お客さんは、喜んでくれた。でも大失敗だった|チーズフォンデュが分離した日
― この記事について ―
同業者が並ぶ勉強会で、アンケートの評価は上々でした。主催の方にも、いちばん褒めていただきました。それでも僕の中では、大失敗でした。チーズフォンデュが分離した日の話と、あとから分かった原因、そしてあの日に学んだことの話です。
こんばんは、ひろしです。
今日は、失敗した話をします。
料理人として、いちばん焦った失敗かもしれません。しかもその失敗は、お客さんには気づかれませんでした。
チーズフォンデュを出すことへの、小さな違和感
先に、正直なところを書いておきます。
僕はもともと、レストランでチーズフォンデュを出すことに、少し引っかかりを持っていました。味の問題ではありません。
チーズフォンデュは、鍋を囲んで、自分でつけて、伸びるのを楽しむ料理です。体験込みの料理と言ってもいい。
料理人としては、自分が完成させた料理を、いちばんいい状態で一皿として出したいという気持ちがあります。だから「切った具材と、溶かしたチーズを出して、あとはお客さんがつける」という形に、家庭で楽しむ料理に近いのでは、という気持ちがありました。
これはあとで考えが変わります。焼肉だってそうです。最後の部分をお客さん自身が楽しむことも、料理の価値のうち。チーズフォンデュは、そもそもそういう料理なのかもしれない。いまはそう思っています。
その店に、その料理があった理由
当時働いていたのは、ワイナリーの施設のなかにあったレストランです。いまはもうありません。
母体は木次乳業。ワイナリーのほうは、その木次乳業から生まれた奥出雲葡萄園です。
チーズフォンデュは、前のシェフが残したメニューでした。引き継ぐときに「この料理だけは残してほしい」と言われています。
理由は、いま考えればはっきりしています。木次のチーズと、ワイナリーのワイン。その二つを、ひとつの料理でつなげるのがチーズフォンデュだった。
注文の数が多いメニューではありませんでした。でも、その店にある意味がある料理でした。
「たらず会」という勉強会
あるとき、大人数向けのコースにチーズフォンデュを組み込む案件が入りました。
「たらず会」という会です。飲食が好きな社長が主催していて、出雲まわりのレストラン関係者や卸の方が集まって、島根の飲食店を巡って勉強するという会でした。
僕はその会のことを知りませんでした。木次乳業の当時の専務——いまの社長です——が参加されていて、その流れで話が来ました。
主催の社長と何度か打ち合わせをして、お題が決まりました。
- 木次乳業のチーズを使ったチーズフォンデュ
- デザートに、当時新発売だった木次乳業のアイス「ブラックオリーブのVANAGA」
- ハムやソーセージを作っているトムという会社との連携
- 大社のミケというパン屋さんに特注したパン
ひとり8,000円のコースです。
ソーセージとハムはトムさんに作ってもらう、というのが条件でした。だったらせっかくなので、猪のソーセージと、鹿のハムを作りたいと思いました。
休みの日に、トムさんへ何度も通いました。配合を決めて、工程を決めて、試して、また直して。当時のメモには、スパイスの配合表に赤ペンで書き込みが入っていたり、「ソーセージ → カット → 180℃で5分、カリッと」といった殴り書きが残っています。

江津の丸姫ポーク、奥出雲の猪と鹿。トムさんと作ったソーセージとハムです
要するに、ものすごく真面目に取り組んでいました。だからこそ、あの日のことが残っているのだと思います。
三日間で、一日あたり三十名弱。合わせて九十名近く。通常の営業とは、まるで違います。大量に、同じ品質で、決められた時間に出さなければいけない。

大田の鯖、出西のふゆわらべ、邑南町のキャビア

メインの、奥出雲和牛と加茂町のアスパラ
― 当日のコース ―
ご挨拶の一皿
大田 鯖、出西 ふゆわらべ、邑南町 キャビア、海士町 フクギ茶
大社 有機人参、木次バター、奥出雲 はじかみ
江津 丸姫ポーク、奥出雲 猪 鹿
木次乳業 オールドゴーダ、カマンベール、プロボローネ、イズモ・ラ・ルージュ
出雲 雲南 お野菜
大社 パン
出西 カーボロネロの花、リコッタチーズ、奥出雲 野うさぎ、殿居敷 米粉、モッツァレラチーズ、黒胡椒ゴーダ
奥出雲和牛、加茂町 アスパラ
カマンベールチーズ、ブラックオリーブバナガ
出雲 コーヒー 紅茶
ワイン ── シャルドネスパークリング2014 / ピノグリ2017 / 小公子2013 / きすきのさくら2017
太字にしたのが、チーズフォンデュです。五皿目でした。
見返して思うのは、全部の料理に産地が書いてあるということです。大田の鯖、出西のふゆわらべ、邑南町のキャビア、海士町のフクギ茶。島根の飲食を勉強する会なので、当然といえば当然なのですが、いま見ると気合いが入っています。

当日のメニューです。この紙が残っていました
試作では、うまくいっていた
使ったチーズは四種類です。柱になるのが、イズモ・ラ・ルージュとプロボローネ。
イズモ・ラ・ルージュは、赤いワックスをまとった木次のミニゴーダです。比較的溶けにくくて、滑らかにまとめるのが難しいチーズでした。プロボローネは桜のチップで燻したもので、こちらは伸びがよく、僕はこちらのほうが好きでした。
この二つを両方使うことが、案件のお題に近い条件でした。そこへカマンベールとオールドゴーダを少しずつ足して、四種類で組んでいます。
チーズがなぜ滑らかに溶けるときと、分離するときがあるのか。そのころ、かなり勉強しました。チーズと液体は、温めれば必ず一体になるわけではありません。条件によっては、油が分かれたり、タンパク質が固まってブツブツになったりします。
三人分くらいの少量で、何度も作りました。滑らかで、自分が納得できるレシピが固まりました。
試作は、成功していたんです。

三人分ほどの小鍋で、何度も試しました
*
本番で、ダマになった
当日。人数が多く、火口は四つほどしかありません。一鍋ずつゼロから計量していては、間に合わない。
そこで助手に、人数分をあらかじめ計量して、複数の鍋に分けて、白ワインなども先に合わせるところまで仕込んでもらいました。あとは温めて溶かすだけの状態を作ったつもりでした。
分量は、試作のレシピどおりです。失敗するとは思っていませんでした。

あとは温めるだけ、の状態を作ったつもりでした
提供の直前に火を入れると、チーズがブツブツになりました。明らかに、分離しています。
最初は「誰かが分量を間違えたのでは」と思いました。でも計量してくれた人は、そういう間違いをするタイプではない。確認しても、致命的なミスは見当たりませんでした。
そして、提供時間は迫っている。

滑らかになるはずのものが、こうなりました
レシピを捨てて、その場で組み替えた
あの瞬間が、いちばん焦りました。
もう出さなければいけない。でも、自分が考えていたチーズフォンデュではない。やり直す時間もない。
だから、いったんレシピを捨てました。
状態を見ながら、チーズを足す。液体の量を調整する。その場で配合を組み替える。そうやって、なんとか提供できる状態まで持っていきました。
失敗したから出せなかった、という話ではありません。失敗した状態から、どうにかサービスとして成立させた——それがあの日にやったことです。

レシピをいったん捨てて、状態だけを見ていました
評価は、上々でした
ここが、この話のややこしいところです。
勉強会なので、お客様にはきちんとアンケートを書いていただきます。しかも来ているのは、レストランの関係者と卸の方々。要するに同業者です。味を見る仕事をしている人たちが並んで、書面で評価をつける。

当日のチーズフォンデュです。参加された方が撮ってくださいました
その評価が、上々でした。
「これは失敗ですね」と書かれたわけでもない。いろいろな感想をいただいて、こちらが勉強になるくらいでした。
主催の社長は毎回参加されていて、こう言ってくださいました。
お前、めちゃくちゃ頑張ったな!
あの会で、いちばん褒めていただきました。大変でしたが、やってよかったと心から思っています。
それでも僕は、初日のことをまったく納得していませんでした。
理由はひとつで、自分が出したかったチーズフォンデュではなかったから。試作であの滑らかさを出せていたのに、本番で再現できなかった。それだけで、僕の中では大失敗でした。
褒めていただいたことも、評価が良かったことも、素直にありがたいことです。それは本当です。だからこそ、内心は複雑でした。

同じ時間の、客席と厨房
*
原因は、材料ではなく工程だった
初日の営業が終わったあと、もう一度調べ直しました。そして分かりました。
試作では、少量のチーズを温めながら溶かして、状態を見ながら、白ワインなどの液体を少しずつ加えていました。
本番では、効率のために、最初からチーズと白ワインを全部いっしょに計量して合わせて、あとは火を入れるだけにしていました。
材料は同じ。比率も同じ。工程だけが違っていた。
チーズは、冷たくて酸性の液体に浸かったまま、加熱されることになります。試作のときとは、チーズが受ける酸の当たり方も、温度の上がり方も違う。
ここは僕の推測です。チーズのタンパク質は、酸が強くなるほど固まりやすくなる——ということ自体は分かっていますが、「少しずつ加えると分離しにくい」という手順そのものを比べた研究は、探しても見つかりませんでした。なので、これは僕の経験としてだけ読んでください。ちなみに、フォンデュが割れるのを防ぐ役割としてはっきり確かめられているのは、デンプンのほうです。全体の三パーセントほど入れると、分かれなくなるという研究があります。
大量に作るために効率化したつもりが、いちばん大事な工程を変えてしまっていた。
工程を戻したら、失敗しなくなった
次の営業から、最初に全部合わせる方法をやめました。試作でやっていたとおりに戻しただけです。
この記事を書くにあたって探したら、当時のメモが残っていました。そのまま書きます。
- 白ワインを、全体の半分ちょっとだけ鍋に入れる
- 細かく切ったチーズと一緒に、火にかける
- 様子を見ながら、残りのワインを少しずつ足していく
二人前で、最初に入れるワインが50ccほど。最終的に80〜90ccになります。ワインは酒石酸の多いものを選んでいました。
二人前の配合(当時のメモより)
カマンベール 34g / プロボローネ 110g / オールドゴーダ 14g / イズモ・ラ・ルージュ 52g / ベシャメルソース 80g
そしてメモの最後に、こう書いてありました。
まとめて沢山の量を作るときは、ワインの割合が少なくなります。
量が変われば、比率も変わる。あの失敗のあとに、自分でそう書き足していました。
この工程に戻してから、失敗しなくなりました。本番でも、自分が納得できる滑らかさが出せるようになりました。
メモを読み返して、気づいたことがあります
ベシャメルソースが入っている。
ベシャメルは、バターと小麦粉と牛乳で作ります。つまり、小麦粉のデンプンが入っています。
僕はずっと、「コーンスターチのようなツナギは使わずにやっている」つもりでいました。片栗粉もコーンスターチも、たしかに使っていません。でもツナギがなかったわけではなかった。デンプンは、ちゃんと入っていたんです。
しかも、フォンデュが分かれるのを防ぐ役割としていちばんはっきり確かめられているのが、そのデンプンでした。全体の三パーセントほど入っていると分かれなくなる、という研究があります。
自分の手で何十回も作ってきて、メモを読み返すまで気づいていませんでした。
ちなみに、この順番はどこにも書かれていませんでした
この記事を書くにあたって、調べ直しました。日本語のレシピも、英語のレシピも、料理を科学から説明しているものも。
そうしたら、僕が調べた範囲では、全部が逆でした。
- 世の中のやり方 ── ワインを全量、先に温める → そこへチーズを少しずつ加えていく
- 僕のやり方 ── ワインは半分だけ入れて、チーズと一緒に火にかける → 残りのワインを少しずつ足していく
ワインを全量先に温めておく、というのは、フォンデュを科学的に調べた研究の手順でもそうでした。「ワインを分けて、後から足していく」と書いているものは、見つかりませんでした。
ただ、考えてみると、どちらも同じことを、違う側からやっているのかもしれません。
一般的なやり方は、酸がたくさんある中へチーズを小分けに入れる。僕のやり方は、チーズがある中へ酸を小分けに入れる。どちらも「冷たいチーズが、濃い酸の中にどっぷり浸かったまま加熱される」状態を避けています。
そしてあの日の失敗は、まさにその状態を作ってしまっていた。
とはいえ、これが正しいやり方だと主張したいわけではありません。世の中の順番でうまくいっている人は、たくさんいます。それに、僕が探せなかっただけで、同じことをしている人はきっといるはずです。ただ、書かれているものは見つけられなかった——それだけの話として書いておきます。
もしかしたら、あの失敗がなければ、僕もこの順番にたどり着かなかったかもしれません。
面白いのは、満足度がほとんど変わらなかったこと
ここが、いちばん考えさせられたところです。
失敗した初日も、評価は良かった。工程を戻したあとも、評価は良かった。アンケートの結果に、劇的な差はなかったんです。プロが並んで書いた評価が、です。
でも、僕の満足度はまるで違いました。
初日は「なんとか出せた」。改善後は「自分が出したかったものを出せた」。
だとすると、こういう問いが残ります。同業者が並ぶ会で評価も良くて、主催の方にも喜んでもらえたなら、それは失敗ではないのか。
迷惑もかけていない。クレームもない。時間どおりに出せた。それでも、自分が狙った状態にできなかったという事実は残ります。
サービスとしての成功と、料理人としての自己評価は、必ずしも一致しない。これが、あの日から僕の中に残っているものです。
プロは、失敗しない人ではない
プロでも失敗します。当たり前です。
ただ現場では、失敗した瞬間に営業を止められません。時間の中で判断して、その場で組み替えて、最低限ではなく、できる限りいい状態まで持っていく。
そして営業が終わったら、何が悪かったのかを調べて、次に同じ失敗をしないように工程を変える。
ここまでが、たぶん仕事です。
*
あの日、学んだこと
ずいぶん前の話ですが、いまでも仕事の仕方に残っていることがあります。まとめておきます。
① 工程は、レシピの一部です。
材料も、分量も、温度も同じなのに、同じものにならないことがある。何を先に入れるか。どの状態で次を加えるか。少しずつなのか、一気になのか。いつ熱を入れるか。レシピというと材料表と分量を思い浮かべますが、順番のほうが結果を決めていることがあります。
② 効率化するときは、何を変えたのかを自分で把握しておく。
あのとき僕は「あとは温めるだけ」の状態を作ったつもりでした。手順を減らしたのではなく、いちばん大事な工程を消してしまっていた。効率化そのものは必要です。ただ、変えた場所を自分で分かっていないと、こうなります。
③ 試作は、本番と同じ条件でやる。
三人分でうまくいったからといって、三十人分でうまくいくとは限りません。量が変われば、やり方も変わります。いま大人数の仕事を受けるときは、できるだけ本番に近い条件で試すようにしています。
④ 失敗した瞬間に、現場は止められない。
あのとき僕を助けたのは、正しいレシピではなく、目の前の鍋の状態を読んで判断することでした。
これは、いちばん大事なことかもしれません。
現場では、レシピを捨てて立て直す作業が、必ずと言っていいほど発生します。思ったとおりにいかないことのほうが多い。だから、レシピを捨てても立て直せる力が要ります。
そしてこの力については、僕は経験しかないと思っています。本を読んでも身につかない。失敗した経験が、自分を強くしていく。そういう種類の力です。
とくにケータリングは、毎回まったく違う台所に立ちます。コンロが何口あるかも、火力がどのくらいかも、行ってみるまで分からない。思いどおりにいかないことのほうが普通です。
だから僕は、立て直せる自信がなければ、ケータリングはできないとさえ思っています。
⑤ 終わったら、必ず原因を調べる。
その場をしのげたことと、原因が分かったことは別です。調べなければ、同じ失敗をもう一度やります。そして調べた結果、思ってもみなかった順番にたどり着くこともある。
⑥ サービスとしての成功と、料理人としての自己評価は、別。
これが、いちばん残りました。お客さんが満足してくれたことは、ありがたい事実です。それは疑いません。でもそれを理由に、自分の中の失敗をなかったことにはできない。そこを一緒にしてしまうと、たぶん次がありません。
*
料理人の失敗は、お客さんに気づかれるものばかりではありません。
誰にも気づかれなかった失敗ほど、自分の中に長く残ることがあります。
それは、たぶん悪いことではないんだと思います。あの日の悔しさがなければ、いまの作り方にはなっていません。
今日の1曲
この記事を書いていたら、頭の中で鳴りはじめました。タイトルがそのまますぎて、自分で笑ってしまいました。
失敗した話を長々と書いておいて、最後にシッパイマン。出来すぎです。
でも、ちょうどいいと思っています。あの日は本当に焦ったし、悔しかった。それでもいま、こうして記事に書けている。深刻な顔のまま終わる話でもないな、と。
シッパイマン シッパイマン
どうするんだ 知らないぞ
シッパイマン シッパイマン
取り返しがつかないぞ
あーあ
シッパイマンの投げたカバン
シッパイマンの脱いだ上着
シッパイマンの丸くまるめたズボン
悔いのない生き方は後悔の繰り返し
シッパイマンの顔は泣きそうに笑う
シッパイマン シッパイマン
あーあザ・ハイロウズ「シッパイマン」(作詞・作曲 甲本ヒロト)より
「悔いのない生き方は後悔の繰り返し」
この一行に、ぜんぶ言われてしまいました。
あの日のことは、いまでも悔しいです。でもその悔しさがなければ、工程を見直すこともなかったし、いまのチーズフォンデュの作り方にもなっていない。立て直す力も、たぶん育っていません。
泣きそうに笑う、というのは、ちょうどあの日の僕の顔だったと思います。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、おやすみなさい。
