それが、僕のレコードライフの始まりだった|物置のプレーヤーと、8,800円の箱
いま、うちの部屋には、四つの機械があります。
Technicsのレコードプレーヤー、SL-1200MK6。ONKYOのアンプ、A-933。ONKYOのスピーカー、D-202A。そして、KENWOODのMDコンポ。
お金はないけど、少しずつ、中古で買い集めたものです。

どれも、いっぺんに揃ったわけではありません。順番があります。今日は、その順番の話です。


伝説級の、ボロ寮
大学は、富山でした。大阪で生まれ育って、田舎暮らしと一人暮らしに憧れて、遠くの大学を選んだ。
入ったのは、学生寮です。安いだろうし、学校も近いだろうし。それくらいの理由でした。
安かったのは、確かです。でも、想定外が、ふたつありました。
ひとつは、遠かったこと。大学の寮なら、敷地の中か、すぐ隣にあるものだと勝手に思い込んでいました。実際は、大学まで歩いて30分、自転車で15分。入寮の日、父とタクシーで向かいながら、大学からどんどん離れていくのに、まず驚きました。
もうひとつは、着いた先が、伝説級だったこと。
廊下の両側に部屋の扉が並んでいて、窓は廊下の両端にしかない。だから、昼でも暗い。コンクリートむき出しの壁一面に、学生運動のころの落書きが残っている。「学闘」「革マル」。そんな文字が、大小バラバラに。ガラスは割れている。扉は閉まらない。入寮の日に、入る予定だった人の三人に二人が、そのまま帰っていきました。親に「やめとけ」と止められた人もいた。
僕も、部屋を見た日に思いました。本当に俺は、これからどうなってしまうんだ、と。一人で来ていたら、きっとそのまま空を見上げて、動けなくなっていたと思います。
部屋は余っているのに、一人一部屋は禁止。二人か三人で、一部屋。そういう場所でした。

父も、びっくりしていました。でも、うちにはお金がなかった。父は、住めば都、住めば都と、何回も繰り返していました。
(ほんまかいな。)
それでも、少しでも住みやすくしようと、かなり遠いホームセンターまで、往復歩いて買い出しに行きました。あのときの父の背中は、いまでもはっきり覚えています。

僕に与えられたのは、二段ベッドの下の段と、小さな机がひとつ。それだけでした。二段ベッドといっても、一段のベッドを無理やり上下につないだだけの、エセ二段ベッドです。
父は、その下の段にビニールロープを張って、バスタオルを二枚かけました。ここでバスタオルを乾かして、同時にプライベートスペースにもなる、と。僕はまた、ほんまかいな、と思っていました。
でも、そのバスタオルで仕切ったスペースと、枕元にあり合わせで作った、棚とも言えないくらいの棚。それが、寮生活でのとてもいい空間になりました。住めば都は、本当でした。

家賃のことも、書いておきます。破格でした。電気、ガス、水道は共同。週に三回、月・水・金だけ沸く大きな風呂も込みで、夏は月4,000円。冬はスチームの暖房が入るので、月5,000円。予約制の食券は、一食300円。壁の落書きが残っている学生運動の時代から、値段だけ止まっているような寮でした。
面白かったのは、大学のほうは「もうボロボロで設備も古いから建て替えたい」と言っているのに、学生のほうが断固として断り続けていたことです。それでも僕が卒業して数年で、ついに建て替わりました。
僕は当時、月4万円の仕送りで、そこで暮らしていました。
いま思えば、レコードライフはこの寮から始まったし、初めてのアコースティックギター(いまも持っています)を手に入れたのも、この寮でした。入寮の日に三人に二人が帰っていく、あの「試験」を潜り抜けてきた人たちですから、猛者揃いだったのかもしれません(笑)。この寮で出会った友人とは、いまも付き合いが続いていて、つい先日も、富山から家族で遊びに来てくれました。僕の人生には、必要な場所だったんだと思います。
先に来たのは、MDコンポだった
順番でいうと、レコードより先に、MDコンポが来ています。
人生で初めてのバイトは、ジャズ研の先輩に紹介してもらった警備員でした。時給は、たしか1,000円。それで貯めたお金で買ったのが、KENWOODのMDコンポです。たしか、3万8,000円くらいでした。
買ったのは、大学一年の夏休み。帰省中の、大阪のケーズデンキです。富山では自転車で動いていたので、大きな買い物をして持って帰る、というのが難しかった。だから、わざわざ帰省のときに、大阪で買ったんです。

高校生のときから、ずっと欲しかった。だから、めっちゃ嬉しかった。
このコンポ、いまも家で動いています。MDを聴けるのは、もう、これしかないから。


あのころのMDは、買うものではなく、録るものでした。売っている音楽MDは、1997年に252タイトル出たのを頂上に、2001年には1タイトル。それから先は、ゼロです。レンタルしたCDを、自分でMDに録る。それが当たり前の使い方でした。
物置の、レコードプレーヤー
寮には、一部屋まるごと物置になっている部屋がありました。
扉のない押し入れに、本やら何やらが山積みになっていて、そのいちばん上に、レコードプレーヤーが無造作に置いてあった。埃をかぶっていたと思います。
いちばん長くいる、寮の主みたいな先輩に訊きました。
ひとつだけ、付け足されました。
再生ボタンを押すと、針が自分で動いてレコードに降りる、フルオートのタイプでした。Technicsのような針圧の調整は、ついていない。ONKYOの、安いほうのプレーヤーだったと思います。

自分の部屋の、オーディオを置いている机に、そのプレーヤーを置きました。
最初にかけたのは、ジャズ研から借りてきた、マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』だったと思います。
鳴らない
ん? あれ? となりました。
針のところから、めちゃくちゃ小さな音が聞こえる。ボリュームを目一杯あげてみたら、なんとか聞こえるくらいの音量にはなった。でも、音がめちゃくちゃ薄い。
音、わる。
そう思いました。先輩の「動くか分からんよ」が、頭をよぎった。壊れているのかな、と。

電気屋さんに行って、訊いてみました。たしか、ヤマダ電機だったはずです。
返ってきた答えは、こうでした。ミニコンポの外部入力には、フォノ端子がない。レコードをつなぐなら、フォノイコライザーというものが別に要る。
ちょうどその店に、ONKYOのフォノイコライザーが、ひとつだけありました。PE-155という、定価1万円の小さな箱です。たしか8,800円くらいだったと思います。その場で買いました。

つないで、もう一度『カインド・オブ・ブルー』をかけました。
鳴りました。いい音で、びっくりした。
壊れていたのではなかった。足りないものが、ひとつあっただけでした。
フォノイコライザーは、乾物を戻す係
あとになって知ったことを、少しだけ書きます。当時の僕は、何も知らずに買っていたので。
レコードの針から出てくる音の信号は、とても小さい。CDプレーヤーの、およそ50分の1から100分の1です。ささやき声を、そのままアンプに入れていたようなものでした。
それだけではありません。レコードには、音がそのままの形では刻まれていない。低い音は小さく、高い音は大きく、わざと歪めて刻んであります。低い音をそのまま刻むと溝が太くなって入りきらない。高い音を大きくしておけば、聴くときに戻す作業で、針のこすれる音も一緒に小さくなる。
料理でいえば、乾物です。保存に向く形にしてから、刻んである。

フォノイコライザーは、その乾物を水で戻す係でした。歪めた分を元に戻して、ささやき声をふつうの声の大きさまで持ち上げる。
戻さずに鳴らすと、小さくて、高い音ばかりがシャカシャカ鳴る薄い音になる。あの日の「音、わる」は、壊れていたのではなく、乾物をそのままかじっていただけでした。

朝、コーヒーとレコード
鳴るようになってから、しばらく経ったころの話です。
朝、コーヒーを淹れながら、レコードを聴いていました。
かけていたのは、もっぱらジャズ。マイルスが多かった。『イン・ア・サイレント・ウェイ』が、朝っぽくて好きでした。
レコードの音と、コーヒーの匂いが、一緒になった。その瞬間、ふっと、実家にいるような気がしたんです。
実家では、父のレコードがいつも鳴っていました。子どものころは、聴きにいったわけではなく、ただそこにあった音楽です。それが、富山のボロ寮の朝に、コーヒーの匂いと一緒に戻ってきた。

年に一度の、レコード市
レコードを買うのは、もっぱら中古でした。
当時はCDの時代で、新しいレコードはほとんど出ていない。でも、中古のレコードには、CDになっていない音源がたくさんあった。それが、レコードを買う理由でした。
年に一度、富山駅の近くの会場に、中古レコードが山のように並ぶイベントがありました。バイトして貯めたなけなしのお金を握りしめて、行く。まず探して、お金が足りなかったら、そこから厳選する。お金が足りたことは、まずありません。10枚買えたら、いいほうでした。

持っていくお金は、1万か2万。一緒に行っていた友達は、3万以上持ってきていました。教育学部の美術科の子で、ほとんどバイトをしていないのに、実家が太い(苦笑)。
買い漁っていたのは、フルート奏者です。ジェレミー・スタイグ、サヒブ・シハブ、クリス・ヒンゼ。それと、マイルスのブートレグ。
『フルート・サミット』というレコードを見つけたときは、嬉しかった。1973年にドイツの音楽祭で、フルート奏者が四人集まって演奏したライブ盤です。CDにはなっていなかったはずで、いまはYouTubeで聴けると思いますが、当時はレコードを見つけるしかなかった。
買ってきたレコードは、MDに録って、ウォークマンで持ち歩きました。レコードで探して、MDで聴く。あのころの、僕の音楽のかたちです。
いま、出雲でレコードを買うなら
島根に移ってTechnicsのターンテーブルを手に入れた僕は、当然、レコードが欲しくなりました。それで、調べました。出雲の、ひいては島根の、レコード店を。
ありませんでした。検索に出てきても、もう店自体が閉まっている。当時の島根には、レコード店がなかったんです。本当に探し回りました。いちばん近いレコード店が、広島。僕はレコードを求めて、広島まで行っていました(笑)。
でも、いまは違います。出雲で買うなら、一択です。北村電機レコード。
電気屋さんなのに、1階にはスケートボードやスニーカー、服がずらりと並んでいて、カウンターでコーヒーも飲める。そんな不思議で素敵な電気屋さんの2階に、数年前、レコード屋さんがオープンしました。中古も新品も揃っています。
北村電機レコード(出雲市渡橋町・出雲ロイヤルホテルの向かい):オンラインショップ/Instagram/Threads
店主の北村さんのXは @EVOLSK8。スケートボードの店のアカウントですが、レコードのこともよく投稿されています。
回転が、合わなくなった
物置のプレーヤーは、長く働いてくれました。ONKYOは、悪くなかった。
そのあと、部屋で回っていたのはソニーのプレーヤーに変わっていて、そちらの回転が、だんだん合わなくなってきた。音程が狂う。ピッチが狂う、というやつです。
島根に移住してすぐのころ、思いました。コーヒーのときと、まったく同じ言葉で。
何でこんなに音程の悪いレコード、聴いてんねん。

それで、前からずっと欲しかったSL-1200シリーズに乗り換えました。Technicsの SL-1200MK6、中古です。プレミアの値段が付いていました。もし音程が狂っても、スピードを調整するつまみが付いているから、最悪なんとかなるかな。そんなことも、少し思っていました。
コーヒーと違って、お金はかかる。でも、そのころには、中古で買えるくらいには、なんとかなっていました。新品は、そのときは、ありませんでした。
めっちゃかっこよくて、ずっと欲しかった。それで聴くと、やっぱり最高でした。
SL-1200は、1972年から作られてきたプレーヤーで、世界中のクラブの標準機になった機械です。ところが2010年に、生産が止まった。中古の値段は、上がっていったと言われます。復活したのは2016年の秋です。
止まっていたのは、SL-1200だけではありませんでした。Technicsというブランドそのものを、パナソニックは2010年に、いったんやめています。最後の製品のひとつが、このMK6でした。ブランドが戻ってきたのは、2014年の秋。SL-1200が戻ってきたのは、そのまた2年後です。僕がMK6を買ったのは、ブランドは戻っていて、SL-1200はまだ戻っていない、そのあいだでした。
復活したときは、本当にうれしかった。これからも、長続きしてほしいと思っています。

針は、ShureのM44G。DJの定番だった針です。Shureは2018年に針の生産をやめてしまいましたが、日本のJICOという会社が、いまも交換針を作っています。僕のM44Gも、まだ現役です。


底なしの沼には、行かない
オーディオの世界には、こんな言い方があります。オカルトと音響は一緒だ。上を見はじめたら、きりがない。
僕は、そこには足を突っ込んでいません。
アンプもスピーカーも、ONKYOです。これには、理由があります。
フォノイコライザーを買ったあの店に、ONKYOのコンポが売っていました。ほかのメーカーのものも、たくさん並んでいた。でも、そのONKYOのコンポの前に立ったときだけ、音が頭の中で鳴っているような感じになったんです。
たまたま置き場所のせいなのか、立ち位置のせいなのか、分かりません。でも何度試してもそうなって、ほかのメーカーの前では、ふつうに聞こえる。
ONKYOって、すごいな。

システムを組むお金は、ありませんでした。型番も、残念ながら覚えていません。でも「ONKYOはすごい」だけが頭に残って、それで、型は古くても少しいいものを、中古で買い集めていきました。
アンプは、A-933。セレクターの調子が悪くなった前のONKYO(A-800番台)から、中古で買い替えました。2005年に出た80W+80Wのアンプで、これにはPHONO入力が付いています。スピーカーは、D-202A。1990年代のスピーカーです。


このスピーカー、よく見ると、コーンの真ん中が両方ともへこんでいます。子どもが小さいころに、上の子が指で押しました。しばらくして、教えてもいないのに、下の子も同じことをやった(笑)。それで、元に戻らなくなりました。
音は、それで最高です。いまも、それを使っています。
このスピーカーは、先代のアンプのころから使っています。ウーファーの縁のゴムは、一度ダメになって、修理済みです。そこにA-933をつないだ途端、また驚くほど、音が良くなりました。
僕がアンプを選ぶときの基準のひとつは、音量を絞ってもいい音がすること。いい機材は、音を小さくしても、いい音で鳴り続けます。
組み合わせなんて、ひとつも考えずに買った二台です。あとで調べたら、数字の上でも相性のいい組み合わせでした。たまたまでも相性が良かったのは、なんだか嬉しい。
あの日ヤマダ電機で買ったPE-155も、いまも手元にあります。
ONKYOのほうは、2022年に会社(オンキヨーホームエンターテイメント)が倒産しました。ブランドは海外の会社に引き継がれて名前は残っていますが、PE-155のようなフォノイコライザーは、もう新品では買えません。少し、悲しい。
自分なりに満足できるシステムがあって、その上でレコードが回っていれば、それでいい。そういう距離感です。
……と、格好よく書いておいて、白状します。オーディオの沼には足を踏み入れなかったのに、カメラのレンズ沼には、どっぷりはまってしまいました(笑)。苦しい言い訳をしておくと、富士フイルムのAPS-Cサイズのレンズで収まっているので、被害総額はまだ少ないほうだと思っています。だけど、XFレンズは、ほとんど集めてしまいました(苦笑)。

レコードは、いま戻ってきています。日本でいちばん少なかったのは2009年で、年に10万枚ほど。2024年は、315万枚。15年で30倍です。
僕が集め始めたのは、その坂を下っていたころでした。買い替えたのは、戻り始めたころ。そういう時代に、たまたま立っていた。
面白いのは、このグラフと、さっきのSL-1200の年表が、きれいに重なっていることです。レコードがいちばん少なかった2009年の翌年に、SL-1200は止まった。レコードが戻り始めてから、SL-1200も戻ってきた。機械は、聴く人がいるところにしか、戻ってこない。
それが、僕のレコードライフの始まりだった
物置の押し入れに、埃をかぶって置いてあったプレーヤー。
「持ってっていいよ」と言ってくれた先輩。
鳴らなくて、電気屋で教わって、8,800円の箱をひとつ足したら鳴った、あの日。
それが、僕のレコードライフの始まりでした。
いまも朝は、レコードをかけて、豆を挽いて、一杯淹れます。順番は、あのころから変わっていません。音楽が先で、コーヒーが後。

この記事で紹介したもの
ここまで読んで、レコードをやってみたくなった人へ。五つだけ、置いておきます。買うところではなく、まず話を読んでもらえたらうれしいです。
針が自分で降りる、入門用のプレーヤー
僕が物置でもらったのと同じ、フルオートのタイプです。再生ボタンを押すと、針が自分で動いて、降りる。いちばん違うのは、フォノイコライザーが最初から中に入っていること。あの日の「鳴らない」は、これでは起きません。2026年9月時点で、1万円台の後半でした。
SL-1200の、いまの形
僕のMK6は生産が終わっていて、いま新品で買えるのはMK7です。見た目も、回転を合わせるつまみも、そのまま。2026年9月時点で、12万円台。憧れの機械は、憧れの値段でした。フォノイコライザーは入っていないので、アンプにPHONO端子がなければ、あの箱が要ります。
僕の針の、いまの形
Shureの本体はもう新品では買えませんが、M44G用の交換針は、JICOが作り続けています。針先だけ替えれば、あのカートリッジは、まだ鳴ります。2026年9月時点で、6,000円台でした。
カートリッジごと替えるなら、同じJICOが、M44Gの復刻モデルを出しています。J44Dという名前です。僕はまだ使っていませんが、M44Gは本当にいい針だったので、その形をそのまま受け継いだこれも、きっといいものになっていると思っています。2026年9月時点で、1万円台の後半でした。
最初の一枚は、これでした
物置のプレーヤーで最初にかけて、8,800円の箱を足してもう一度かけた、あのレコード。いまも、新しいプレスが手に入ります。
今日の一曲
マイルス・デイヴィスで、「So What」。
『カインド・オブ・ブルー』の一曲目。物置のプレーヤーで最初にかけて、鳴らなくて、8,800円の箱を足して、いい音でびっくりした。全部、この曲でした。
公式チャンネルに、1959年にテレビ番組で演奏した「So What」の映像があります。白黒の映像で、マイルスの隣で、コルトレーンが吹いています。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。















