トマトは、海の向こうから来た|イタリアは白から赤へ、僕は赤から白へ
こんばんは、ひろしです。
今日は、トマトの話です。
僕がこの道に入ったきっかけと、トマトがイタリアの色になるまでの話を。トマト缶の選び方は、別の記事にまとめています。

はじまりは、音楽とトマトソース
僕がイタリア料理の世界に入ったきっかけは、音楽とトマトでした。
あれは、2003年の11月27日。僕はまだ、大学生でした。
モンドグロッソというアーティストが、NHKの「トップランナー」という番組で、トマトソースの作り方を、ことばだけで話していました。
にんにくとオリーブオイルを、弱火でゆっくり。にんにくの香りがオイルに移ったら、トマト缶を入れる。ただ、それだけ。
でも、その短い説明で、十分でした。
翌日、家で、その話だけを頼りにソースを作ってみたんです。それまで、ゆでたパスタにレトルトを混ぜるだけの人生だった僕には、衝撃的に美味しかった。

にんにくの量。切り方。火加減。オリーブオイルの量。ひとつ変えるたびに、料理は素直に、結果で返してくれる。
あの体験が、僕をこの世界に連れてきました。
そこから僕は、毎日のようにトマトソースを作り続けました。やがて、独学では届かない壁を感じて——未経験のまま、イタリア料理の世界に飛び込んだのが、2005年の4月。いま思うと、ずいぶん思い切ったものです。
イタリア料理、と聞いて、まっさきに浮かぶのは、たぶん赤いソースではないでしょうか。
真っ赤に煮込んだトマト。湯気の立つパスタ。あの色は、もうイタリアそのものの色のように見えます。
でも、ひとつだけ。
その赤は、ほんとうに昔から、あの土地にあったのでしょうか。
ここからは、トマトという食材をめぐって、少しだけ時間をさかのぼってみます。海を越えてきた話と、南の食卓の話です。
ゆっくり、いきましょう。
トマトは、海の向こうから来た
トマトの故郷は、イタリアではありません。
もともとは南米アンデスの野生種が起源とされ、畑の作物として育てられるようになったのは、メキシコあたり、メソアメリカの地だったといわれています。
アステカの言葉で、トマトル。名前そのものが、ずっと遠いところから来ています。
ヨーロッパへ渡ったのは16世紀。スペインがその地を征服したあと、海を越えて運ばれてきました。1548年には、メディチ家あての書簡に「トマトの籠が届いた」という記録が残っているそうです。

けれど、最初から歓迎されたわけではありません。
トマトはナス科の植物です。葉や茎には毒があるため、当初は「この赤い実も、口にしては危ないのでは」と疑われ、しばらくは観賞用として、庭をいろどるだけの存在だったとされます。
イタリアでは、やがてポモドーロと呼ばれるようになります。黄金のリンゴ、という意味です。
最初に伝わったのは黄色い品種だったのではないか、という説もあって、その名は、なんだか腑に落ちる気がします。
イタリアの象徴のように見えるトマトは、じつは、よその大陸から来た新参者だった。
ナポリの食卓から、赤いパスタへ
このトマトが、ただの飾りから、食べるものへと変わっていったのは、南イタリア。ナポリの食卓からだったとされています。
記録に残るいちばん古いトマト料理は、1692年ごろの料理書に出てくる「スペイン風のソース」。トマトを使ったソースを、肉や魚に添えるものでした。
まだ、パスタではありません。
トマトとパスタが結びつくのは、もっとあと。19世紀に入ってから、少しずつ広まっていったといわれています。
では、それまでのパスタは、どんな顔をしていたのか。
じつは、白かったのです。
バターやチーズをからめて食べる。今でいう白いソースの世界が、長いあいだパスタの当たり前でした。
海の向こうから実が届いて、食卓にあの赤がなじむまで、およそ二世紀。
あれほどイタリアらしく見える赤いパスタは、長い歴史のなかでは、わりあい「新しい」料理なのかもしれません。
そして、白いパスタの話になると、僕にはもうひとつ、忘れられないことがあります。
イタリアは、白から赤へ。でも僕は、その逆を辿ってきました。
寄り道僕が、白いパスタに出会った日タップで開きます
料理を始めたころ、パスタといえばトマトソースとミートソース。あとは、喫茶店のケチャップのナポリタン。それくらいしか、知らなかった。
だから、初めて「パスタ・ビアンカ」を教わったときは、ほんとうに驚きました。
ゆで上げたパスタに、パルミジャーノを混ぜ合わせただけ。まかないの一皿です。

一見、パスタだけ。なのに、めちゃくちゃ美味しかった。
のちに「カーチョ・エ・ペペ」という、ペコリーノと黒胡椒だけの白いパスタも知ります。これがまた、最高に美味しい。
なぜ、こんな世界を知らなかったのか。理由は、チーズでした。
当時、僕のまわりにあったチーズといえば、喫茶店にも置いてある、緑の筒に入った粉チーズ。トーストにのせるシュレッドチーズ。スライスチーズ。それくらいでした。

あれをゆでたパスタに絡めても、正直、大して美味しくはなりません。
イタリアと日本で、チーズが違いすぎたんです。
パルミジャーノ・レッジャーノを知ったときの、衝撃。
ペコリーノ・ロマーノを知ったときの、感激。
ゴルゴンゾーラを、勇気を出して――なにせ、カビが生えていますから――口にしたときの、快感。
どれも、いまも鮮明な記憶として残っています。
ああいうチーズが手軽に手に入るイタリアだからこそ、白いパスタは存在できた。そう思います。
いまは、インターネットのおかげで、家にいても手に入ります。
パルミジャーノ・レッジャーノ、ペコリーノ・ロマーノ、ゴルゴンゾーラ。この三つは、ぜひ一度。
いいチーズと、いい麺。それだけで、最高に美味しいイタリア料理になります。
イタリアの歴史は、白から赤へ。僕は、赤から白へ。
逆の道を、辿ってきたんだなと思います。
缶になったトマト、そして「イタリア=トマト」という物語
赤がイタリア中に広がっていく背景には、もうひとつ、台所の革命がありました。
保存の技術です。
瓶や缶に詰めて長く保つ方法が生まれ、トマトは季節を越えて使えるようになりました。旬の真っ赤を、一年じゅう、台所に置いておける。これは、とても大きな変化だったはずです。
トマトの缶詰を最初に商売にしたのは、1847年のアメリカだとされています。イタリアでは、1856年にトリノで始まったチリオが、缶詰づくりの草分けです。はじめはグリーンピースの保存から始まり、のちにナポリ近郊に本拠を移して、トマト缶の代名詞のような存在になっていきました。
ここで、少し不思議な感覚になります。
料理を始めたばかりのころ、僕が現場で最初に使っていた缶も、じつはチリオでした。
イタリアの缶詰づくりの草分けの缶を、料理をはじめたばかりの僕が、知らずに手にしていた。
そこから、スピガドーロ、カゴメ、ソルレオーネ、モンテベッロ……と、いろんなメーカーを試していきました。

毎日あけていた缶が、ふいに、長い物語の一部に見えてきます。
そしてもうひとつ。
「イタリアといえばトマト」というあのイメージ自体も、じつは比較的あたらしいもの、という見方があります。
イタリアがひとつの国になったのは、1861年。でも、その時点で、トマトが国じゅうの食卓にあったわけではありません。1950年代まで、トマトをほとんど食べない地域も多かったそうです。
トマトの赤が「イタリアらしさ」の顔になっていったのは、20世紀のこと。海を渡った移民たちの台所と、缶詰の工場、そして国づくりの時代のなかで、少しずつ。歴史家たちは、そう書いています。
もちろん、諸説あります。
ただ、当たり前だと思っていた景色に、人の手でつくられた部分があると知るのは、なかなか面白いものです。
「イタリア=トマト」は、日本だけ?
この記事を書きながら、ふと思いました。「イタリア=トマト」って、もしかして日本だけのイメージなんじゃないか。日本に最初に入ってきたイタリア料理が、トマトのパスタだったからじゃないか、と。
調べてみると、そうではありませんでした。海を渡ったイタリアの人たちは、ふるさとではお祝いの日のごちそうだったパスタや肉を、缶詰のトマトソースと一緒に、毎日のように食べられるようになります。ミートボールのスパゲッティは、そこで生まれた料理です。いまでもアメリカやイギリスでは、好きなイタリア料理の上位に、赤いソースの料理が並びます。
ただ、日本には日本の「赤」もありました。戦後に広まったスパゲッティは、ナポリタンとミートソース。1980年代のなかばまで、お店のスパゲッティはほとんどこの2つだったといわれます。ペペロンチーノやカルボナーラのような白いパスタが広まっていったのは、そのあとの「イタめし」ブームのころからです。
イタリアは、白から赤へ。日本のパスタは、赤から白へ。僕の歩いてきた道は、日本のパスタの歩みと、ちょうど重なっていたのかもしれません。
イタリア料理は、ひとつじゃない

もうひとつ、お伝えしたいことがあります。
そもそも「イタリア料理」という、ひとつのまとまった料理は、ほんとうは存在しないのかもしれません。
イタリアには20の州があり、それぞれに、その土地の郷土料理があります。気候も、とれるものも、歴史も違う。その集まりを、まとめてイタリア料理と呼んでいるだけ、とも言えます。
大きく分けると、北と南で、ずいぶん表情が変わります。
- 北は、バターと米。リゾットやポレンタの世界。
- 南は、オリーブオイルと乾麺のパスタ、そしてトマト。
こうして見ると、見えてくることがあります。
「イタリア=赤いソース」というより、正しくは「南イタリア=トマト」。あの赤は、イタリア全体というより、太陽の強い南の色なのだと思います。

この土地ごとの違いを、僕は気候と風土の違いだと感じています。
北イタリアは、寒い。アルプス山脈に接するような、海から遠い地域もあります。寒さのなかでカロリーをしっかり摂るためか、バターやクリームを使った、重ための料理が多い印象です。
真ん中、フィレンツェのあたりへ来ると、ボロネーゼやビステッカ。肉とワイン、どっしりした料理が主役になります。
そして南。海があって、魚介が豊富で、オリーブがよく育つ。だから、オリーブオイルとトマト、魚介の料理が多くなります。もっと南へ行くと、料理に辛さが増していく。暑さのせいかな、と思ったりします。
日本も縦に長い国で、地域ごとに料理が違うのが面白い。イタリアも、同じです。しかもイタリアは、もともと独立した国々の集まり。だからなおさら、その土地その土地の色が、濃く出ている気がします。
結局のところ、マンマの料理。それが、イタリア料理なのだと思います。
ちなみに、パスタのアルデンテも、南イタリアの気の短い人たちが「早く、早く」と急いだ結果なんだ——なんて話を、聞いたことがあります。ほんとうかどうかは、わかりませんが。
トマトが主役の土地と、サンマルツァーノ
では、トマトが主役になる土地を、すこしだけ歩いてみます。

まずはカンパニア。州都はナポリ。ピッツァの本場であり、トマトの物語の中心にある土地です。
つぎにシチリア。強い日ざしのもとでトマトを天日に干し、ぎゅっと濃縮させたペーストをつくってきました。ストラットゥと呼ばれるこの保存食は、いまのトマトペーストの原型ともいわれています。
そしてプーリア。長靴のかかとにあたるこの地も、太陽とトマトの土地です。
そのカンパニアが生んだのが、サンマルツァーノ。
細長くて、果肉が厚く、種が少ない。煮込むととろりと崩れて、ソースになるために生まれてきたような品種です。
ちなみに、日本ではあまり育ちませんが、フレッシュなサンマルツァーノは水分が少なく、崩れにくい。だからパスタソースにも、リピエノ(詰め物)にも使いやすいトマトです。
ヴェスヴィオ火山がもたらした土と、サルノ川の流れる土地。そこで育てて、そこで加工したものだけが、この名を名乗れます。その正式な名はずいぶん長く、Pomodoro San Marzano dell’Agro Sarnese-Nocerino DOP といいます。1996年に、EUの原産地呼称(DOP)として守られるようになりました。
カンパニアの土が育てた、赤い黄金。それがサンマルツァーノです。

日本とイタリア、トマトの育て方
日本とイタリアでは、トマトへの向き合い方そのものが、ずいぶん違います。
日本のトマトは、生で食べることを前提に、品種改良が重ねられてきました。だから、サラダで食べることが圧倒的に多い。煮込みに使うのは、輸入したトマト缶がほとんどです。
いっぽうイタリアは、どちらかというと「加工して使う」方向で育ててきました。育て方からして、違うんです。
日本の生食用トマトは、支柱を立てて、縦に誘引して育てるのが一般的。対してイタリアの加工用トマトは、背の低い品種を地面に這わせて、機械でまとめて収穫します。
ところが、サンマルツァーノは特別です。
背がぐんぐん伸び続ける性質なので、イタリアでも、支柱を立ててワイヤーを張り、ブドウ棚のように縦へ仕立てて育てる。一本一本、手で摘む。それだけ手をかける、特別なトマトなんです。

(ちなみにこれは「日本だから」「イタリアだから」という話というより、品種の性質――背が伸び続けるか、途中で止まるか――と、手で摘むか機械で穫るか、の違いです。イタリアにも縦に仕立てる手摘みのトマトがあり、日本にも地を這わせる加工用のトマトがあります。)
まとめ
トマトは、海の向こうから来た新参者でした。
食べものになったのは、ナポリの食卓から。パスタが赤くなったのは、19世紀に入ってからです。
缶に詰められて季節を越え、「イタリア=トマト」という物語ができていきました。
イタリアは、白から赤へ。僕は、赤から白へ。

参考:David Gentilcore『Pomodoro! A History of the Tomato in Italy』(2010)、Massimo Montanari『Il mito delle origini』(2019)、Donna R. Gabaccia「Pizza, pasta and red sauce: Italian or American?」(2006)、Treccani『イタリア人名辞典』「Francesco Cirio」、カゴメ「統合報告書2018」、日本パスタ協会「パスタの歴史」、ホテルニューグランド「ナポリタン」ほか
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今日の1曲
モンドグロッソ(大沢伸一)さんのおかげでイタリア料理の道へ進んだ僕。
初めて働いたお店のシェフに言われました。
「モンドグロッソもイタリア語やで」
そう、モンドグロッソ=mondo grosso。
意味は、大きな世界。
大沢伸一さんのおかげで、大きな世界(料理の世界)を知ることができました。
ありがとうございます。
この一行のように、僕の道も、大沢伸一さんのおかげでイタリア料理のほうへ分かれていきました。
まっすぐなこの道がゆっくりと別れていく
— MONDO GROSSO「光」feat. UA(作詞 UA/作曲 大沢伸一)より
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
















