プロレスが怖かった僕が、お祭りのリングで震えた話|みんなで作る、本気のショー
こんばんは、ひろしです。
今日は、プロレスの話です。
僕は、ずっと、プロレスが怖いと思っていました。
暴力的で、血も流れる。何が面白いのか、わからない。
その見方が、去年から、変わりました。
あれだけ怖いと思っていたものの見方が、変わった。それって、相当なことだと思うんです。
結論から言うと。
お祭りで見たプロレスは、悪役も、その相手も、審判も、実況の人も、みんながひとつになって作っている、ショーでした。
そして、リングの上であんなに悪かった悪役のふたりは、リングを降りたら、めちゃめちゃいい人でした。
説明していきます。
― ざっくり言うと ―
- 中学生か高校生のころから、プロレスは「暴力的で、怖いもの」だと思っていました
- 去年と今年、子どもたちと、出雲のお祭りでプロレスを見ました
- 悪役も、審判も、実況の人も、みんなでひとつのショーを作っている。そう気づいて、震えました

途中の「寄り道」は、たたんであります。気になったところだけ、開いてみてください。
プロレスは、怖いものだと思っていた
中学生か、高校生のころだったと思います。
深夜のテレビで、プロレスが流れていました。

わりと暴力的だし、血も流れる。
それを見て、何が面白いのか、ちょっとわからなくて。
なんだか、怖いものだと思っていました。
電流爆破デスマッチ、みたいなのがあるやん。大仁田厚さんが、血だらけになってるイメージ。あの印象が、強すぎたんよね。
くわしくなかったので、僕はずっと「金網電流デスマッチ」だと覚えていました。正しくは「電流爆破デスマッチ」。金網を使った試合も、あったそうです。
父は、格闘技が好きな人でした。
ボクシングも、K-1も、プロレスも。ほとんどの格闘技が、好きでした。
父がプロレスを見ていても、僕は、あえて見ませんでした。
何が面白いのか、わからなかったし。ちょっと、怖かったから。

格闘技が、ぜんぶ苦手だったわけではありません。
K-1は、見ていました。いちばん流行っていたころ、アンディ・フグの時代です。ボクシングも、見ていた時期があります。
というか、僕、むかし、空手を習っていたんです。
それでも、プロレスだけは、怖かった。
去年、はじめてのプロレス|お祭りの中の、リング
去年、2025年の10月11日。
出雲の、地域のお祭りで、プロレスがありました。
来てくれたのは、松江だんだんプロレス。島根県松江市の、プロレスの団体です。
子どもたちふたりと、一緒に行きました。
正直に言うと、プロレスが見たくて行ったわけでは、ありませんでした。
お祭りなので、ステージがあって、何かイベントをやっていて。露店も、いっぱい出ていて。
その中に、プロレスのリングがありました。

リングで、子どもたちが遊べる時間
いいなと思ったのは、試合の前に、子どもたちがリングで遊べる時間が、ちゃんと設けてあったことです。
「ちびっこプロレス教室」の時間です。
遊ぶ、というより、マット運動みたいな感じ。でんぐり返しをしたり。走って、ロープへ。ロープワーク、というんでしょうか。

そういうのが体験できる時間が、ちゃんとある。素敵だなと思いました。
うちの子どもたちも、リングに上がりました。
めっちゃ、楽しそうでした。
僕、リングの上って上がったことないんやけど、ちょっと跳ねるんやね。

今年も、この時間がありました。
試合の前って、もっとピリピリした、真剣な空気なんだと思っていました。
でも、子どもたちがマットの上で体験しているあいだ、選手も、審判も、みんな一緒になって、盛り上げてくれていて。
ほんま、ほんまに、ええ人たちやなと思いました。
「プロレスって、こんなにすごいんや!」
試合が始まると、観客のみんなが、とにかく盛り上がっていました。
盛り上がりすぎていて、「プロレスって、こんなにすごいんや!」と思ったくらいです。
去年は、ほんとうに豪華でした。
シドニー昌太スティーブンス選手。僕の記憶では、テレビの『YOUは何しに日本へ?』に出ていた人です。
この人が、めっちゃ悪役で。鎖を振り回したり、火のついた何かがつながった鎖を、ぶん回したり。

いちばん驚いたのは、メインの試合です。
岡山から来た、若い選手。駿之介(しゅんのすけ)選手です。
この人が出てきたとたん、子どもたちが、うわーっと盛り上がって。
あ、この人、こんなに有名な人なんや、と思って。めっちゃ、びっくりしました。

毎年このお祭りに来ている選手だから、みんな知っているんだと思っていました。
でも、あとで知ったのですが、このお祭りでプロレスがあったのは、去年がはじめてだったそうです。
去年が好評すぎて、今年も開かれることになったんです。
今年も、駿之介選手は来ていました。
やっぱり人気で、最初から、子どもたちのこころをつかんでいる。すごいなと思いました。
見ていると、みんな盛り上げ上手で、それが面白いんです。
選手のみなさんが、子どもたちを、わーっと盛り上げてくれる。子どもたちも、たぶん、そういうのが好きなんだと思います。

悪役は、わざと悪い|何回も盗まれる、審判の目
そして、今年、2026年の10月17日。2回目のプロレスです。
去年に引き続き、大盛り上がりでした。
メインの前の試合には、悪役のふたり組が出てきました。MITSUYA選手と、北九州の「がむしゃらプロレス」から来た、トゥルエノ・ゲレーロ選手です。
このふたりが、めっちゃ悪役で。
ずるばっかりして、反則ばっかり。相手の邪魔をして、乱闘して。観客のいる床まで、降りてくることも。
MITSUYA選手は、実況の人が「アメフト出身」と紹介していて。ほんとうに、タックルがすごすぎて。見ていて、やばかったです。

見ていると、審判の目を盗むのって、そんなに簡単なことじゃないと思うんです。
それなのに、何回も、何回も、審判の目が盗まれる。

あ、これ、わざとやな。
悪役のふたりは、ほんとうに、悪役に徹していました。
だから、相手の選手が、すごく光って見える。試合は、相手のチームが勝ちました。
ずるも、わざとやっている。そして、審判も、実況の人も、みんな、分かってやっている。
めっちゃ悪い奴らが出てくるけど、それも、必要があって出てくるんだと思いました。
役に徹する、ということも、プロレス全体で見れば、大事なんでしょうね。

マスクは、はがれない
悪役が、相手のマスクの選手の、マスクをはがそうとする場面もありました。

ほんとうに、はがすような勢いで。子どもたちは、それでまた大盛り上がり。
たぶん、ほんとうにはがすのは、いけないことなんだと思います。僕は、あまりくわしくないけれど。
でも、マスクは、はがれませんでした。
それも、たぶん、盛り上げるためのテクニックのひとつなんですね。
めっちゃ悪い役をして、めっちゃ悪いことばっかりしているのに。
僕は、そのふたりを見て、思いました。
あ、この人たち、絶対いい人やわ。
なんとなく、そう感じたんです。
試合が終わってみたら、やっぱり、いい人でした。めちゃめちゃ、いい人でした。
その話は、このあとの販売会のところで。
実況の人も、審判も、「まだかな」|メインの試合と、場外乱闘
メインの試合は、ふたり対ふたりの、タッグマッチ。去年に続いて組んだ野津朋也選手と駿之介選手が、KYOHEI選手とスサノオKID選手と戦いました。


45分1本勝負です。
ボクシングなら、3分で休憩が入るのに。
試合時間の長さにも、びっくりしました。この日は、22分55秒で決着がつきました。
試合の途中で、4人とも、リングの外へ。
お祭りの会場を、戦いながら、練り歩いていくんです。
場外乱闘、というそうです。
選手がどこかへ行ってしまって、リングからは見えない。
実況の人は、することがなくなって、差し入れの唐揚げを食べたりしながら、「まだかな」みたいなことを言っていました。

審判も、仕事がなさすぎて、リングの上で、ロープに座って、「まだかな」みたいな顔をしていて。
場外乱闘って、こういう感じなんや、と思いました。

しかも、その乱闘の時間が、長い。
野津選手と、相手チームのスサノオKID選手も、さっきまで、場外で戦っていたんです。
でも、もう一組の、駿之介選手とKYOHEI選手が、あまりにも帰ってこない。
とうとう、敵どうしのふたりが、子どもたちの座っているところに、一緒に座り込みました。
「まだかなぁ」「あいつら、帰ってこねえな」みたいな感じで、ふたりで並んで、待っていて。
面白すぎて、思わず、写真を撮りました。

去年は、はじめてだったので、あまり分からなかったけれど。
場外乱闘も、わざと、盛り上げるためにやっているんですね。盛り上げるために、頑張ってやっている。
それも、今年、気づいたことです。
見たことないくらい、空を飛んだ
メインの試合では、何度も、選手が空を飛びました。

試合を決めたのは、野津選手でした。
リングの角の柱、コーナーポストというんでしょうか。あそこに登って、「行くぞ」と言って。
すごい。見たことないくらい、空を飛んで、回転して。
相手を、リングに沈めました。
それが、フィニッシュ技。やっぱり、いちばん盛り上がりました。
年も、僕とそんなに違わないと思います。
それで、あんなに動けるって、すげえな。僕なんか、だんだん年を感じるようになってきたのに。


その瞬間を、動画でも撮っていました。
みんなが一体になって、作り出しているショー|気づいて、震えた
見ていて、気づいたんです。
審判も、実況も、演者も。
ぜんぶが一体になって、作り出しているショーなんや、って。
気づいたとき、震えました。

悪役は、悪役に徹する。だから、相手が光る。
審判も、実況の人も、それを分かっていて、一緒に作っている。
― ひとつだけ、ことわり ―
ここに書いたのは、お祭りの会場で、みんなを楽しませてくれるプロレスを見た、僕の感想です。
僕が知らないだけで、ほんとうに真剣勝負の、ガチの戦いのようなプロレスも、あるのかもしれません。
それに、プロレスは勝負ごとです。勝ち負けも、ちゃんとつきます。
そして、あれだけ、体を張っている。
水平チョップを打ち合ったあとは、胸が真っ赤っかで、血がにじんでいるし。去年は、パイプ椅子が壊れるまで、ぶん殴られている選手もいました。
だから、「ショー」と言い切ってしまうのは、選手のみなさんに失礼な気がしています。
あんなに体を張ったショーを、僕は、ほかに知りません。
販売会で、子どもたちがいちばんに向かったのは|やっぱり、いい人だった
選手のみなさんの、グッズの販売会もありました。
いろいろ買ったのですが、子どもたちが、いちばん最初に向かったのは、トゥルエノ・ゲレーロさんのところでした。
あれだけ、めっちゃ悪役だったのに。
いちばんに、グッズを買いに行った。それが、すごく面白くて。
子どもたちは、キーホルダーを選びました。
そのあと、いろんなところで、タオルやステッカーも買いました。
会場では、小銭を持ってくるのを忘れた人も、多かったみたいです。あちこちで、「500円、ありますか」と、両替が頼まれていて。
そんなとき、あんなに悪いことばっかりしていたゲレーロさんが、「全然いいっすよ!」と言って。
いちばん、両替をしてくれていました。

あ、やっぱ、めっちゃいい人やわ。
この日、九州から来ていたのは、ゲレーロさんだけでした。
遠くから来て、いちばん両替をしてくれていたのが、あの悪役だったんです。
子どもたちと一緒に、写真も撮ってくれました。

よく見ると、マスクの下の、目のまわりにも、メイクをしていて。こだわりを、感じました。
僕も、好きになりました。
子どもたちの宝物の、ウルトラヒーローたちのキーホルダー。
そのなかに、いまは、ゲレーロさんも入っています(笑)。
キーホルダー、買っておいて、ほんとうに正解でした。

見方が変わったのは、野津さんのおかげ
メインの試合を決めた、あの技。
名前が分からなくて、Xにそう書いたら、野津さんご本人から、返信が来ました。
「観戦ありがとうございます」。そして、「技名『ムーンサルトプレス』です」。
僕は、こう返しました。
「僕らを楽しませるために、こんなに体を張ってくれてるなんて!」
プロレスの見方が変わったのは、野津さんのおかげなんです。
野津朋也さんは、松江だんだんプロレスの選手です。「島根の火の玉小僧」と呼ばれています。

松江だんだんプロレスの選手のみなさんは、ふだんは仕事をしながら、プロレスをしているそうです。
これって、絶対プロレスが好きじゃないと、できんよね。
寄り道松江だんだんプロレスって、どんな団体?タップで開きます
松江だんだんプロレスは、島根県松江市の、社会人のプロレス団体です。2011年に、松江城で旗揚げしたそうです。
会場には、マスクで顔は見えないけれど、たぶん、ベテランの選手もいました。それでも、体は、めっちゃ引き締まっている。
ほんとうに、プロレスを愛しているんだな、と感じました。
寄り道今年の出場選手|全4試合・12人タップで開きます
この記事では、何人かの選手の名前しか、出てきません。
でも、あの日のリングは、出場した選手みんなで作ったものです。
今年の12人を、試合ごとに並べました。
第1試合 シングルマッチ
坂田龍神 vs ZEEN
坂田龍神さかた りゅうしん

第2試合 シングルマッチ
スラッガー中村 vs 伊勢宮ジロー


セミファイナル タッグマッチ
MITSUYA、トゥルエノ・ゲレーロ vs 嵐弾次郎、ミステリコ・ヤマト




メインイベント タッグマッチ
KYOHEI、スサノオKID vs 野津朋也、駿之介




遠くから来てくれた選手も、たくさんいました。
北九州のトゥルエノ・ゲレーロ選手。京都の嵐弾次郎選手と、京都の学生プロレスから来た、現役の大学生のZEEN選手。福島の団体のKYOHEI選手。岡山の駿之介選手。
地元の松江だんだんプロレスからは、代表のミステリコ・ヤマト選手も、リングに上がっていました。
去年(2025年)は、3試合・14人でした。★は、2年続けて出場した選手です。
第1試合 6人タッグマッチ
ブラックジロー/梟雄/グレート・カグラvsやんちゃマン/スラッガー中村★/葵
第2試合 タッグマッチ
嵐弾次郎★/シドニー昌太スティーブンスvsALLマイティ井上/ミステリコ・ヤマト★
メインイベント タッグマッチ
コマドリBOY/イマバリタオル・マスカラスvs野津朋也★/駿之介★
名前は、松江だんだんプロレスの公式Xの、対戦カードと試合結果のとおりに書いています。
大会の告知と結果は、こちらに
松江だんだんプロレス【公式】(X)島根県松江市の、社会人のプロレス団体。次の大会の知らせも、ここに出ます。去年、このお祭りではじめてのプロレスを開くために、野津さんが、すごく頑張って段取りを進めてくれたそうです。
それだけでも、胸が熱くなります。
あとで野津さんにうかがったら、このお祭りでプロレスができたのは、松江だんだんプロレスのグレート・カグラ選手と、お祭りの会長さん。おふたりがつないでくれた縁のおかげだそうです。
カグラ選手は、去年の第1試合に出ていた選手です。
最後は、お祭りの会長さんと
最後のあいさつは、去年も今年も、同じ流れでした。
お祭りの会長さんを、リングに上げて、みんなに紹介して。
みんなで、記念撮影。

リングのマイクで、こんな話がありました。
― お祭りの側と、野津さん ―
お祭りの側は、「野津さんが全部段取りしてくれたから、自分たちは何もしていない」。
野津さんは、「会長さんがいなかったら、実現していない」。
ほんとうに、みんな。プロレスを愛する人たちは、素晴らしいな、と思いました。
この話をするだけで、ちょっと、涙が出てきます。
料理の仕事と、通じるところ
体を張って、楽しませてくれる。
料理の仕事にも、通じるところがあります。
お客さんに楽しんでもらうために。
メニューを考えているときから。盛り付けを考えているときから。仕込みをしているときから。
たぶん、全部です。
でも、それを伝える方法が、いちばん難しい。
プロレスの人たちは、そこが、ほんとうに上手でした。
子どもたちをリングに上げて、一緒に盛り上げる。悪役は、悪役に徹する。場外乱闘で、お祭りの会場ぜんぶを使う。
どれも、楽しんでもらうための、伝え方なんだと思います。

まとめ|みんなで作る、本気のショー

中学生か高校生のころ、プロレスは、暴力的で、怖いものだと思っていました。
父が見ていても、あえて見なかった。
その見方が、去年から、変わりました。
お祭りで見たプロレスは、悪役も、その相手も、審判も、実況の人も。みんながひとつになって作っている、ショーでした。
リングの上であんなに悪かった人が、リングを降りたら、めちゃめちゃいい人。
あれだけ怖いと思っていたものの見方が、変わった。
それって、相当なことだと思うんです。

ふと、思いました。
戦後、力道山のころ。プロレスは、日本中で大人気になったそうです。
そのころの子どもたちも、お祭りの子どもたちみたいに、うわーっと盛り上がっていたのかな。
寄り道力道山のころの子どもたちも、こんなふうに盛り上がっていた?タップで開きます
1954年2月19日。東京の蔵前国技館(くらまえこくぎかん)で、力道山(りきどうざん)と木村政彦(きむら・まさひこ)が、シャープ兄弟と戦いました。
NHKと日本テレビが、生中継。新橋駅の西口の街頭テレビの前には、およそ2万人が集まったそうです。
空手チョップで、外国のレスラーを倒す。力道山は、国民的なスターになりました。2月19日は、いま「プロレスの日」です。
そのころの子どもたちが、どんなふうに見ていたのか。調べてみたけれど、記録は見つけられませんでした。
街頭テレビの前にも、うわーっと声をあげた子どもたちが、いたのかな。

1960年4月。力道山の道場に、ふたりの若者が、同時に入門します。アントニオ猪木さんと、馬場正平(ばば・しょうへい)さん。のちの、ジャイアント馬場さんです。
猪木さんの入場曲が、「炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜」。1976年に、猪木さんがモハメド・アリさんと戦ったあと、アリさんから贈られた曲を、アレンジしたものだそうです。もとの曲は、アリさんの映画『アリ ザ・グレーテスト』(1977年)の中の「Ali Bombaye」です。
力道山から、猪木さんへ。猪木さんから、あの曲へ。
今日の一曲
今日の一曲は、マンドリルとマイケル・マッサーの「Ali Bombaye (Zaire Chant) I」。
アントニオ猪木さんの入場曲、「炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜」の、もとになった曲です。
プロレスの曲、と考えて、まっさきに浮かんだのが、猪木さんのテーマでした。
でも、あんなに有名な曲なのに、猪木さんの曲そのものは、配信でも公式の動画でも、見つかりませんでした。
もとの曲は、1977年の、モハメド・アリさんの映画『アリ ザ・グレーテスト』の中の曲。こちらは、聴けます。
この曲が、アリさんから猪木さんに渡った話は、すぐ上の寄り道に書きました。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、おやすみなさい。














