切れない包丁を、小西さんは何も言わずに使った|「道具のせいにしない」と決めた日
出張ケータリングに、僕はお皿を持っていきません。
その家の器を使わせてもらい、その家の道具で料理をします。
「自分の道具じゃないと作れない」料理人には、なりたくないと思っているからです。
この考えには、はっきりとした原点があります。
富山で修行していた頃に見た、一本の切れない包丁の話です。
浅野さんという人

富山に、浅野さんというワインの人がいました。
酒販店で働いていた頃から、「ワインのことならあの人」と、店の名前ではなく個人の名前で知られていた人です。
僕が最初の店でワイン係を任されたとき、いろはを教えてくれたのも浅野さんでした。今月のワインを赤白3本ずつ選ぶこと。欠品したときの代わりの一本。分からないことを聞きに行くと、いつも丁寧に教えてくれました。
当時のシェフから聞いた話ですが、浅野さんは独立の資金を作るために、本業のかたわら新聞配達もしていたそうです。
そして浅野さんは独立し、卸専門のワイン店「カーヴ・ロンド」を開きました。
午後3時のパーティー

そのお披露目のパーティーは、夜ではなく、午後3時頃から始まりました。
飲食店で働く人たちが参加しやすいように、営業の合間の時間に設定されていたのだと思います。浅野さんを慕う富山のレストラン関係者が、20人ほど。料理をつまみ、ワインを飲みながら、和やかにワイワイやっている会でした。
当時の僕は、富山の料理業界の人をほとんど知りませんでした。
パーティーで若い女性と話して、「どこで働いているんですか?」と聞いたら、「小西ですけど」という返事。
「あ、小西さんですか」
——と、普通に流しました。それが富山フレンチの草分け「レストラン小西」のことだと、僕はまだ知らなかったんです。
レストラン小西は1969年創業。北陸で最初期の本格フランス料理店として、55年続いた店です。この記事を書くにあたって調べたら、2024年の夏に、静かに歴史を閉じていました。
「突いてきた」

パーティーの途中、顔見知りのシェフが魚を持って現れました。
看板のない、知っている人しか行けないような店の料理人です。
「釣ってきたんですか?」と聞くと、
「突いてきた」
「……海で?」
「海で」
釣るんじゃなくて、潜って突いてくる。余計すごいやん、と思いました。
魚は2尾。大きな白身の魚と(ヒラメだった気がしますが、記憶が曖昧なので断定しません)、立派な黒鯛でした。
切れない三徳包丁
「誰がやる?」
「お前やれよ」
魚を前に、料理人たちの押し付け合いが始まります。プロばかり20人いるのに、誰も進んでやらない。こういうところは、料理人もただの人です。
結局、あるシェフが1尾目をさばくことになりました。
ところが。
その場にあった包丁は、どこの家庭にでもありそうな三徳包丁が1本きり。しかも、かなり切れない。
「なんじゃこの包丁、全然切れねえ」
シェフは文句を言いながら、苦労して、それでもきちんと刺身に仕上げました。
言っておくと、これは自然な反応です。切れない包丁は本当に危ないし、仕事にならない。あの場にいた料理人の誰もが、同じことを言ったと思います。
僕も、言ったと思います。

小西さんが、立った

次は黒鯛の番です。
また「誰がやる?」の空気になりかけた、そのとき。
富山フレンチの重鎮、レストラン小西の小西謙造シェフが、何も言わずに黒鯛の前に立ちました。
場の空気が、変わったのを覚えています。
小西さんはかなり寡黙な人です。その人が黙って魚を手に取ったことで、その場の料理人たちに、すっと緊張感が走りました。
使ったのは、さっきのシェフが「切れない」と言った、同じ三徳包丁です。
小西さんは、包丁について一言も言いませんでした。
さばいている間も。さばき終わったあとも。何ひとつ。
ただ黙って、同じ包丁で、黒鯛をきれいにさばき切りました。
紙コップのスープ
できあがったのは、黒鯛とトマトのスープのような、とてもシンプルな料理でした。
その場にあった食材と、その場にあった調味料と、あの三徳包丁で。
器は、紙コップでした。

正直に言うと、味は正確には覚えていません。でも、湯気の立つ紙コップが手から手へ渡っていった光景は、いまでも覚えています。
浅野さんの顔が、変わった

そのスープを、浅野さんが受け取ります。
香りを嗅いで、一口飲んだ瞬間——顔が変わりました。
そして、何も言わずにワインセラーへ走っていきました。
戻ってきた浅野さんの手には、一本のワイン。「これにはこのワインだ」という顔で栓を抜いて、みんなに注いでまわりました。
銘柄は覚えていません。でも、あの場で起きたことの意味は、あとになるほど大きくなりました。
寡黙な料理人が、黙って一皿を作る。
それを一口飲んだソムリエが、迷いなく一本を選ぶ。
プロとプロでしか、できないことでした。
道具のせいにしない
あの日から僕の中に残り続けているのは、料理でもワインでもなく、あの包丁のことです。
料理をしていれば、道具のせいにしたくなる場面はいくらでもあります。
この包丁じゃないから。自分の鍋じゃないから。火力が違うから。
どれも、嘘ではありません。道具は本当に大事です。僕はこのブログで、包丁やフライパンの記事を何十本も書いてきたくらいです。
でも、同じ「切れない包丁」で、あるシェフは(当然の)文句を言い、小西さんは何も言わずに黒鯛をさばき切った。
その差を目の前で見てしまったら、もう言えないんです。
道具にこだわることと、道具のせいにすることは、別のことです。
いい道具を選ぶ努力はする。でも、目の前にある道具で最善を尽くせない理由には、しない。

いま、出張ケータリングでお皿を持っていかないのも、その家の道具で料理をするのも、根っこはあの日です。
決まった道具と食材がなければ作れない料理人ではなく、その場にあるもので料理できる人でありたい。
切れない包丁を黙って使った小西さんの背中に、僕はずっと追いつこうとしているのだと思います。
*
レストラン小西は、2024年の夏に55年の歴史を閉じました。
あの日の技を見た一人として、ここに書き残しておきます。
今日の一曲
パーティーは午後3時から。お開きの頃には、外は夕暮れだったはずです。
仕事の合間に集まって、それぞれの店へ、それぞれの仕事へ帰っていく料理人たちの背中。
その背中に流したい曲を考えたら、これしかありませんでした。
働く人の夕方の歌です。あの日の富山の空気と、よく似ています。
あの日の僕は、業界の誰も知らない若造でした。
それでも帰り道、いつか自分も、と思っていた気がします。だから、この二行を。
俺もまた輝くだろう
今宵の月のようにエレファントカシマシ「今宵の月のように」(作詞・作曲 宮本浩次)より
本日もお読みいただき、ありがとうございました。










