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コーヒーの話の、第4回です。

第1回で、母から届いた手回しミルの話を書きました。あのとき、こう書いて先送りにしています。——ちなみにこの手回しミル、ここから十六年、毎日僕の豆を挽き続けることになります。その話はまた別の回で、と。

今日が、その別の回です。

レコードプレーヤーと手回しコーヒーミルとドリッパーが並ぶ、朝の机の水彩イラスト
レコードをかけて、豆を挽いて、一杯淹れる。それが朝だった。

先に、道具だけ

この記事には、いまの僕の朝の道具が出てきます。サーバー、ドリッパー、ケトル、電動ミル。道具だけ知りたい方は、この記事に出てきた道具へ飛べます。話は、そのあとで。

レコードをかけて、豆をガリガリ

朝、いちばん最初にすることは、レコードに針を落とすことでした。

それから豆を量って、ミルに入れて、ハンドルを回す。ガリガリ、ガリガリ。挽き終わったら、ペーパーをセットして、お湯を注ぐ。

この順番でした。音楽が先で、コーヒーが後。

当時はCDが全盛で、新譜のレコードは、ほとんど出ていませんでした。それでも中古のレコード屋に行けば、昔のポップスも歌謡曲も洋楽も、棚にはたくさんあった。ジャズばかりだったのは店のせいではなく、僕のせいです。大学ではジャズ研にいて、ジャズのレコードを買い漁っていました。ジャズにはCDになっていない音源も多くて、そういうのは、レコードを探すしかなかったんです。だから自然と、朝にかかるのはジャズになりました。

いまはレコードを探さなくても、YouTubeでなんでも聴ける。正直、羨ましいです。

ビル・エヴァンス。日によって、マイルス・デイヴィス。

大体、ジャズとコーヒー。これが僕の朝でした。

回している間、何を考えていたか。いろんなことを考えていたと思います。ただ、思い出そうとしても、中身は出てきません。出てくるのは、音と、匂いと、手の感触だけです。

たぶん、それでよかったんだと思います。あの一連の動きが、僕の朝に、ものすごく合っていた。しっくりきていた。だから十六年も続いたんです。

レコードに針を落とす手、手回しミルを回す手、ドリッパーに湯を注ぐ手の三コマの水彩イラスト
針を落とす。ハンドルを回す。湯を注ぐ。この順番だった。

十六年、一度も壊れなかった

手入れらしい手入れは、していません。

毎日使っていたので、掃除をする間もなかった、というほうが正確かもしれません。豆の油が少しずつつくので、それを適宜拭くくらい。

刃が減ったという印象もありません。壊れたことも、一度もない。

下が木の箱で、上が鉄。いちばん上に、回すハンドルがついている。カリタでよく見る形ですが、カリタではありませんでした。金属のエンブレムがついていて、絵のようなものが描かれていた記憶があります。メーカーは、いまだに分かりません。

構造が、とにかくシンプルなんです。豆を挟んで、砕く。それだけの機械には、壊れるところがあまりない。

電動ミルが来ていなければ、僕はいまも、あれを回していたと思います。そして、たぶんまだ壊れていない。

手回しミルの構造図。ハンドル、鉄の胴、木の箱、引き出し、金属のエンブレム
豆を挟んで、砕く。それだけの機械。

豆を挽く時間は、お湯が沸く時間だった

手回しの頃の、朝の順番はこうでした。

まずガスをつけて、お湯を沸かしはじめる。それからミルに豆を入れて、回す。ガリガリやっていると、挽き終わる頃に、ちょうど、湯が沸く。

狙ってそうしたわけではありません。やっているうちに、そうなっていました。

十六年、豆を挽く時間は、お湯が沸く時間でした。ふたつの時間が、たまたま、ぴったり噛み合っていた。

そのことに気づいたのは、噛み合わなくなってからです。

手回しミルでは挽き終わりと沸騰が同時、電動ミルでは挽き終わっても湯が沸いていない、という図解
十六年、ふたつの時間はぴったり噛み合っていた。

「電動ミル」という発想が、僕にはなかった

2017年に結婚しました。

その前から、いまの妻と一緒に朝を迎えるようになっていて、彼女は毎朝、僕がガリガリやっているのを見ていたわけです。

結婚のとき、妻の友人から「お祝いに何か欲しいものある?」と聞かれたそうです。そこで妻が、こう言った。

——電動ミルとか、どうかな?

これを聞いたとき、けっこう驚きました。電動ミルという発想が、そのとき初めて、僕の中に出てきたからです。

電動ミルが売っていることは、もちろん知っていました。でも、買おうと思ったことが、一度もなかった。

なぜかは、いまでもよく分かりません。高いと思っていたわけでもないし、手回しが好きだと言い張っていたわけでもない。たぶん、手回しミルが、そこにあったからです。それだけの理由で、十六年、僕は選択肢というものを持たなかった。

「ええええ? 電動ミルって、こんなに早いの」

届いたのは、カリタのネクストG。スモーキーブルーという、少しくすんだ紺色の機械です。

この記事を書くのに、はじめて底のシールを見ました。KCG-17(SB)、株式会社カリタ、MADE IN JAPAN。静電気を取る仕組みがついていて、刃の回転をわざと遅くして、摩擦の熱で香りが飛ぶのを抑える——という、ちゃんといい機械でした。妻の友人、ありがとうございます。

初めて使った朝のことは、はっきり覚えています。

いつも通り、先にガスをつけて、お湯を沸かしはじめました。それから豆を入れて、スイッチを入れる。

——もう、終わってしまった。

お湯は、まだ沸く気配もありません。

僕は、声に出して言いました。

ええええ? 電動ミルって、こんなに早いの。

妻は、笑っていました。

電動ミルの前で「ええええ?」と固まる男性と、笑う妻のマンガ風イラスト

その日から、朝の順番が変わりました。先にお湯の火をつけてから、豆を計って、挽く。挽き終わったあとに、湯が沸くのを待つ時間ができました。

十六年ぴったり噛み合っていたふたつの時間が、ずれたんです。

便利になった。それだけの話かもしれません。実際、便利です。それ以来、手回しミルは休憩に入ったまま、いまも戻ってきていません。

ちなみに、ネクストGはもう生産が終わっていて、いまは後継のネクストG2になっています。

割れたサーバーと、三回の段ボール

母が送ってくれた段ボールには、ミルのほかに、ドリッパーとサーバーとペーパー、それにスーパーの真空パックの豆まで入っていました。そのままコーヒーが淹れられる、一式です。

あれから二十五年たって、その一式は、ほとんど入れ替わりました。

いちばん入れ替わったのが、サーバーです。もう何代目か分かりません。

当時住んでいた家では、洗い物をしていると、なぜかサーバーが蛇口にぶつかるんです。あの、水が出てくる金属のところ。あれにぶつかって、よく割れました。引っ越したら、ぱたりと起きなくなったので、たぶんシンクと蛇口の高さの問題だったんだと思います。

割れるたびに、母に言いました。そうしたら、また送ってくれる。確か三回は、母が送ってくれたはずです。

三回目のとき、電話の向こうで言われました。——もう無いで!

割れたコーヒーサーバーを手に電話する二十代の青年と、電話の向こうで「もう無いで!」と言う母のマンガ風イラスト
三回目の電話。二十代、一人暮らしの台所で。

実家に、サーバーが三つもあったことのほうが、僕には驚きでした。

面白いのはここからで、僕が割らなくなって何年かして結婚したら、今度は妻が割るようになりました。つい先日も、ひとつ割れています。妻が割るのも、もう何回目か分かりません。

いま使っているのは、ハリオのコーヒーサーバー02です。

ドリッパーも替わりました。最初は、底に穴が三つあいたタイプ。そのあと円錐に変えて——これは中川ワニさんの記事を読んでからです——ハリオの円錐をずっと使っていました。気に入っていたんですが、あるとき妻が誕生日にくれた金属の円錐ドリッパーがあって、いまはそれを使っています。

新潟の燕でつくられた、藍色のホーローのドリッパーです。側面に、小さなツバメの印がついている。金属加工の町の、あの印です。

藍色のホーローの円錐ドリッパー。側面に小さなツバメの印
燕のドリッパー。側面に、ツバメ。

ケトルは、KINTOのプアオーバーケトル。黒い、注ぎ口の細いポットです。前は月兎印のホーローのポットを使っていて、気に入っていたんですが、人にあげてしまいました。お湯は、温度が設定できるティファールの電気ケトルで、90度くらいにして沸かします。沸いたら、KINTOに移し替えて、淹れる。

スケールは、使う日と使わない日があります。何か試しているときは、使います。そうでない日は、スプーンで何杯、です。

そのスプーンは、東京へ修行に行った最終日に買ったものです。飛行機までの時間が空いたので、大きなスターバックスのロースタリーに行きました。四階建てくらいある、あの店です。金属の計量スプーンと、妻へのお土産と、自分の手帳を買いました。手帳はずいぶん高かったんですが、品質がよくて、気に入っています。あの日に買ったものは、全部、いまも使っています。

槌目の入った金属の計量スプーン。柄の先の球に★とRの刻印
東京の最終日に買ったスプーン。柄の先に、あの店の印。
母から届いた一式と、いまの道具を並べた図解。ミルだけが壊れていない
割れて、替わって、増えていった。休んでいるのは、ミルだけ。

休んでいるのは、ミルだけ

並べてみて、気づいたことがあります。

壊れたのは、サーバーだけです。何度も割れましたが、そのたびに入れ替わって、いまも現役です。

ドリッパーは、壊れていません。最初の三つ穴は、まだ家にあります。そのあとのハリオの円錐は樹脂製だったので、子どものおままごと用になって、いまは子どもたちのコーヒー屋で現役です——その店の話は、次回に書きます。そして僕の朝は、琺瑯の円錐に替わりました。

母の一式のうち、壊れずに残っているものは、ほかにもある。でもどれも、役目を変えて、いまも使われています。

壊れていないのに、しまわれているのは、あの手回しミルだけです。

十六年毎日回して、一度も壊れず、刃も減らず、いまも使える状態のまま、どこかにしまってあります。

正直に書くと、いまどこにあるのか、僕は知りません。妻がしまったので。探せば、出てくるはずです。

いちばん丈夫で、いちばん長く働いた道具が、いちばん静かに出番を失った。道具には、そういうことがあるんだと思います。

つづく

次回は、子どもたちの話を書きます。

毎朝コーヒーを淹れる父親を見ていた子どもが、二歳十ヶ月で最初の仕事をもらい、五歳で店を出すまで。店の名前は、こうもりコーヒー。

そのあとで、電動ミルの話。十六年手回しだった人間が、一台の機械にあっさり陥落した話と、いま選ぶとしたら何を選ぶか。道具の話として、ちゃんと書きます。

この記事に出てきた道具

この記事に出てきた道具を、まとめておきます。押すと、その話のところまで戻ります。買うところではなく、まず話を読んでもらえたらうれしいです。

今日の一曲

マイルス・デイヴィス「If I Were a Bell」

ハンドルを回していた朝に、よくかけていた一枚です。

この記事を書くのに久しぶりに聴いて、やっぱり最高だと思いました。とくに冒頭の、キンコンカンコン。レッド・ガーランドのピアノが鐘の音を弾く、あのアレンジです。

学生のころ、ジャズ研で何度もこの曲を演奏しました。この『Relaxin’』に入っているマイルスのソロを、一生懸命耳コピしたことも思い出しました。

1956年10月26日、ニュージャージーのルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオでの録音。同じ年の5月と10月の二日間だけで四枚分を録りきった、いわゆる「マラソン・セッション」の一日です。この曲は、そこから生まれた『Relaxin’ With The Miles Davis Quintet』の一曲目に置かれました。レコードが世に出たのは、1958年の3月です。

面白いのは、曲が始まる前のところです。プロデューサーのボブ・ワインストックに向かって、マイルスがこう言っている。——先に演奏するから、何の曲かはあとで教えるよ。そして指を鳴らして、テンポを出す。そこから、あの軽やかなトランペットが入ってきます。

もとはフランク・レッサーがミュージカル『ガイズ・アンド・ドールズ』のために書いた曲です。私が鐘だったら、鳴らしているところ——という、浮かれた歌。

準備も、段取りも、たいして整っていない。それでも始めてしまえば、ちゃんといい時間になる。朝のコーヒーというのも、そういうものだったような気がします。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。