マンゴーたろうは、鬼と戦わなかった
こんばんは、ひろしです。
今日は、道具の話でも、料理の話でもありません。
長男が小学1年生のときに書いた、ひとつのお話について書きます。
本人の許可は、もらいました。
「おはなしを かこう」
小学1年生の、国語のプリントです。
お題はこう書いてありました。
じぶんが かんがえた 人ぶつが、大きく なって どんな ことを するのかを かんがえて、おはなしを かきましょう。
長男が書いてきたお話の題名は「マンゴーたろう」。
読み始めたとき、僕はこう思いました。
ああ、桃太郎の桃をマンゴーにしたのね。

全文を、そのまま載せます
一字も直していません。ひらがなも、言い回しも、そのままです。
むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがすんでいました。
ある日、おばあさんは、川でマンゴーをひろいました。
そのマンゴーから赤んぼうが生まれました。
ふたりは、「マンゴーたろう」と名まえをつけて、そだてることにしました。
マンゴーたろうが大きくなるころには、おにのきょじんがやってきていて、なぜか、おにのかおが、かなしそうです。
なのにまちをあらしています。
マンゴーたろうは、かたなをぬき、
おにのきょじんとたたかおうとおもいましたが、おにのかおを見て
「へんだなー。なんであんなにかなしそうなかおをしてるんだろう。」
マンゴーたろうがかんがえると
「そうだ、さびしかったんだ。」
とおもったとたんマンゴーたろうの口がうごきだしました。
「おい、おにのきょじん、おれがともだちになってやろう」
おにはよろこんで
「それなら、ちがうおにがきたばしょで、いっしょにくらそう。手からくだものがでてくるんだろう。」
と、おにがいって、
マンゴーたろうがおにをかついで、おにのもときたばしょにいきました。
それからマンゴーたろうがまちにかえって、みんなにくだものをあげ、おにのばしょでなかよくくらしました。
桃太郎では、なかった
途中まで、桃太郎です。川、拾われる果物、生まれる子ども、育てる老夫婦。型どおりに進みます。
鬼が出てくるところまでは。
なぜか、おにのかおが、かなしそうです。
なのにまちをあらしています。
ここで、様子が変わります。
主人公は刀を抜きます。桃太郎なら、ここから鬼退治です。
でも、マンゴーたろうは抜いた刀を使いませんでした。
かわりに、鬼の顔を見たんです。
「へんだなー。なんであんなにかなしそうなかおをしてるんだろう。」
観察です。
「そうだ、さびしかったんだ。」
考えて、たどり着いた。
そして、そのあとの一行が僕は好きです。
とおもったとたんマンゴーたろうの口がうごきだしました。
「言いました」ではないんです。口が、うごきだした。考えるのが先で、言葉は勝手に出てきた。順番が、ちゃんとしている。
「おい、おにのきょじん、おれがともだちになってやろう」
刀は抜いたまま、一度も使われませんでした。
この物語に、悪はいない
読み返して、気がつきました。
このお話には、悪者がひとりもいません。
鬼は町を荒らしていますが、悪だからではありません。さびしかったからです。マンゴーたろうは戦いに行きましたが、戦いませんでした。相手の顔を見てしまったからです。
鬼は泣いて喜んで、自分たちの場所にマンゴーたろうを招き入れました。マンゴーたろうは町に帰って果物を配って、それから、鬼のばしょで暮らしました。
誰もやっつけられていない。誰も追い出されていない。
お題を、逆から解いていた
あとから、プリントのお題を読み直して、もうひとつ気がつきました。
「じぶんがかんがえた人ぶつが、大きくなってどんなことをするのか」
ふつう、大きくなるのは主人公です。大きくなって、強くなって、活躍する。1年生ならなおさら、そう書くと思います。
長男は、大きくしたのを鬼のほうにしました。
マンゴーたろうは大きくなって(育って)、力を使わない選択ができるようになった。
鬼は大きくなって(体が)、大きすぎて、誰にも近づいてもらえなくなった。
同じ「大きくなる」が、片方には選ぶ力を与えて、片方には孤独を与えている。
このお話を絵本にしたとき(その絵本は、この記事の最後に載せます)、本人からひとつだけ、強いこだわりが出ました。
「鬼は、大きくなくてはならない」
そういうことだったのか、と思いました。鬼の大きさは、さびしさの大きさなんです。
紙の話
もう一度、プリントの写真を見てほしいんです。
プリントには、書く用の枠があります。長男の字は、最初の数行で枠を追い越して、あとは余白を埋めながら、紙のふちギリギリまで続いています。
枠に収まらなかったのは、話が枠より大きかったからだと思うことにしています。
僕が高校生のときに考えたこと
ここからは、僕の話です。
僕は高校生のとき、ずいぶん長いあいだ考えて、ひとつの仮説にたどり着きました。
この世に、悪なんてないんじゃないか。
あるのは立場の違いだけで、こっちから見れば敵、あっちから見れば味方。善と悪は表裏で、どっち側から見るかの問題でしかないんじゃないか。
その考えをもっと突き詰めたくて、大学は文系に進みました。哲学をやるつもりが、最終的に選んだのは文化人類学でした。自分の物差しをいったん置いて、相手の側から世界を見る学問です。いま思えば、高校生の仮説の続きを、そのままやっていました。
このブログでも、ずっと同じことを書いてきました。道具を比べるときは、優劣ではなく役割の違いで。何かを良く言うために、何かを悪く言わない。
店が止まったコロナのころに書いたいちばん最初の記事も、言葉は違いますが、結局は同じことでした。
息子に、この考え方を教えたことは、一度もありません。
でも、あのお話を読んだとき、思いました。
教えなくても、伝わるものがあるのかもしれない。
— 少し、寄り道を —
ドラゴンボールにミスターサタンというキャラクターがいます。実力もないのに世界の救世主を名乗る、かっこ悪い奴の代表みたいに扱われがちな人です。
でも僕は、彼こそ真のヒーローだと思っています。みんなが暴力で魔人ブウを倒そうとしたなかで、ただひとり、ブウと友達になる道を選んだ人だからです。
そして最後のスーパー元気玉は、ミスターサタンがいなければ完成しませんでした。ピッコロさん(神様と融合したあとの、神コロ様のほうです)は、それをちゃんと見ていて、分析していました。戦いの物語のいちばん大事なところが、戦わなかった人の力で決まっている。
ミスターサタンはその後、ブウと一緒に暮らしています。マンゴーたろうと、まったく同じです。
引用

『DRAGON BALL』第40巻 144ページ

『DRAGON BALL』第41巻 43ページ

サタンが叫んだ瞬間、地球じゅうが手を上げた。
『DRAGON BALL』第42巻 181ページ
出典:鳥山明『DRAGON BALL』(集英社・ジャンプコミックス)第40巻144ページ/第41巻43ページ/第42巻181ページ。本文の趣旨を示すために必要な範囲で引用しました。著作権は著作者および集英社に帰属します。
絵本にしました
このお話を、絵本にしました。
絵はAIと一緒に作りましたが、演出はぜんぶ作者本人です。「鬼は大きく」「でも頭はちゃんとある」「パンツは虎柄で最後まで」「家がこわれているなら、瓦礫も描く」。どれも本人からの直しです。
なかでも何度も言われたのが、これでした。
マンゴーたろうに、鼻はない。
描くたびに鼻が生えてくるので、そのたびに指摘されました。目と、眉と、口。それだけです。ここだけは、一度も譲ってくれませんでした。
表紙だけは、本人が描いた原画をそのまま使っています。これ以上のものは、なかったので。













公開したあとに、作者から聞いたこと
この記事を公開したと本人に伝えたら、とても喜んでくれました。
そして、そのあとに、こう教えてくれたんです。
鬼は、町を荒らしていたんじゃない。
仲間を探していただけだ、と。
体が大きすぎるから、歩くだけで家が壊れてしまう。探しているうちに、町がこわれていっただけなんだ、と。
*
僕はこの記事に、こう書きました。
鬼は町を荒らしていますが、悪だからではありません。さびしかったからです。
違いました。
荒らしてすら、いなかったんです。
*
これで、この物語から悪意が完全に消えました。
鬼には、こわす気がなかった。そして、マンゴーたろうはそれを見抜いた。
「へんだなー。なんであんなにかなしそうなかおをしてるんだろう。」
あの一行は、町を壊している相手を目の前にして、それでも「この人に悪意はない」と気づいた瞬間だったことになります。
あとから設定を足したのではありません。本人は最初からそう思って書いていて、ただ紙に書かなかっただけです。
一年生が、紙の枠に収まりきらなかった話には、書かれなかった続きが、まだあったということです。
今日の1曲
この記事を書きながら、最初に流れてきたのは七尾旅人の「おもひで」でした。
「良いも悪いもなんにもないから」——言葉は、これ以上ないくらい合っています。でも、曲全体はもっと別のことを歌っている気がして、しっくり来ませんでした。
そのあとに流れてきて、頭から離れなくなったのが、THE BLUE HEARTSの、ダンス・ナンバーです。
カッコ悪くたって良いよ、と歌っています。
THE BLUE HEARTS「ダンス・ナンバー」
作詞・作曲 甲本ヒロト
人の目ばっかり いつでも気にして
口先ばっかり 何もしないで
そんなのちっとも おもしろくないよ
そんなのとっても たいくつなだけさ
カッコ悪くたっていいよ
そんな事問題じゃない
君の事笑う奴は
トーフにぶつかって死んじまえ
正直に言うと、この曲の続きの言葉は、いま読むと少しきついと思う部分もあります。でも、若いころ、僕はこの曲に何度も救われました。それを、なかったことにはできません。
僕は社会に合わせるために無理をして、苦しんで、結局「ほんとうの自分」に救われた人間です。自由だったころの自分に。それに気づくまで、何十年もかかりました。
だから、願うことはひとつだけです。
息子が、このまま自由に、本当の自分で生きていってくれたら。
カッコ悪くたって、いいんです。そんなことより、本当の自分でいるほうが、ずっと大切なんだから。
そのためのサポートなら、僕はなんだってするよ。
このままの君でいられたら、君は何だってできるし、何にでもなれる。
僕は、信じてる。
歌は、有名になることより、誰かの中で鳴り続けることのほうが大事だと思っています。それを教えてくれた人のことも、このブログに書きました。
そういえば、あのお話を書いた子は、1歳のころからヒロトとマーシーを聴いて育ちました。
そして2歳になった次の日には、自分で歌を作っていました。
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本日もお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、おやすみなさい。
