手伝っとけば良かった
こんばんは、ひろしです。
今日は、大学時代の話をします。
僕の卒業論文の担当教授が、漫画家だった、という話です。

ニュータウンの歴史
僕は富山大学で、文化人類学を専攻していました。
卒業論文のテーマを決めなければいけない時期になって、僕はずっと考えていました。
音楽のことを書きたい。
でも、無理だろうな、と思っていました。文化人類学で音楽のことなんて書けるはずがない。そう思い込んでいました。
最初の担当教授からは、こう言われていました。
ニュータウンの歴史を調べなさい。
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そのまま書いていたら、たぶんそれなりの卒論にはなったと思います。
でも、書きたいことではありませんでした。
「面白そうじゃん」
そのタイミングで、担当が変わりました。
僕は新しい担当の先生のところへ、勇気を出してお願いに行きました。
やっぱり、音楽をテーマに書いてみたいんです。
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返ってきた言葉は、あっさりしたものでした。
いいよ。面白そうじゃん。現代文化には違いないんだから。
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拍子抜けしました。
そして、うれしかった。
僕はこの先生が、もともと好きでした。理由は単純で、講義が面白かったからです。
そして、何を隠そう。
この先生こそが、漫画家の都留泰作先生でした。
授業で、テレビを見る
講義が面白かった、と書きました。
どう面白かったのか。ひとつだけ、例を挙げます。
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先生のゼミでは、テレビ番組を見ていました。
当時放送していた「世界ウルルン滞在記」。あれを先生が毎週、自分で録画してあるんです。当時なので、VHSです。
それを授業中にみんなで見て、見終わったところから、文化人類学の講義が始まる。
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しかも、適当に流していたわけではありません。
その日の授業のテーマに合わせて、先生が毎回、選んで録ってある。文化人類学の学びになる回だけが、ちゃんと選ばれている。
いま風に言えば、キュレーションです。VHSで。

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僕はもともとウルルン滞在記が好きだったので、うれしかった。
でもそれ以上に、驚いていました。
授業というのは、先生の話を聞くものだと思っていたからです。テレビを見るところから始まる授業なんて、それまで受けたことがありませんでした。
考えてみれば、あの番組は毎週、誰かが知らない土地で暮らす話です。文化人類学の教材として、こんなに面白いものはない。
それを大学の授業に持ち込んでしまう。そういう先生でした。
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ちなみに、この記事を書くにあたって先生にご連絡したところ、こう返ってきました。
あんな授業を楽しんで見てくれたのは嬉しいですね。けっこう苦労したし。
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二十年経って、初めて知りました。
毎週テレビの前に座って、その日の授業に合う回を選んで、録画しておく。学生はただ座って見ているだけでしたが、あれは仕込みだったわけです。
楽しい時間の裏には、たいてい誰かの手間がある。
それを知るのに、二十年かかりました。
「月刊誌ならなんとかなるよ」
当時の僕は、都留先生が漫画を描いていることは知っていました。
でも、読んだことはありませんでした。
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一度、訊いたことがあります。
文化人類学の教授をしながら、二足のわらじで漫画を描けるもんなんですか。
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先生は、飄々とこう言いました。
月刊誌ならなんとかなるよ。
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いま調べてみると、先生が富山大学に着任したのは2003年。そのとき34歳です。
教授としては、かなり若い。名古屋大学の理学部を出て、京都大学の大学院で理学博士。専門はアフリカの民族文化で、カメルーンでバカ・ピグミーの調査をされていました。
そして同じ2003年に、漫画の新人賞で佳作を取っている。
つまり僕がお世話になっていたのは、研究者としても漫画家としても、走り出したばかりの先生だったということになります。
頭の回転が速すぎるから、大学で教えながら連載ができたのだと思います。
1ページの卒論
音楽で書く許可はもらいました。
では真面目に書いていたかというと、そんなことはありませんでした。
文化人類学は現地調査が基本なので、聞き取り調査はしていました。でも本文は、12月になっても全然書いていなかった。
先生に「そろそろ」と言われて、やべっ、と思って、徹夜で書きました。
最初に提出したのは、1ページくらいでした。
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その1ページに、添削が返ってきました。
これがすごかった。
これを前に持ってきて、これを後ろに持っていったら、分かりやすくなるよ。
そういう指摘なんです。書き足せでも、書き直せでもない。僕の書いた文章の、順番を入れ替えるだけ。

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言われたとおりに入れ替えたら、めちゃくちゃ読みやすくなりました。
同じ文章なのに、です。
文章は、順番でこんなに変わるのか。
いまブログを書いていて、書いた段落を前に持っていったり後ろに回したりするたびに、あの1ページの添削を思い出します。
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ちなみに、12月に1ページだった卒論は、最終的に40ページほどになりました。
あの添削のあとは、年末年始も関係なく、卒論部屋にこもって書き続けました。
スタートは最低でしたが、適当な論文ではなかった。それだけは言わせてください。
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そんな経緯で書き上げた卒論のタイトルが、これです。
「現代の日本の大衆音楽におけるジャンル分け ―「ロック」と「ポップス」をめぐって―」
内容については、今日は割愛します。……と、ここまで書いていたのですが。
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実家を探したら、出てきました。ちゃんと置いてありました。
せっかくなので、載せておきます。
📄現代の日本の大衆音楽におけるジャンル分け
―「ロック」と「ポップス」をめぐって―
2005年提出/全39ページ・PDF(別のタブで開きます)
紙をスキャンして、文字を起こし直したものです。明らかな誤字だけ直して、中身と文体はそのままにしました。
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二十年ぶりに読み返して、思ったことがあります。
論文らしく書こうとしすぎていて、正直、読みにくい。
でも、書いてあることは、いまの僕が考えていることと、ほとんど同じでした。
そのことについては、また別の記事で書きます。いつか、絵をつけて読みやすくした「2026年版」も作ってみたいと思っています。
代表に選ばれた
もうひとつ、忘れられないことがあります。
富山大学の文化人類学の研究室は、隣の県の金沢大学の研究室と、毎年合同の発表会をやっていました。各大学から、代表が2名ずつ発表します。
その代表に、都留先生が僕を選んでくれました。
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当時の僕は、書いてきたとおりの学生です。12月まで卒論を書かない学生です。
なんで僕なんですか、と聞きました。
先生の答えは、こうでした。
え、だってあの論文、面白いじゃん。
テーマを変えたいとお願いしたときと、まったく同じ調子でした。
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「面白そうじゃん」で通してもらった卒論が、「面白いじゃん」で代表になった。
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発表の本番は、頭が真っ白でした。何を話したのか、全然覚えていません。
質疑応答で答えに詰まると、都留先生がフォローしてくれました。それだけ覚えています。

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やりたいと言えば、通してくれる先生でした。
でもそれだけじゃなくて、言わなくても、見ていてくれる先生だったんだと思います。
ナチュン
それから、十年以上が経ちました。
僕が三十代半ばになった頃です。
ふと、都留先生の漫画を読んでみようと思いました。
『ナチュン』という漫画です。僕がお世話になっていた、まさにあの時期に連載されていたものでした。
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読み始めて、驚きました。
世界観が壮大すぎるんです。
僕がこの世界観にいちばん近いと思ったのは、エヴァンゲリオンでした。
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誤解のないように書いておきます。
世話になった先生だから面白かった、ということでは全然ありません。
めちゃくちゃ面白くて、夢中になって読みました。
このブログを読んでくれている人にも言いたい。こんなの読んでいる時間があるなら、一度ナチュンを読んでみてほしい。
いや、ブログを読んでくれて、本当にありがとうございます。
でも、それくらい面白いんです。
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紙の本は、いまは絶版になっています。僕もKindleで読みました。電子書籍なら、いまもすぐ読めます。
紙で欲しい人には、中古の全巻セット(Amazon)もあります。
ちなみに、ナチュンの次に描かれた『ムシヌユン』(小学館・全6巻)も、負けず劣らず面白いです。
二足のわらじの、行き先
ナチュンを読み終えたあと、先生のことを調べました。
都留先生は有名な方なので、Wikipediaに載っています。
それを見て、びっくりしました。
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僕が卒業してしばらくして、先生は京都の、京都精華大学に移られていました。
文化人類学を教えているのかと思ったら、違いました。
マンガ学部の教授になっていたんです。
漫画を、教える側になっていた。
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大学教授と漫画家の、二足のわらじ。
あの「月刊誌ならなんとかなるよ」の二足のわらじが、「マンガ学の教授」というひとつの仕事に、合体していました。
二足のわらじって、合体することがあるんです。
僕はこれを知ったとき、なんだか猛烈にうれしかった。

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そして、これは今回この記事を書きながら知ったことですが。
先生は2024年の春に大学を退職して、いまは漫画に専念されています。
合体した二足のわらじは、いま、漫画の一足になっています。
実際、退職されてからの先生は、明らかに活発です。サバイバルホラー『ういちの島』(新潮社・全5巻)を完結させ、『竜女戦記』(平凡社)の連載を続けながら、この夏からは氷河期の海を舞台にしたSF『プロトコル・リュウグウ』(月刊ヤングマガジン)が始まりました。
描き終えては、また始める。
ファンとしては、うれしい限りです。
先生のXとnoteも、いまも動いています。よかったら覗いてみてください。
手伝っとけば良かった
そして、読み終えた僕の頭のなかに、ある記憶がフラッシュバックしました。
当時、先生に言われたことがあったんです。
漫画の効果線とか、窓枠とか、描くのが大変すぎるので手伝ってくれない?

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当時の僕は、丁重にお断りしました。
いや、正直に書きます。適当に断りました。
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いやいやいやいや。
手伝っとけば良かった!!!
再会
この後悔には、少しだけ続きがあります。
ナチュンが面白かった、ということをTwitterに書いたら、写真家の齋藤陽道さんが反応をくれました。齋藤さんもナチュンのファンで、担当の先生だったなんてうらやましい、と。
そのやりとりで、火がつきました。
先生に、直接会いたい。
*
2020年の12月頃です。ちょうど僕が独立したばかりで、コロナ禍のさなかでした。同じ頃に父の大きな病気がわかって、実家の大阪に帰る機会が増えていた時期でもありました。
大阪と京都は、近い。
大学時代にやりとりしていた先生の連絡先は、十五年経っても変わっていませんでした。
先生、久しぶりにお話ししたいです、と連絡しました。
届きました。
*
返ってきた言葉に、驚きました。
ひろしさんのことは、よく覚えています。
それだけではありませんでした。僕がパン屋でバイトしていたとき、偶然お会いしましたよね、と。卒論はたしかJPOPについてでしたか、と。
パン屋の件は、僕自身が忘れていたことでした。卒論も、だいたい合っています。
十五年、先生のほうが覚えていてくれました。
*
その冬、僕は京都へ、七尾旅人と寺尾紗穂のツーマンライブを観に行くことになっていました。独立をきっかけに、音楽をもう一度、本気で始めていた頃です。
ライブの日の昼。京都の岩倉にある喫茶店で、先生と会いました。
卒業して以来、十五年ぶりです。
音楽のことを書きたいです、と言いに行った学生は、十五年後、音楽を聴くために京都へ来て、先生と再会したことになります。
*
じつは先生、日を勘違いしていて、「10分くらいで行きます」と駆けつけてくれました。
飄々としたところは、昔のままでした。
久しぶりに話して、すごく楽しかった。

そして、伝えました。
ナチュン、本当に面白かったです。エヴァンゲリオンよりすごいと思いました。
*
実は、効果線の話も本人にしました。
あのとき手伝えばよかったです、と。
先生は、覚えていませんでした。
*
パン屋のことは、僕が忘れていて先生が覚えていた。効果線のことは、僕が覚えていて先生が忘れていた。
そんなものなのかもしれません。
誰かの記憶の中に、自分の知らない自分がいる。そして自分の中にも、相手の知らない相手がいる。
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効果線の後悔は、消えていません。
でも、面白かったと本人に伝えることは、できました。
これは、言えてよかった。
あのとき、断らなければ
もちろん、手伝ったところで、僕の人生が変わったわけではないと思います。
効果線を何本か引いて、窓枠をいくつか描いて、それで終わっていたでしょう。
でも。
いま本屋に並んでいるあの本のどこかに、自分の引いた線が入っている。
そういう人生も、あり得たわけです。
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僕はそのあと、料理の世界に入りました。
文化人類学とも、漫画とも、まったく関係のない道です。
でも、あのとき「音楽で書きたい」と言いに行ったこと。それを「面白そうじゃん」と受け取ってもらえたこと。
あれは、いまも残っています。
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やりたいと言えば、通ることがある。
言わなければ、何も起こらない。
僕が学んだのは、たぶんそれです。文化人類学ではなく。
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ちなみに。効果線は手伝いそこねた僕ですが、二十年後、息子の作った物語を絵本にする手伝いをしました。
マンゴーたろうは、鬼と戦わなかった|小1の息子が作った物語を、絵本にした話
あのときの後悔が、すこしだけ効いているのかもしれません。
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実はこの話には、続きがあります。
十数年ぶりに再会した都留先生に、僕はもう一度「やりたいです」と言うことになるのですが、それはまた次の記事で。
今日の1曲
「世界ウルルン滞在記」のメインテーマです。
イントロが流れた瞬間、あのゼミの教室に戻れます。
テーマが始まるところから、どうぞ。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、おやすみなさい。

