「何でも使っていい」の意味が、分からなかった|新人料理人と、まかない
― この記事について ―
料理経験ゼロで飲食の世界に入ったころ、レシピを正確に守れば美味しくなると信じていました。その考えを最初に壊してくれたのが、まかないでした。トマトで怒られて、レタスの芯で褒められた話です。
こんばんは、ひろしです。
今日は、まかないの話をします。僕の料理の考え方が最初に変わった場所の話です。
レシピが、正解だと思っていた
僕は、料理経験ゼロでこの世界に入りました。
最初の仕事は、地道なものばかりです。じゃがいもの皮むき。玉ねぎの皮むき。ニンニクの皮むき。イカの下処理。鴨肉の筋取り。来る日も来る日も、むいて、外して、掃除する。
家でも勉強していました。本を買って、レシピどおりに作る。そして当時の僕は、心からこう信じていました。
レシピを正確に守れば、美味しい料理ができる。
完全な、レシピ至上主義でした。レシピは正解で、料理はその再現。そう思っていたんです。
「そこにあるもので、何か作って」

転機は、未経験で飛び込んだその最初の職場で、まかない担当になったことでした。作るのは、スタッフ5〜6人分です。
ある日、言われるんです。「そこにあるものを使って、何か作って」。
レシピは、ありません。あるのは、冷蔵庫の中身だけ。レシピが正解だと思っていた人間にとって、正解のない問題が、いきなり目の前に置かれたわけです。
トマトで、怒られた
最初の失敗は、よく覚えています。
「何でも使っていい」と言われたので、僕は自宅でもよく作っていたフレッシュトマトのパスタを作りました。自信のある一皿です。実際、味は悪くなかったと思います。
でも、それを見たシェフの反応は、こうでした。
「え? トマト使った⁉︎ トマトだけは使わんとって欲しかった!」
厳しく叱られたわけではありません。どちらかというと、悲鳴に近い。でも当時の僕は、内心こう思いました。何でも使っていいって、言ったじゃないか。
いまなら、分かります。トマトはお店の商品を作るための、大事な食材だったんです。まかないは「余っているもの」「使い道のないもの」を活かす場で、「使える食材」と「使っていい食材」は違う。レシピには絶対に書いていないことを、僕はここで初めて知りました。
捨てられていく、レタスの芯

次に僕が目を付けたのは、サラダの仕込みで毎日捨てられていたレタスとサニーレタスの芯でした。
食べられるのに、毎日、当たり前のように捨てられている。あれを使えば、誰にも迷惑がかからない。
ニンニク。オリーブオイル。レタスの芯。白ワイン。チーズ。それだけのパスタを作りました。
これが——意外に、美味しかったんです。芯には甘みがあって、火を入れると食感も良い。スタッフにも好評でした。そして、トマトのときに怒ったシェフが、ひとくち食べて言いました。
「これ、美味しいやん」
悲鳴を上げさせた相手に褒められた一皿。あの日のまかないが、僕の料理人生の小さな分岐点だったと思います。
トマトの、種も使った
味をしめた僕は、「捨てられているもの」を探すようになりました。
覚えているのは、トマトの種のまわりの部分です。冷製パスタの仕込みでトマトの種を除くので、あのゼリー状の部分が毎日出る。これも捨てられていました。
使ってみたら——出汁が出るんです。あのゼリーには旨味が詰まっていて、ソースに深みが出る。トマトを丸ごと使ってはいけない厨房で、トマトの捨てられる部分だけは、堂々と使えた。ちょっと痛快でした。
捨てるものから、どこまで美味しくできるか
レタスの芯の一件で「捨てるものは使っていい」と分かってから、僕の中にテーマができました。
捨てるものから、いかに美味しい賄いを作れるか。
セロリの葉っぱ。トマトの種。そして、いちばん覚えているのがスジです。鴨や仔羊を掃除すると、スジが出ます。ふつうは捨てるものです。僕はそれを集めて、冷凍しておきました。ある程度の量が貯まったら、細かく刻んで、じっくり煮て、ラグーにする。捨てられるはずだったスジの集合が、数週間後にパスタソースになって戻ってくる。
いま思えば、あれはとても良い勉強でした。食材のどこに味があるか、何が出汁になるか、火をどれだけ入れれば何がほどけるか——レシピの本には載っていないことを、捨てられるものたちが教えてくれたんです。
まかないが、豪華になる日
逆に、まかないが急に豪華になる日もありました。
鶏、鴨、仔羊——注文がほとんど出ない食材が、傷みそうになっている日です。傷ませて捨てたら、それこそ本末転倒。だから「今日中に使うべきもの」はまかないに回ってくる。その日だけ、スタッフの皿に鴨や仔羊が載るんです。
これも同じ考え方です。食材を無駄にしないことの、いちばん現実的な形。まかないは、厨房の食材管理の最後の受け皿でもありました。
何もない日は、パスタとチーズと黒胡椒
まかないを続けていると、本当に何もない日もあります。
そういう日は、茹でたパスタに、パルミジャーノ・レッジャーノと黒胡椒。それだけです。
そして、それだけで、十分に美味しい。ローマにはカーチョ・エ・ペペという立派な料理があるくらいで、「何もない」と思っていた場所に、実はちゃんと一皿がある。それも、まかないが教えてくれたことでした。
「ある食材から考える」という筋肉

まかないの日々で、僕の頭の使い方は逆向きになりました。
それまでは、レシピから始めて、食材を揃える。まかないでは、食材から始めて、料理を考える。矢印が、逆なんです。
この筋肉は、一度つくと一生ものでした。いまでも「そこにあるもので何か作って」と言われたら、大抵のものは作れます。ケータリングで現地の食材と向き合えるのも、奥出雲で「この土地にあるもの」から献立を組めたのも、元をたどれば、あの捨てられていたレタスの芯です。
この「食材から考える」話は、のちのコトレッタの記事——島根県産だけで一皿を作った話——にまっすぐ繋がっています。
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元日の、イカゲソ

その店で、忘れられない夜がひとつあります。
元日です。1月1日に営業してみたら、びっくりするほどお客さんが来ました。スタッフはみんな休み。厨房は、僕とオーナーシェフの二人だけ。アイドルタイムもないまま、夜中まで働きました。
営業が終わって、僕はイカゲソで賄いを作りました。イカの仕込みで外した、あのゲソです。
そうしたら、普段はあまりまかないの感想を言わないオーナーシェフが、「美味しい! 美味しい!」と食べてくれたんです。
疲れていたのも、あったと思います(笑)。でも、正月に二人だけで店を回しきった夜中に、捨てられるはずだったゲソの一皿を、シェフが美味しいと言って食べている。あの光景は、いまでも覚えています。
まとめ ― レシピの外に、料理がある
レシピは、いまでも大事だと思っています。ワイナリー時代の僕は、レシピを数字で管理する側の人間にさえなりました。
でも、レシピが「正解」なのではありません。レシピは、誰かが「ある食材」と向き合った結果の、記録です。先に食材があって、あとからレシピが生まれる。あの順番を体で覚えたのが、まかないでした。
いま家庭で「冷蔵庫に何もない」と思っている方がいたら、思い出してください。パスタとチーズと黒胡椒があれば、一皿あります。そして、いつも捨てているその部分、実は美味しいかもしれません。
今日の1曲
捨てられるもの、くだらないと思われているもの。その中にこそ、大事なことが隠れている——この記事で書きたかったことを、この曲が全部歌ってくれています。
魔法がないと不便だよな
マンガみたいに
日々の恨み 日々の妬み
君が笑えば解決することばかり
首筋の匂いがパンのよう
すごいなあって讃え合ったり
くだらないの中に愛が
人は笑うように生きる
希望がないと不便だよな
マンガみたいに
日々の嫉みとどのつまり
僕が笑えば解決することばかりさ
流行りに呑まれ 人は進む
周りに呑まれ 街はゆく
僕は時代のものじゃなくて
あなたのものになりたいんだ星野源「くだらないの中に」(作詞・作曲 星野源)より
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、おやすみなさい。
