国引きの綱の上で、芋を掘る|西浜いもと、出雲の白い砂
砂だから、素手で掘れる。
保育園の芋掘りで、秋になると、この畑に来ます。農家さんのサツマイモ畑の、二列くらいを、保育園のために作ってもらっているんです。上の子のときは、コロナで行けない年もあったけれど、もう四、五回は来ています。
子どもたちは、スコップを使いません。手で掘る。手でも、ほんとうに簡単に掘れる。道具がいらない。

芋って、細いけど、つながっているんです。茎というか、根っこというか。それを手でたどっていける。その細いのを、なるべく切らないようにたどっていくと、また、でかい芋がある。
みんな、わーわー言いながら、楽しんで掘っています。
場所は、出雲市の西の海沿い。「西浜いも」で知られるあたりです。

― この記事について ―
芋掘りの畑の、白っぽい砂の話です。今年は、下の子の、保育園で最後の芋掘り。その前に、この砂がどこから来たのか、なぜ芋が甘いのかを、地図と古い書物と、畑の人の話でたどってみました。
途中の「寄り道」は、たたんであります。気になったところだけ、開いてみてください。
古事記を紐解く③「オロチは、毎年来る」の続きのような話でもあります(前の話へのリンクは、記事の最後に)。
土の色が、違う
最近、そのあたりを車で何回か通ることがありました。
畑で、うね立てをしてある。それを見て、あれ、と思いました。僕がふだん土をいじっている畑のうねと、土の色が、なんか違う。
ちょっと白っぽい。
ここ、土がちがうんちゃうかな。
西浜いもが有名だから、そのへんが砂地だというのは、聞いたことがありました。でも、目で見て「違う」と思ったのは、そのときがはじめてです。
それからしばらくして、西園町(にしぞのちょう)の、ちょうど境目に住んでいる人と知り合いました。話を聞くと、やっぱり、自分のところは砂地だと。
「砂地だから、水はけがいい。畝(うね)を立てんでも、作物が作れる」
「むしろ、水はけが良すぎて、雨が降らんかったら水やりが大変」
それを聞いてから、土を見るようになりました。
川を一本渡ったら、もう普通の土。グラデーションになっているんだろうけど、わりと、はっきり違う。運転しながらなので、畑の土が見えるところしか分からないんですけどね。
気になったので、地図で確かめてみました。

国土地理院の「地形分類」という地図があります。土地がどうやってできたかで、色を塗り分けた地図です。それで見ると、出雲平野の西の海沿いに、細長い帯がくっきり出ます。「砂州・砂丘」。砂でできた土地です。
帯の幅は、南の湖陵のあたりで海から2kmたらず。北の浜山のあたりでぐっと広がって、4km近く。
そして西園町のあたりでは、その帯のすぐ東を、神戸川が流れていました。
川を一本渡ると、普通の土。僕が車の窓から見ていた境目は、地図にもちゃんと線が引いてある境目でした。
この砂は、どこから来たのか
大昔、出雲の西は、海だった。
それを知ったのは、ゴビウスです。宍道湖のほとりにある、島根県立宍道湖自然館ゴビウス。川と湖の生きものの水族館で、子どもたちと、年間パスポートで何年も通いました。
入口を入ってすぐ、券売機の手前に、大きな島根の立体地図があります。白い、でこぼこの地図。そこに上から、プロジェクションマッピングで映像が映る。大昔から、いまの形になるまでの島根が、目の前で動いていくんです。

いまから6000年ほど前。海面がいまより数メートルも高くて、平野の低いところは、水の底でした。いま田んぼや家が並んでいるあたりが、です。
すごい、壮大な話やな。
ゴビウスで見た、あの光の地図を思い出しながら、国土地理院の標高と地形のデータをもとに、地図にしてみました。約2万年前から、いままでの6枚です。
地図6枚の地図を、1枚ずつ見る。白い砂が、半島をつないでいくタップで開きます(地図もタップで大きくなります)






あとで地図を見て、もうひとつ知ったことがあります。ゴビウスの建っている土地も、国土地理院の地図では「干拓地」。もとは、水の底でした。
じゃあ、海だった西のほうに、どうしてこの白い砂の土地ができたのか。
この砂は、川が運んできた砂です。
神戸川と、昔は西へ流れていた斐伊川。上流の山から削られた砂を、海まで運んだ。その砂が、波で浜に打ち上げられて、強い西風で吹き上げられて、積もった。島根大学と、島根半島・宍道湖中海ジオパークが、同じようにそう説明しています。いま見えている砂の帯ができたのは、ここ数千年のあいだです。

ひとつ、自分で勘違いしかけたことを書いておきます。
前の記事で、たたら製鉄の「鉄穴流し(かんなながし)」が、山を崩して大量の土砂を川に流した話を書きました。それで、この白い砂も、たたらの砂なのかと思ったんです。
違いました。砂丘は、鉄穴流しが始まるよりずっと前からあります。いまの砂の帯の下には、十数万年前の古い砂丘も眠っているそうです。鉄穴流しの土砂が育てたのは、東の、宍道湖のほうの平野でした。
西の砂は、もっと昔の川と、海と、風がつくったものです。
寄り道山から砂が削られつづけたら、山は小さくなる? 浜は増える?タップで開きます
山から砂が削られつづけるなら、山は、だんだん小さくなっていくのか。海沿いの砂は、どんどん増えていくのか。ふと、そう思って調べました。
日本の山は、世界でもいちばん速く削られている山のひとつだそうです。平均すると、年に0.3〜0.5mm。でも同時に、地面の動きで持ち上がってもいる。山の高さは、持ち上がる速さと、削られる速さの差で決まります。出雲の砂のふるさと、中国山地は、その二つがほぼ釣り合っているあたりだと考えられています。
では、海沿いの砂は。増えるどころか、いまは減っていました。全国では、1978年からの15年ほどで、毎年およそ160ヘクタールずつ砂浜が消えていった。ダムや砂防ダムで、川から出てくる砂が減ったこと。港の防波堤が、浜を流れる砂の道をせき止めたこと。いくつもの理由が重なっています。
薗の長浜も、細っています。島根県は2015年に、この浜の砂を守る計画をつくりました。砂を足しながら、守っているそうです。1300年前の人が「綱」と呼んだ浜は、いま、人の手で守られているんです。
もう一本の綱、東の弓ヶ浜は、もっとはっきりしています。上流の日野川で鉄穴流しが盛んだった時代に、流れてきた土砂で浜が太った。鉄穴流しが終わると、砂が来なくなって、痩せはじめた。1960年には、国がじかに工事をする海岸に、全国ではじめて選ばれています。
浜は、川から来る砂と、出ていく砂の釣り合いでできている。どちらかが変われば、浜の形も変わるんです。

ついでに、鳥取砂丘も、同じしくみでできています。中国山地の花崗岩が砕けた砂を千代川が海へ運び、冬の北西の季節風が陸へ吹き上げた。
そして、三瓶山が約11万年前に噴火したときの軽石が、出雲の砂丘にも、鳥取砂丘にも、はさまっているそうです。国引きの杭になった山の灰が、綱の中にも、となりの県の砂丘の中にも、眠っている。
風土記は、「綱」と呼んで、「白い砂」と書いた
1300年前に書かれた『出雲国風土記』に、このあたりの浜のことが出てきます。神門郡(かんどのこおり)の章です。
読んで、びっくりしました。
同じ段落の中で、まず「これは国引きの綱だ」と言っている。そして、そのすぐあとに、土でもない、石でもない、「白い砂だけが積もっている」と書いている。
前の記事で書いた、国引きの神話。八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が、海の向こうの余った土地に綱をかけて、出雲へ引き寄せた話です。風土記の神門郡では意美豆努命(おみづぬのみこと)と書かれていますが、同じ神さまです。その綱にあたるのが、この浜でした。
いまも西園町には長浜神社があって、この神さまをまつっています。神社の由緒にも、ここは国引きの綱「薗の長浜」の地だと書かれています。このあたりには、西園町、外園町(そとぞのちょう)と、「園」の字のつく町が並んでいます。

国引きの話で、僕がいちばんすごいと思うのは、その大きさです。
杭にしたのが、三瓶山。綱が、この長い浜。引き寄せたのが、日御碕や大社のあたりの土地。
そして、遠く離れた東でも、同じことをしている。杭は大山。綱は弓ヶ浜。引き寄せたのは、美保関のあたりの岬。その土地は、高志(こし)の国、いまの能登半島のあたりから引いてきた、と風土記は書いています。
地図があったかどうかも分からない時代に、これだけの大きさの地理を、二か所も、同じ流れの話に仕立てている。
いまならGoogleマップで、上から簡単に見られます。でも、車で三瓶山から長浜を通って大社まで行くだけでも、けっこう時間がかかる。それを、乗り物もない時代に。
地図があったかも分からん時代に、これを考えたんか。
さっきの6枚の地図を見ていて、気づいたことがあります。
約6千年前、島根半島と本土のあいだは、入り江でした。その入り江の口を、西の白い砂の帯が、ふさぎかけている。そこへ約4千年前、三瓶山の噴火の土砂が神戸川を下ってきて、入り江を南から埋めていく。杭になった、あの三瓶山です。733年には、西のほうは神門水海を残して、ほとんど陸になっていました。
ほんまに白い綱で土地を引っ張ってきたとは言わないけど、少なくとも、つないだ感じやん。
風土記は、引いてきた土地を「縫いつけた」と書いています。「国来(くにこ)、国来」と引いてきて、縫いつけた国。白い砂の綱で寄せて、入り江を埋めて、縫いつける。地図の上では、そう見えるんです。
風土記が書かれた733年には、入り江が埋まって陸でつながってから、もう3千年以上たっていました。文字もない、縄文時代のことです。昔の人が、その景色を見て思いついたのか。ずっと語り継いできたのか。それは、分かりません。
僕が車の窓から見た「ちょっと白っぽい」は、1300年前の人が見て、書き残したのと同じ白でした。
風土記は、そのあとに心配ごとまで書いています。四方から風が吹くと、砂が飛んで、松林を埋めてしまう。いまは半分埋もれて、半分残っている。やがて全部埋もれてしまうのではないか、と。

国引きの綱の、南の端で
その綱の南の端を、風土記は「美久我林(みくがばやし)」と書いています。島根県は、これをいまの出雲市湖陵町大池のあたりとしています。
湖陵町の大池、板津、差海。昔はこのあたりを「西浜村」と呼びました。西浜いもの「西浜」は、この村の名前です。そして地形の地図で見ると、旧・西浜村は、まるごと砂州・砂丘の上にあります。
国引きの綱の、南の端で、いま、サツマイモが育っている。

砂の畑は、水をためない
西園町の人の話に、もどります。「水はけが良すぎて、雨が降らんかったら水やりが大変」。
これは、数字にするとよく分かります。鳥取県が、砂丘の畑の土を、火山灰の黒い畑土(黒ボク土)と比べて測っています。

水の通りやすさは、およそ10倍。肥料をつかまえておく力は、10分の1ほど。雨にとけた窒素は、雨200mmで1mも下へ沈んでいきます。黒ボク土なら、半年かかる深さです。
水も、肥料も、ためておけない。だから水やりが大変。そのかわり、水がたまらないから、畑に畝(うね)を高く立てて水はけをよくする手間がいらない。西園町の人が言っていたのは、そういうことでした。
でも、それが、サツマイモには合うんです。
サツマイモは、水はけのいい土が好きで、土の栄養が多すぎると、葉やつるばかり育って、芋が太らない。農林水産省も、そう説明しています。窒素がすぐ流れていく砂の畑は、サツマイモにとっては、ちょうどいい。
それに、砂は固まらない。下のほうまで、柔らかい。だから、素手で掘れる。細い根を切らずに、たどっていける。
出雲の砂が水を吸い込んでしまうのは、昔からのことでした。江戸時代、大梶七兵衛(おおかじしちべえ)という人が、荒木浜の砂地に用水路を通そうとしたとき、水が地面にしみ込んで流れていかなかった。そこで、川底にむしろを敷いて、粘土で固めた。いまの高瀬川です。

七兵衛は、風で動く砂を止める松林も育てました。木の枝を編んだ垣で砂をため、アサドリ(アキグミ)や浜萩で砂を落ち着かせてから、松を植えた、と伝えられています。松は8列に植えられて「八通り山」と呼ばれ、いまも大社町荒木に残っています。風土記が「やがて埋もれてしまうのでは」と心配していた砂を、止めようとした人がいたわけです。
砂地に向く作物、向かない作物
ここまで来て、気になりました。サツマイモが砂地に向いているのは分かった。じゃあ、ほかには? 逆に、向いていないものは?

向いているのは、大きく分けて二種類ありました。
ひとつは、根や芋が深く伸びるもの。長芋、大根、ごぼう、にんじん、らっきょう。砂は固まらないから、まっすぐ下へ伸びていけます。
もうひとつは、根が水びたしを嫌うもの。スイカ、メロン、ねぎ。スイカのふるさとは、アフリカの砂漠のあたりです。
鳥取のらっきょう畑で、スプリンクラーが水をまいているのを見たことがあります。国道沿いに畑がずっと続いていて、運転しながらでもよく見える。あれにも、ちゃんと理由がありました。
寄り道らっきょう畑のスプリンクラーと、「嫁殺し」タップで開きます
らっきょうは特別で、全国の砂の畑でよく作られている作物のうち、砂地のほかに大きな産地がないのは、らっきょうだけだそうです。
僕がスプリンクラーを見たのは、鳥取砂丘に行ったときと、大阪へ帰るときに国道を通ったとき。名探偵コナンの作者の記念館があるあたりの国道沿いに、畑がずっと続いていて、スプリンクラーが高いところに立っているんです。
昔は、日照りの夏、10アールに毎日7〜10トンの水を、桶と天秤棒で運んでいたそうです。その仕事は「嫁殺し」と呼ばれた。
1953年に鳥取大学がアメリカ製のスプリンクラーで試験を始めて、1977年に、らっきょう畑のスプリンクラーの設備ができあがりました。

じゃあ、向いていないものは。
意外なことに、公的な資料で「砂地では育たない」と名指しされた作物は、見つかりませんでした。水と肥料を足せば、たいていの作物が作れるそうです。
白菜は、たしかに砂地の側で見た覚えがありません。水をたくさん欲しがるのに、水びたしには弱い。砂の畑では、そのさじ加減が難しいのかもしれません。これは僕の推測です。
そういえば、「海の砂では植物は育たない」と聞いたことがあります。あれは、砂のせいなのか、塩のせいなのか。
調べてみると、両方でした。でも、いちばん大きいのは、砂が風で動くこと。埋められたり、根元を削られたり。塩も害にはなるけれど、雨で抜けます。水はけのいい砂ほど、早く抜ける。

寄り道塩のせい? 砂のせい? もう少しくわしくタップで開きます
鳥取大学は、鳥取砂丘で植物が育ちにくい主な原因を、強い風で砂が動くことだと書いています。そこに、栄養の少なさと、塩をふくんだ風と、夏の熱が重なる。
塩も、たしかに害になります。土の塩が濃くなると、根が水を吸えなくなる。ふつうの土でも、塩がたまりつづければ、作物は育たなくなります。雨の当たらないハウスで、肥料の塩が土の表面にたまって困るのも、同じしくみです。
塩をかかえこんで抜けにくいのは、むしろ泥のような細かい土のほうでした。
出雲には、年に1,700mmほど雨が降ります。海から少し離れて、砂が動かなくなれば、砂の畑は、ちゃんと畑になる。七兵衛たちが、まず松林で砂を止めたのは、そういうことだったんだと思います。
出雲の砂丘地で、公的な資料で確かめられた作物は、サツマイモと、ぶどうでした。たしかに、浜山のあたりは、ぶどう畑だらけです。いまでは島根県のぶどうの約8割を、出雲市がつくっています。土から考えると、出雲がぶどうの産地なのも、納得でした。
甘い。ほくほく。
西浜いもは、出雲に来るまで知りませんでした。
はじめて食べたのは、島根に来て一年くらいたったころです。当時働いていたレストランに、有機のトマトを届けてくれていた農家さんがいました。湖陵の人で、西浜地区にも畑を持っている。その畑で育てた「べにはるか」を、持ってきてくれたんです。
芋を受け取るとき、その人が教えてくれました。ゆっくり、ゆっくり火を入れたら、甘くなる、と。
それで、薪ストーブの熾火(おきび)で、ゆっくり火を入れてみました。ほんとうに、甘かった。

その芋の甘さだけで、ドルチェにしました。タルトです。

一緒にもらった紅あずまは、ニョッキにしました。
めちゃくちゃこだわっている農家さんの芋だったから、特別おいしかったんだと思います。
料理人として、西浜いもの味を言葉にすると。
甘い。甘いは甘い。掘って、しばらく置いてからですけどね。それと、ほくほく感がある。まあ、品種にもよると思います。
西浜いもには、ほくほく系の「紅あずま」と、しっとり系の「べにはるか」があります。
「しばらく置いてから」には、理由があります。サツマイモは、掘ったあと置いておくと、デンプンの一部が糖に変わって、甘くなっていく。掘りたてより、少し寝かせたほうが甘いんです。農研機構も、収穫した「べにはるか」を11〜13℃で2週間ほど置いてから出すと、糖化が進んで、焼き芋の評価が上がると報告しています。
うちでは、芋掘りで持って帰った芋を、段ボールに入れて、ひと月か、ふた月、寝かせます。サツマイモは寒さに弱いので、冷蔵庫より、段ボールのほうが合っているんです。
そして、焼き方でも甘さが変わります。サツマイモの中には、デンプンを麦芽糖に変える酵素があって、この酵素は75〜85℃を超えると働きが弱まる。だから、ゆっくり温度が上がるほど、酵素が長く働いて、甘くなる。焼き芋が甘いのは、そのせいです。電子レンジで一気に温めると、甘さが出にくい。
あの農家さんの「ゆっくり、ゆっくり」には、ちゃんと理由があったんです。

よく聞くけれど、公的な資料では確かめられなかったこと
- 「砂は昼によく温まるから、芋が甘くなる」……砂の畑の温度と芋の甘さを、直接むすびつけた資料は見つからなかった
- 「潮風のミネラルで甘くなる」……販売のページで見かける言い方。公的な裏づけは見つからなかった
- どちらも「間違い」という意味ではありません。確かめられなかった、というだけです
家では、焼き芋にしたり、蒸したり、芋ご飯にしたり。
料理にもよく使います。玉ねぎでも、にんじんでも、なんでもいいんですけど、輪切りにして、ちょっと塩をふって、オリーブオイルをかけて、オーブンでじっくり焼く。野菜のオーブン焼きです。そこに西浜いもも一緒に入れて、焼いてしまう。

オーブンでじっくり焼くのは、酵素の話から言っても、甘くなりやすいやり方でした。
買うのは、このあたりなら、スーパーで普通に売っています。
遠くに住んでいる人は、出雲市のふるさと納税でも取り寄せられます。JAしまね出雲地区本部の「べにはるか」で、発送は11月上旬から1月下旬まで。届いたら冷蔵庫には入れずに、新聞紙などでくるんで、13〜15℃くらいのところに置いてください、とあります。

国引きの綱の上で、芋を掘る
芋掘りは、毎年あるとはかぎりません。
天気が悪いと、なくなる。一昨年がそうでした。親子の芋掘りは中止になって、先生と年長さんだけで、平日に掘りに行く形になりました。
去年も、前の日から、天気があやしかった。念のため、子どもたちのカッパを車に積んでいきました。
始まって、まもなく、雨。ほとんどの親子は、帰っていきました。
うちの二人は、カッパを着て、掘りつづけた。
先生たちも、だいぶ引きあげていって。最後に「もういいよ」と言われるまで、二人で、一生けんめい掘っていました。

上の子は、去年もう小学生でした。それでも一緒に来られたのは、芋掘りが土曜日だったからです。保育園の行事は、働き方改革で平日になったものが多いけれど、芋掘りは、まだ土曜日にある。だから兄弟で、最後までがんばれた。
家に帰って、濡れた芋を乾かして、段ボールに入れました。
今年は、下の子が、保育園の最後の年です。
だから、今年が、最後の芋掘り。
もし雨なら、延期はなくて、平日に先生と年長さんだけで掘りに行くことになる。家族の芋掘りは、なくなってしまう。一昨年のように。
神戸川と、昔の斐伊川が運んだ砂。それを西風が積み上げた浜。1300年前の人が「白い砂」と書いて、神話が「綱」と呼んだ浜。
その砂の畑で、今年も、素手で芋を掘りたい。細い根を切らないように、たどっていくと、また、でかい芋がある。
今年は最後だから、いい天気であってほしい。
そう、願っています。
今日の一曲
DREAMS COME TRUEで、「晴れたらいいね」。1992年のシングルで、NHKの朝ドラ「ひらり」の主題歌でした。
次の休みに、出かけよう。晴れたらいいね。そう願う歌です。
歌の中に、幼稚園の最後の日の思い出が出てくるところがあります。歌では幼稚園ですけど、うちは保育園。下の子は、来年の春、保育園を卒園します。
最後の芋掘りの日の朝、きっと空を見上げながら、この歌を口ずさんでいると思う。
晴れたらいいね。ほんとうに。
DREAMS COME TRUEの公式チャンネルに、2011年のライブ映像があります。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。















