして、行く前にひとつだけ予習していくことをおすすめします。何でもいい。カメの甲羅でも、埋もれた木でも、隕石でも。

知ってから見ると、同じ展示が、違って見えるので。

今日の一曲

米津玄師「海の幽霊」

映画『海獣の子供』の主題歌です。海の大きな生きものと出会ってしまった人たちの物語に、米津さんが書き下ろした一曲。

この日の僕は、埋もれた巨木の前で言葉を失って、海竜の骨の前で立ち尽くして、帰りの車でもうまく話せませんでした。この記事に1万5千字も書いておいて何ですが、いちばん大事なところは、たぶんまだ言葉になっていません。

それでいいんだと、この曲が歌ってくれています。

大切なことは言葉にならない 夏の日に起きた全て
思いがけず光るのは 海の幽霊

米津玄師「海の幽霊」(作詞・作曲 米津玄師)より

夏の終わりの一日に、思いがけず光ったものたち。海竜と、深海の竜の街と、4000年前の森。あれはぜんぶ、海の幽霊だったのかもしれません。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。