コーヒーの歴史、第4回です。

前回は、誰がその豆を摘んでいたのかを書きました。サン=ドマング、ジャワ、ブラジル。1888年にブラジルで奴隷制が終わると、そのあと、イタリアや日本から、たくさんの人が働きに渡りました。

今回は、そのブラジルの話から始めます。世界でいちばんコーヒーを作る国になったブラジルは、あるとき、作ったコーヒーを燃やしはじめます。

前回の最後に、ふたつ約束をしました。燃やされたコーヒーの話と、いまの一杯の値段のうち、豆を作った人に届くのはどれくらいなのか。フェアトレードの値段のことも、調べると書きました。

今回も、誰かを悪者にはしません。値段がどう決まって、どこへ流れていくのか。その仕組みを、数字で追いかけます。

1930年代のブラジルの港の近くで、コーヒー豆の大きな山から白い煙が立ちのぼり、空の麻袋が積まれ、遠くに蒸気船が見える水彩
1930年代のブラジル。余った豆が、港の近くで燃やされた(イメージ)。
この回に出てくる3つの数字。7,821万袋(1931〜44年にブラジルが処分したコーヒー)、10円前後(東京の喫茶店の一杯637円のうち農家に届く分・試算)、3分の1前後(フェアトレード認証の組合の豆のうち、フェアトレードとして売れた割合)
この回に出てくる、3つの数字。

作りすぎた国

1906年のブラジルでは、豆が余って、値段が大きく下がりそうになっていました。そこで、サンパウロ、ミナスジェライス、リオデジャネイロの3つの州の知事が集まって、約束を結びます。タウバテ協定です。

中身は、外国からお金を借りて、余った豆を買い上げる。市場に出る豆を減らして、値段を支える。最初の買い支えでは、世界の在庫の約半分にあたる820万袋を買い上げました。1袋は60キロです。

これが、うまくいきました。1918年に大きな霜の害で品不足になると、倉庫の豆は高く売れて、大きな利益になったそうです。

ところが、うまくいったことが、次の問題を呼びます。値段が支えられるなら、もっと植えよう。1920年代、ブラジルではコーヒーの木が一気に増えました。1928年から29年にかけての収穫は、2,890万袋。1929年には、在庫が2,000万袋にふくらんでいました。

1920年代のブラジル、サンパウロ州の広大なコーヒー農園。赤い土の道と、地平線まで続くコーヒーの木の列を描いた水彩
地平線まで続く、コーヒーの木の列(イメージ)。

当時、ブラジルが外国に売って得るお金の、約7割がコーヒーでした。国の稼ぎの柱です。

そこへ、1929年10月、ニューヨークで株価が暴落します。世界恐慌です。

外国からお金を借りて豆を買い支える仕組みは、もう続けられませんでした。ニューヨークでのコーヒーの値段は、1929年9月の1ポンド(約454グラム)22.54セントから、翌年の初めには14セントへ。1931年の平均は、9セントを切りました。

作りすぎと値崩れ。1906年に世界の在庫の約半分820万袋を買い上げ、1929年には在庫2,000万袋、輸出収入の約7割がコーヒー。ニューヨークの値段は1929年9月の22.5セントから1933年初めの約8セントへ
値段を支えると、豆はもっと増える。

燃やされたコーヒー

1931年、ブラジルは、コーヒーを買い上げて処分するための国の機関をつくりました。お金は、外国へ売る豆1袋ごとにかける税から出しました。

買い上げた豆を、どうするか。はじめは、海に捨てることも、機関車の燃料にすることも、肥料にすることも試されました。最後に落ち着いたのが、燃やすことでした。

目標は、月に100万袋。1日に、およそ4万袋です。でも、コーヒー豆はなかなか火がつきません。1万5千袋を燃やし切るのに、長いときは15日かかったそうです。

1931年から1944年までの14年間で、処分されたコーヒーは7,821万4,253袋。重さにすると、約469万トンです。

前回、「7,820万袋を燃やした」と書きました。正確には、処分した量が7,821万4,253袋で、そのほとんどが燃やされた、ということになります。

いまの日本が1年に輸入する生豆は、約36万トン(2025年)です。その13年分ほどのコーヒーが、市場から消されました。

1931年から1944年に、ブラジルが処分したコーヒーの年ごとの袋数の棒グラフ。1937年が最多の1,720万袋、合計7,821万4,253袋、約469万トンで、日本の生豆輸入の約13年分
1933年と1937年の2年だけで、全体の約4割。

1937年には、その年に外国へ売った量よりも多い、1,720万袋を処分しています。そして同じ年、ブラジルは、値段を支えるやり方そのものをやめました。輸出の税を大きく下げて、安くして、たくさん売る方向に変えたのです。翌1938年、輸出は38%増えました。

それでも、処分そのものは1944年まで続きました。

燃やすことに、意味はあったのか。評価は、いまも分かれています。約8,000万袋を処分しても、値段の水準は大きくは変わらなかった、という見方。もっとひどい値下がりを防げた、という当時の声。燃やすのをやめれば、代わりに来たのは失業と社会の混乱だった、という専門家の見方もあります。

料理の仕事をしていると、食べ物を捨てることには、どうしても抵抗があります。ただ、これは誰かが意地悪をした話ではないと思います。作りすぎた豆を、ほかにどうしようもなかった。そういう仕組みの中で起きたことです。

国と国の約束

戦争が終わっても、豆の余りは続きました。1963年ごろ、世界の在庫は7,920万袋。世界で飲まれる量の、およそ1年半分です。そのうち約85%を、ブラジルが抱えていました。

作る国だけでは、もう支えきれない。そこで1962年、豆を作る国と飲む国が一緒になって、国際コーヒー協定を結びます。国ごとに、輸出してよい量を決める。飲まれる量より多い分は、市場に出さない。値段が下がりすぎたら割当を減らし、上がりすぎたら増やす。

この約束は、続いたり止まったりしながら、1989年まで続きます。1983年の協定のもとでは、値段を1ポンド120〜140セントの幅に、ほぼ収めることができました。

1989年7月、割当の配り方で国どうしが合意できず、割当は止まりました。値段は、約4割下がりました。値動きの幅も、それまでより大きくなります。

100年ぶりの安値

2001年9月、コーヒーの国際価格は、1ポンド41.17セントまで下がりました。国際コーヒー機関(ICO)は、この時期の値段を「実質で100年ぶりの安値」と書いています。ベトナムでの急な増産と、ブラジルの新しい農園が重なって、豆が余っていました。

その影響は、豆を作る人たちに向かいました。グアテマラでは、収穫で働く人が50万人から25万人に減りました。ベトナムのある地域では、農家が受け取る値段が、作るのにかかる費用の6割しかありませんでした。

同じ2001年、日本の店で売られていた焙煎コーヒーは、1ポンドあたり860セントほど。ブラジルの生産者が受け取っていたのは、37セントほどでした。焼いた豆と生の豆なので、そのまま比べることはできませんが、差の大きさは分かります。

コーヒーの国際価格の記録。1977年3月の305セント、国際協定のもとでの120〜140セントの幅、1989年7月の割当停止と約4割の下落、2001年9月の41セント、2020年の108セント、2025年2月の354セント、2026年8月の287セント
約束がなくなって、値段の振れ幅は大きくなった。

いまの一杯の値段

そして、最近のことです。

2025年2月、国際価格の月の平均は、1ポンド354.32セントになりました。1977年3月の記録を、48年ぶりに塗り替えています。ブラジルとベトナムの干ばつに、在庫の少なさが重なりました。いまは少し下がって、2026年8月の平均は287.29セントです。

日本に届く生豆の値段は、1キロあたり289円(2020年)から1,010円(2025年)へ。5年で、約3.5倍になりました。ドルで見た値段は約2.9倍なので、差の多くは円安の分と考えられます。

僕が買う豆も、少し前までは100グラム500円くらいでした。いまは、店によっていろいろですが、800円から900円ほどです。500円で買えていたころは、1,000円の豆は高いな、と感じていました。いまは、値段を見るたびに、高いなと思います。

ただ、物価も上がっているし、円も安くなっている。仕方がないのかな、とも思っています。

日本に届く生豆の値段は1kgあたり289円(2020年)から1,010円(2025年)へ約3.5倍。一杯分の生豆代は約4円から約13円へ。僕がいま買う豆は100gで500円くらいから800〜900円へ
一杯分の生豆代は、約4円から約13円へ(試算)。

一杯のうち、農家に届くのは

では、喫茶店のコーヒー1杯のうち、豆を育てた農家に届くのは、いくらなのでしょう。

2026年8月、東京の喫茶店のコーヒーは、1杯637円でした(総務省の調査)。松江市は600円です。

1杯に使う豆は、焙煎したもので10〜12グラム。焼く前の生豆に直すと、12〜14グラムほどです。いま日本に届く生豆は1キロ約1,044円なので、1杯分の生豆の代金は12〜15円。そこから運賃や輸出の費用を引くと、農家に届くのは8〜13円ほどになります。

1杯のうち、農家に届くのは10円前後。割合にすると、1〜2%です。いくつかの仮定をおいた試算ですが、松江の600円で計算しても、ほぼ同じ割合になります。

東京の喫茶店の一杯637円を100マスにした図。農家に届くのは約8〜13円で1.5マスほど、日本に届いた生豆の代金は約12〜15円で2マスほど。残りの98マスは焙煎、運ぶ手間、家賃、人の手間、水や光熱、カップ、座って過ごす時間の代金
一杯の値段の、ほとんどが「豆のあと」にかかる代金。

数字だけ見ると、ずいぶん少なく感じます。でも、これは、誰かが取りすぎているという話とは少し違います。一杯の値段の大部分は、焙煎、運ぶ手間、お店の家賃、人の手間、水や光熱、カップ、そして、座って過ごす時間の代金です。

僕も、お店でコーヒーを出していました。コーヒー屋さんではなかったので、コースの最後の一杯は、コースの値段に含めていました。単品で出すときは、エスプレッソが300円から350円くらい。ふつうのコーヒーは、400円だったはずです。本当は、豆の値段や手間から決めないといけない。でも正直に言うと、僕はいまも、その頃の感覚のままでいます。いまは豆がずいぶん値上がりしているので、もうその値段では難しいと思います。

ケータリングでは、コーヒーだけに値段をつけることはありません。料理と合わせた全体の金額に含めます。コーヒーを持っていくかどうかも、先に決めておきます。

作った人が、いちばん儲かるべきなのに

いつも思うことがあります。食材でも何でも、作った人がいちばん儲かるべきだと思う。でも、いちばん儲かっているように見えるのは、いつも間に入る大きな会社です。悪く言うつもりはありません。ただ、なぜなのかが、ずっと不思議でした。

ドイツの店で売られるコーヒー豆の値段を、誰の取り分か分けた研究があります(2021年のデータをもとにした推計)。農家、焙煎会社、お店、国の税金が、それぞれ約2割ずつでした。割合だけなら、農家も同じくらいもらっています。それでも差がつくのには、いくつか理由がありました。

  1. 分ける人数が違う。世界には、約1,250万の小さなコーヒー農家があります。農家の2割は、その全員で分けます。しかも、そこから肥料や人手の代金を払うので、手元に残るのは値段全体の4%ほど。家族みんなで働いた手間の代金も、ここから出ます。間に入る会社のもうけは、経費を払ったあとで、焙煎会社が売上の約4%、お店が約7%。1kgあたりでは小さくても、会社の数はずっと少なく、たくさん集めて売るので、会社全体では大きな額になります。
  2. 売る人は多く、買う人は少ない。ドイツでは、大手4つの小売グループが、食品の売上の7割を占めています。そういうとき、値段を決める力は、買う側に寄ります。
  3. 農家は待てない。コーヒーの実は、摘んだらすぐに処理しないと傷みます。お金も、すぐに要る。間に入る会社は、豆を倉庫で寝かせて、売る時期を選べます。
  4. 値段が大きくなるのは、飲む人の近く。焼いて、名前をつけて、お店で出す。その工程は、飲む国にあります。
  5. 名前のない豆は、値段だけで比べられる。「ブラジル産の何等級」として売られると、どの農家の豆も同じ扱いになります。
同じ2割でも。ドイツの店で売られるコーヒー豆1kg(平均9.71ユーロ)の値段は、農家21%、産地の集荷と輸送7%、焙煎会社とお店が約2割ずつ、コーヒー税23%、消費税7%。経費を払ったあと手元に残るのは1kgあたり農家0.41ユーロ(家族の手間の代金も含む)、焙煎会社0.20ユーロ(売上の約4%)、お店0.61ユーロ(売上の約7%)。差がつく5つの理由
同じ2割でも、分ける人数と、待てるかどうかが違う。

誰かが悪いことをしている話ではなく、仕組みの話でした。そして、その仕組みを、作る人の側に取り戻そうとする動きもあります。日本のJAも、もともとは農家が自分たちで作った協同組合です。コーヒーにも協同組合があって、フェアトレードは、その組合と取引します。

フェアトレードの値段

前回、「フェアトレードが広まっていることは知っている。でも、どこまでがちゃんとした値段でやり取りされているのか分からない」と書きました。調べてみました。

日本でよく見るフェアトレードのラベルは、国際フェアトレードという団体のものです。コーヒーには、ふたつの決まりがあります。

ひとつは、最低価格。協同組合から豆を買うとき、相場がどれだけ下がっても、この値段より下では買わない、という「床」です。いまは水洗式のアラビカで、1ポンド1.80ドル。2026年12月からは、2.00ドルに上がります。

もうひとつは、プレミアム。売値とは別に、1ポンドあたり0.20ドルを上乗せします。使い道は、組合の人たちが決めます。そのうち5セント以上は、畑や品質をよくすることに使う決まりです。有機栽培なら、さらに0.40ドルが加わります。

フェアトレードの値段のしくみ。相場が安いときは最低価格1.80ドルまで引き上げてプレミアム0.20ドルを足し、相場が高いときはプレミアムだけを足す。最低価格は2011年1.40ドル、2023年8月1.80ドル、2026年12月2.00ドル
最低価格は「床」。相場が高いときは、プレミアムだけが上乗せされる。

ここで、大事なことがふたつあります。

ひとつめ。最低価格が働くのは、相場がそれより安いときだけです。2024年3月から、ニューヨークの相場は2ドルを下回っていません。いまは最低価格の出番がなく、上乗せされるのは、プレミアムの20セント(有機なら、さらに40セント)です。

ふたつめ。これは、協同組合に払う、輸出の港での値段です。農家一人ひとりの手取りは、組合の加工や運営の費用を引いた額になります。

フェアトレードとして売れるのは

そして、僕がいちばん知りたかったことです。

フェアトレードの認証を持つ協同組合がつくった豆のうち、実際にフェアトレードとして売れた量は、2023年で35%でした(2022年は33%)。2024年は、公式の数字から計算すると、約27%です。

残りは、ふつうの豆として、相場の値段で売られます。つくられる量に比べて、フェアトレードとして買いたいという注文が少ないのです。

フェアトレードの認証を持つ協同組合の豆のうち、フェアトレードとして売れた割合。2022年33%、2023年35%、2024年約27%。世界のコーヒーのうちフェアトレードは約2%
認証を持つ組合の豆でも、フェアトレードとして売れるのは3分の1前後。

世界のコーヒー全体で見ると、フェアトレードとして売られたのは約2%です(2024年)。

プレミアムを一杯あたりに直すと、1円前後になります。小さな額です。でも、積み上がると大きい。2019年から2023年の5年間で、コーヒーの協同組合が受け取ったプレミアムは、4億3,700万ユーロになりました。2023年には、その3分の1が、畑と品質をよくすることに使われています。

効き目については、研究でも評価が分かれています。認証を受けた豆の売値は上がり、協同組合も強くなる。ただ、世帯全体の暮らしや、農園で雇われて働く人の賃金までが上がるとは限らない。国や時期、どれだけ条件どおりに売れたかで、大きく変わるそうです。

だから、僕の疑問への答えは、こうなります。フェアトレードとして売れた分は、はっきりしたルールと監査のもとで、ちゃんとした値段でやり取りされている。ただ、それは認証を持つ組合の豆の3分の1前後で、世界のコーヒーの2%ほど。

20代の僕と、フェアトレード

フェアトレードの豆を買っていた時期があります。23歳か24歳、料理の仕事を始めたころです。

自分で勉強して、フェアトレードという仕組みを知りました。富山に「エコーレ」という、コーヒーと雑貨を扱うお店があって、フェアトレードの豆を置いていると聞いて、買いに行くようになりました。

エコーレを選んだのは、フェアトレードの豆があったからだけではありません。エコーレのお店の人が、僕が当時働いていたお店のお客さんだったんです。

小さなコーヒーと雑貨のお店の木の棚に、クラフト紙の袋に入ったコーヒー豆、板チョコレート、陶器のカップが並ぶ水彩
コーヒーと雑貨のお店の棚(イメージ)。

でも、全部をフェアトレードにしていたわけではありません。正直に言うと、お金がなかった。回数でいえば、コーヒーの連載の最初の回に書いた「コーヒー工場アラジン」に通うことのほうが多かったと思います。

いまも、気持ちは変わりません。できるだけ、ちゃんとした道すじで買われた豆を買いたい。

ただ、いまの日本は、物価が上がっているのに、給料がそれに追いついていません。値段の高いものを、どれくらい買い続けられるかは、正直、分かりません。

それでも、できるだけ、努力はしたいと思っています。

届く道を、つくる

最後に、少し明るい話を。

フェアトレードの「床」は、2026年12月から、また上がります。2023年に1.40ドルから1.80ドルへ上がったのに続いて、2.00ドルになります。

コロンビアでは、コーヒー農家の連合会が、「この値段で必ず買い取る」という基準の値段を、毎日公表しています。2025年2月、その値段は前の年の2倍以上になり、2025年の収穫額は、名目で過去最高でした。農家が、その日の値段を、その日のうちに知ることができる仕組みです。

カップ・オブ・エクセレンスという品評会もあります。国ごとに、国内と海外の審査員が、豆の名前を伏せて何度も味を見て、上位の豆をインターネットのオークションで売ります。落札額の大部分は生産者に渡る、と主催する団体は説明しています。2026年のコスタリカでは、いちばん高い豆が1ポンド200.10ドルで落札されました。

この品評会が始まったのは、1999年のブラジルです。かつて豆が余りすぎて燃やされた国で、いちばんおいしい豆を探して、名前と値段をつける仕組みが生まれました。

品評会のカッピングのテーブル。白い布の上に小さなカップとスプーン、焙煎豆の小皿が並び、窓から朝の光が差す水彩
品評会のテーブル。豆の名前を伏せて、味を見る(イメージ)。

日本では、熊本市が2011年に、アジアで最初の「フェアトレードタウン」になりました。いまは国内の8つの市に広がっています。日本のフェアトレード製品の市場は、2014年から2024年の10年で2倍以上になり、その8割前後がコーヒーです(2025年は少し減って、約190億円と推定されています)。

届く道をつくる4つの取り組み。フェアトレードの最低価格が2026年12月に2.00ドルへ、コロンビアの買い取り基準価格の毎日の公表、カップ・オブ・エクセレンス(1999年にブラジルで開始、2026年のコスタリカで1ポンド200.10ドル)、熊本市のフェアトレードタウン
お金が届く道を、つくる。

計算の上では、一杯に10円多く払って、それがそのまま農家に届けば、農家の取り分はおよそ倍になります。ただ、多く払ったお金が、自然に農家まで届く仕組みはありません。フェアトレードも、品評会も、その「届く道」をつくろうとする取り組みです。

燃やされたコーヒーから、いまの一杯へ

まとめ。燃やされたコーヒー(1931〜44年、7,821万袋)、約束と値崩れ(1962〜2001年)、いまの一杯(637円のうち農家に10円前後、フェアトレードの最低価格は2.00ドルへ、条件で売れるのは3分の1前後)
燃やされたコーヒーから、いまの一杯へ。

ブラジルがコーヒーを燃やしたのは、悪者がいたからではありませんでした。作りすぎた豆を、ほかにどうしようもなかった。いまの一杯の値段も、ほとんどは、豆のあとにかかる代金です。

全部はできなくても、できるだけ、ちゃんとした道すじで買われた豆を選びたい。20代のころと同じ気持ちで、いまはそう思っています。

次回は、日本に来たコーヒー

前回、笠戸丸の移民の船を組んだ水野龍という人のことを書きました。彼はそのあと、サンパウロ州から、宣伝用のコーヒー豆を無償で受け取る契約を結びます。ちょうど、ブラジルが豆の余りに悩んでいたころです。

その豆で、1911年に開いたのが「カフェーパウリスタ」。最初の一軒は、大阪の箕面にありました。僕の地元の、すぐ隣です。

次回は、歴史の最終回。日本に来たコーヒーの話を書きます。

今日の一曲

THE BLUE HEARTSで、「世界のまん中」。1987年のファーストアルバム『THE BLUE HEARTS』に入っている曲です。作詞・作曲は、甲本ヒロト。

この回を書いていて浮かんだのは、この曲の歌詞でした。

川の流れの激しさに

足元がふるえている

燃える炎の厳しさに

足元がふるえている

THE BLUE HEARTS「世界のまん中」(作詞・作曲 甲本ヒロト)より

激しい川の流れと、燃える炎。燃やされたコーヒーの話を書きながら、この一節を思い出していました。

ブラジルの回なので、もう一曲。エリス・レジーナとアントニオ・カルロス・ジョビンで、「三月の雨」(Águas de Março)。1974年のアルバム『Elis & Tom』に入っている、ジョビンの曲です。

小さなものを次々に並べていく歌で、夏の終わりの三月の雨を、希望につながるものとして歌っています。ブラジルでは、三月は夏の終わりです。燃やされたコーヒーの話から始まった回を、この曲で閉じたいと思いました。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。